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第33話
もうすっかり辺りは薄暗い。それなのに、明日を待てないほど早急に吉祥が必要なものがいるとは。
「何かご用かな――」
玉冠を頭に翳し、さて挨拶をと出迎えたとき、思いもよらず屈強な腕が伸びた。避ける間もなく、韶華は乱暴に引き掴まれる。
「星郎をだしてもらおう!」
凄まじい剣幕であった。
さっと視線を走らせる庭の中にも数人、男たちが控えている。その統率のとれた動きと気配に韶華は青ざめた。素早く男の腰に視線を落とす。帯には華やかな剣、陰氷の象徴が吊り下げられていた。
乱暴に引き掴む手に胸元が開け、男の視線が柔らかな肌の下を辿っていく。慌てて押さえつつ、背筋に嫌な汗が流れていく。
「吉祥を、求めに来られたのかな」
にこりと笑みを浮かべた。
「これを見たまえ」
そして背後の男が韶華の足元に何かを投げてよこす。ゴトリと、不気味な音……かすかな柔らかさを含んだ、鈍い音だった。
おそるおそると視線を落とし、目に飛び込んだその姿に韶華は頭がまっ白になる。
妓楼の夫人から譲り受けた亀である。それが手足や首をだらりとたらし、泡を噴いてひっくり返っているのだ。
ぴくりとも動かない。生気のない、つめたいからだ。
一瞬で怖気が身体を支配した。駆け寄り、その傷を確認して、早く治療を――
手遅れになる前に急がなければ!
掴まれた領巾ごと男の手からすり抜ける。亀を抱き上げようとして、韶華は再びぐっと男に引き戻された。
「この亀は誰の亀だ?」
耳の後ろで男の怒気が唸っていた。
「私の、亀だ」
「殺生の罪によって、下手人を捕らえに来た」
「殺生……?」
激しく脈打つ鼓動に胸を押さえる。しきりにふれる胸元から、一瞬の隙をみて蝸牛と手紙をそっと物陰に押し隠す。
「この亀を打ち叩き、卑劣にも甲羅を割ったという報告があった」
もし誰かが亀を打っていたのなら韶華が真っ先に気づくはず。それなのに韶華は気づかず、しかも主の韶華ではなく陰氷に報告したというのは、一体なぜか。
「誰がそんなことを……」
亀は庭にずっといたはず。力の抜けきった韶華に男が荒々しい態度にでた。
「星郎だ! だからさっさと星郎をだせと言っているのだ!」
激しい口調に責め立てられて韶華は目眩がした。
「星郎が……」
――あり得ない。
星郎は亀の友人なのだから。力なく頭を振る韶華に男の顔が歪む。
「あれは誰もが噂する大悪党だ。あなたの善性だけで、曲がった性根がなおるとでもお思いか?」
「噂がむしろ、星郎の生き方を決めつけているのだろう」
星郎が生きものを乱暴に扱うわけがない。でなければ、彼が私を見つめる眼差しが、あれほど温かいわけが――
「隠そうとしても無駄だ! 探してひっぱりだせ!」
男たちは韶華が止めるのも聞かず部屋の中に踏み込んでいく。
戸や机、寝台、食器の類いも隅から隅まで確認しては破壊し回った。星郎が三日かけて立て直した家……
その部屋が踏みにじられ荒らされ、汚されていく。その壮絶な音を韶華は身体を震わせてただ必死にたえて聞いていた。
その青ざめた韶華の姿を、蝸牛が物影から気がかりに見ていた。
「これは、なんだ……?」
男が星郎の部屋から何かを取り出した。一瞥し、ただの曇った瓶だと知り廊下に投げ出される。ころころと韶華の足にぶつかってとまる。男はその正体を知らないらしい。瓶の中に封じ込められた煙り。百滋楼でみた、神性をとじこめたもの。もしかして、星郎がこっそり持ち出したのだろうか。
「星郎をどこへ隠した!」
楼閣を荒らした末に、男がどかどかと靴音を立てて戻ってきた。
「隠蔽するというのなら、あなたを下手人として盟神探湯にかけるまでだ!」
唾を吐き捨て、男は冷ややかに続けた。
「その弱い神性では、今度こそ堕ちるだろうな。今なら星郎を連れてくれば見逃してやる」
韶華はその瓶もやはり影へそっと蹴り飛ばす。冷然と男と対峙した。
「構わない。つれて行け。神具が、していない罪を暴くはずがないのだから」
養育者の私が、やっていない罪を星郎に押しつけて引っ張りだすだと?
わなわなと震える手で玉冠や腕輪、足輪を取り外し金属の音を響かせて床に放る。
唇を結ぶ青ざめた韶華の顔に、男の喉がごくりと唾を飲みこんだ。善と吉祥の神――その存在に、若干の恐れを抱いているらしい。
「……妓楼での、一件を聞いたぞ。星郎の負債を払ったと。星郎を信じているなら、あいつを盟神探湯にかければいい。本当は信じていないから、怖いのではないか?」
「やっていないことで、なぜ星郎を巻き込まなければならない」
韶華は自ら進み出る。華奢で美しく、威厳をまとい、穏やかな韶華の顔付きに、陰氷の男たちの心にかすかな崇拝の念が芽生えていた。
すぐさま、ハッと役目を思い出した小男が韶華を拘束した。
その一部始終を見ていた蝸牛はすでに楼閣を背に走りさっている。欠けた殻を抱えながら、よたよたと急いで北神の元へ。
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