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第26話

 窓が一つあるだけの閉鎖的な部屋の隅に、黒煙は抜けきらず吹き寄せていた。割れた瓶からは糸のように細い煙がいまだにたちのぼっている。  その瓶の中身が、凋落した神の死因だというが、韶華(しょうか)は全く無傷の瓶を一つ手にとって振ってみてもその正体がわからない。 「ただの煙にしか見えないけれど……」  膝を抱えてうぅんと首をかしげた。中にたっぷりと満ちた煙りが、揺らすたびゆったりと風紋を描いている。においはするのだろうか。開けてみようと蓋に手をかけたとき、背後からさっと伸びた手がそれを取り上げた。 「中に入っているのは神性です。とりこめば、自分の神性を高められる優れものです。商品ですから、取り扱いには気をつけて。少し前から流通しはじめて、私の主な取引商品になっています」  銀縁眼鏡を押しあげる灑女(さいじょ)が口元に笑みを浮かべて茶目っ気たっぷりにいう。 「悪神なら、悪、善神なら、善、凶神なら、凶と言った具合に、これを取り込めば手っ取り早いですから」  韶華はざわりと心が荒立った。神性は臓器と同じように体内に満ちている気で、それを取り出すということは身体を切り開いたということ。韶華はその衝撃に少しの間驚いて一言も口がきけなかった。 「……神性を、神から奪ったのか?」  ややして、愕然と困惑を露わにした。 「花神さまも、お一ついかがですか? ただで差し上げることは、できませんけどね」 「殺したのか?」 「私は何も知りませんよ」  重ねて問う韶華を前に灑女は少しも悪びれない。何が悪いのかと言いたげであった。 「大体都合のいいものというのは、灰色な部分で成り立っていることが多いですから。私は生業の神というだけで、この商品に関わっているわけではありません」  韶華はもてあそんでいた瓶から手を離す。薄黒い感情が引きずり出されるような感覚とともに息を吐いた。 「星郎、帰ろう……」  星郎はまだ瓶を注意深く見つめて中の煙の動きをおっている。暗い感情と、憂鬱な気配がしみこむこの部屋に、韶華は長居したくはなかった。袖を翻す韶華に星郎が駆け寄ってくる。 「暦帳の本体も、回収してくださいね」  去り際に陰氷(いんぴょう)が念をおし、韶華は百滋楼(ひゃくじろう)を後にした。  ――灑女、  数々の偉功を打ち立てた、偉大な神女であるらしい。  神の命を蔑ろにするあんなものが出回りながら、なぜ微笑んでいられるのだろう。永遠の命を持つ神の犠牲なんて些細なものなのだ。神性を取り込む妖鬼神仙たちはあんなもので偉大な神にでもなりたいのだろうか。  底冷えするような、おぞましさではないか。この身体に満ちている暖かな神性が、体を切り開かれて取り出されるなど、想像を絶する苦痛に違いない。それこそ、命を落としてしまうほどの、痛みなのだ。    ―――――――――――――――― 「なるほど、風が、ないんですね」  枯槁(ここう)の谷。  鶏明(けいめい)がすんと鼻をならしていった。風の尽きる地の果て、もしくは、風の生まれる地。  全くの無風も珍しいもの。生暖かな空気がよどみ、塞がれるような息苦しさだった。  不吉な暦帳が枯槁の谷にあるというので、百滋楼での出来事の後、韶華は鶏明を伴ってやってきた。  星郎に留守番をいいつける際、「俺に命令して」と心を引く笑みでねだるかと思われたが、意外にもすんなりと送り出された。  それには韶華が呑まざるを得ないある条件を星郎が突きつけたからでもあった。 「鶏明に見せた奥の手を、俺にもみせて……」  そんな懇願が、前夜の寝台で囁かれた。勿論、構わないよと韶華は即答し、今すぐ見せてやったのだ。文字通り、奥の手。つまり、衣の下にくぐらせた手を、裾下から出して見せたのだ。 「こんなものが、みたいだなんて」  韶華はにこりという。開けた裾から露わになる、白い太股。その裾が、韶華に根付く甘く熟れた果実の先端を掠めるようにきわどく揺れていた。韶華の性感を呼び起こし、星郎が弄び飲み干したいと強くのぞむもの。それに気づいた星郎の顔が赤らみ、ふっ、と苦しげに息を弾ませ、掻きむしるように胸を掴む。 「……留守番を、してあげてもいい。けれど、帰ってきたらもう一度、それを見せて」 「……それ?」 「あなたの、奥の手」  韶華は一度、聞かなかったことにした。 「いいとも。いろいろな出し方がある。例えば喉とか。君はびっくりしてしまうかもしれないね」 「どこからだしても、構わない」  素直に応じる星郎に、ふと、韶華は視線を逸らした。真っ直ぐと真剣な眼差しを向ける星郎は、もしや冗談だと分かっていないのだろうか。 「……喉から手がでるのを、本気でみたいのか?」  みたいというのなら、練習をしなければならない……  けれど星郎はそれにこたえず、韶華の指先に躊躇いがちにふれる。 「喉から、手を……、……それほど欲しい? 俺のことが」  星郎の甘い息が耳元にかかっていた。深くにぎり込まれていく指先と、肌に熱くそそがれた声に、韶華は息をのむ。艶っぽい響きに不意打ちをうけた。  幼神のはず。それなのになぜ彼はこれほど心を惑わせるのだろう。領巾に縋る彼の手が、切ないほど臆病に触れているせいだろうか。 「……君を、任されたんだ。どんな子だろうと、引き受けると決めているよ」 「韶華、それなら必ず、どこまでも俺を追いかけてきて……ずっと、俺だけを、欲しがって」  留守番を嫌がられた方が、よほどましだっただろうか。必ず追いかけると、そんな約束をさせられてしまった晩のことである。

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