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第30話
日々は目まぐるしく過ぎ去り、星郎 を白昵山 に迎えて四十年がたっていた。かわらず悪童の噂は隙間風のように耳につく。その質が野次馬的な大げさな物から、少し奇妙に変化していることを、近頃になって韶華は感じ取っていた。
神の成人は七十歳が目安であるから、今年、星郎は成人を迎えていた。
忙しい一 とせ。彼はますます身丈がのび、精悍な顔立ちは研ぎ澄まされて、若盛りの身体を持て余すように、椿の木の上でうたた寝をしている。
真っ赤に咲き乱れる花枝にしだれかかる彼は無防備に瞼を伏せて、まるで花の匂いに酔ってでもいるようだった。浅葱色の長衣がはためくつま先に、韶華は手をのばす。
ためらいがちに呼びかけた。
「星郎……」
花祭りのしたくに追われる韶華である。花の落ちる時期、厄祓いの祭りが白昵山で催される。韶華は府君、太守として盛大に飾り立てられ、吉祥を得ようと訪れる神仙妖鬼を春の間もてなし続けていた。
美しい衣に袖をひき、玉の冠と、首飾り、煌びやかな音を奏でる足輪と腕輪。その玉はすべて星々や海の雫をつなげ、光輝く美しい装飾だった。星郎の成人も重なって、彼も見知らぬ神々からのお祝いを受けて憂鬱そうだ。
束の間の休息。
まるで鳥が木陰で憩うように睡っている。起こしては悪いと、韶華は口元を押さえた。それを、星郎が少し前から見つめていた。
「……韶華、そんなところで、何をしているの?」
上衣のつぎはぎで膨らんだ暦帳を大事に抱えた彼に、起こしてしまったと韶華は苦く笑う。するすると木を登っていき、星郎の手に導かれて身体は膝の上に落ち着いた。
「あの不吉な暦帳、修繕をしたから、俺がもらってもいい……?」
星郎はいつになく甘えかかる。それほど暦帳がほしいのだろうか。くつろいだ姿で韶華の髪をいじっていた。においをかいだり、唇にふれたり、危うげな情を孕んだ瞳を、狡猾に伏せてそうするのだから、韶華にはまったく気づかなかった。
「あれは、あげられないよ。北神に管理してもらうのだから」
「なら、北神にお願いして、良いと言わせれば良いね」
彼なら容易いのだろうな。韶華はひっそりと笑う。困惑する北神の顔が想像できる。
「なぜ、あんな物が欲しい?」
「あなたの、一部だから」
韶華は「うぅん」と首をかしげる。悩ましいことに、玉の疵、己の猥りがわしい汚点とばかりに毛嫌いしているあの凶悪な暦帳を、これほど望まれるとは思いもしない。
そのほっそりと撓る首筋と、きゅっと結ばれた唇を、星郎は焦がれた眼差しで見つめている。優しく愛撫したくてしかたがない。
星郎は四十年、弾けそうな感情を抱え、ひたすら韶華に触れることをこらえてきた。せめて成人しなければ、この善と吉祥の神は関係を結び直すことを良しとしないだろうと思っていたのだから。
けれど星郎はますます踏み出せずにいた。韶華が養育者であり続けたいのならそれでもいい。下手に切り出して関係が絶たれるよりは、よほど……
星郎らしくない弱気が、韶華を前にしたときだけむくむくと形を大きくするらしい。
「……韶華、……さっき、蝸牛がきたみたい」
「蝸牛? 北神かな。行ってやらないと」
するりと木から飛び降りて、韶華は気づく。星郎の芳気が名残惜しく肌にもつれて、その香りが身体中にうつっていることに。
椿の花に包まれた木の上。雪の様に舞う花びらが、空を淡い色に染め上げていた。風に揺れ、枝がゆったりと笑っている。胸を絡げる星郎の瞳が、ひたむきに韶華を見つめていた。まるで幾重もの硬い扉の先に秘められた、初々しい尊像に触れるかのような星郎の指先。
それに触れる、一瞬の余情……
欲望を掻き立てるようでたまらず、韶華は逃げ出した。
息が潰えるほどの想い。吹きこぼれるほどの恋情に、掴まってしまった。
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