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第39話

 槐葉(かいよう)韶華(しょうか)の問いかけに口をもごもごとさせた。世間では火の不始末だと触れ回られている。適当なことをほざいた陰氷のせいで実に格好のつかない退場の仕方をしたが、全て星郎が仕組んだものだと槐葉は信じて疑わない。  実際は善と吉祥の神を手ひどく扱った報いだというのは薄々わかってはいる。硅女(かくじょ)の、華々しい時代を忘れられない執念深さが生んだものだということも。  不満そうに槐葉は腕を組んだ。 「……硅女の神性が穢れてしまったので、あいつらから神性をもらう約束をしていたんです」  けれど対価を支払った後に偽物をつかまされてしまった。槐葉はみっともなくて、さすがにそんなことは口が裂けても言えなかった。すでに物盗りのような真似をした後で、輪をかけて惨めに思えてくるようだ。  愚図愚図して槐葉が中々話したがらないので、韶華は早々に腰を上げていた。巻き軸を回収しに行かなければと川岸を下りはじめていたが、思いがけず振りむく。その視線を阻むように黒衣が投げられる。 「……神性を、もらうといった?」 「使ってください。いくら神でも、寒いはずですから」  上裸を剥きだしにし、濡れた肌着を絞る槐葉は韶華の疑問にやはり言いにくそうな顔をする。 「あの木箱には神性を封じた瓶が入っていたはずで、約束を反故にされたから奪い取ろうと後をつけていたんです。あなたの神性でも、いいんですけどね――」  ふっと重く息をつき、槐葉はがしがしと頭を掻く。 「うまくいかない。あなたに関わると、いつもろくな目にあわない」 「私の神性は、弱いよ。硅女を復活させてあげられない」  裂傷をひきつらせて槐葉は苦く笑う。 「……いりませんよ」  首を竦め、すっと息を吸い込むと槐葉は川の中へ飛び込んだ。  水系の神女に仕えているだけあって、泳ぎは得意なようだ。彼は荒れ狂う水の中でも悠々と泳ぎ、奪い損ねた瓶を探している。  しばらくして水面に顔を出すと、苛立ちを隠せずに舌を打った。 「……くそ、どこにもない」  岩場に上る槐葉に韶華はにこりと微笑んだ。 「一緒に探してあげるよ。私も、巻き軸が流れてしまったから、探さないと」  怪訝そうな槐葉を背にゆっくりと川沿いを歩いて行く。水辺から上がった槐葉は嫌そうな顔をした。 「あなたとは、あまり関わりたくないんですけど……」 「そういわずに」  いつどんな災難に見舞われるかとおっかなびっくりの槐葉が、文句を言いながらも後ろをついてきていた。韶華は特に普段と変わらず、あの木はなんていう名前だろうねと呼びかけるように声をかける。 「――槐葉、もしかして、君が夜偏城(やへんじょう)から不吉な暦帳を盗んだのかな」  槐葉はよく話す。行者らを襲った理由や硅女の神性について素直に話してくれる。そんな彼が、星郎と暦帳の話題になると途端に口が重くなるようだ。星郎の所為だとそれしか言わないのは、おそらく詳細に語れない理由があるのだろう。だからもしかしたら暦帳を盗ったのは、彼なのではないかと韶華は思った。  やはり槐葉はまずい顔をして柄に手を触れ、一歩、韶華から後退った。  逃げられては困る――  不吉な暦帳を硅女に渡した人物は彼なのだから。見つけろと、北神が星郎に課したものだ。それに巻き軸を川から拾うには彼の力が必要だった。韶華は焦りを押し殺しながらにこにこと微笑んだ。 「この川がどこに流れているか、気にならないか? 瓶もきっと、そこにあるよ。私の巻物もおそらくそこに……。案内してあげよう」  隙を突いて深手を負わせようか。  そんな逡巡が青ざめた槐葉の顔に浮かんでいた。しかし疲れ切った様子でふうふうと汗を拭う韶華に考え直す。  まるで槐葉を捕まえる気がないようだ。暦帳を持ち出した人物だと確信を突いておきながら、なぜ自由にしておくのだろう。そんな目つきである。  槐葉は忘れていた。目の前で歩き疲れた青年が、善と吉祥の神だと言うことを。我に返り、この善神が他人を欺くことなどできないと思い直す。罠のかけかたさえしらなそうではないか。 「お一人でいけばいいものを、なぜ私を伴うんです」  それでも用心深い槐葉に韶華は視線を斜へさげ「うぅん」と曖昧に唸った。 「……実は、川の中からしかいけない場所にあるんだ。私は泳ぎが苦手だから、君に運んでもらいたい」 「……私の弱みを握っておきながら、なぜ脅迫しないのですか?」 「脅迫したほうが、動くのかい?」  えっ、と驚く槐葉に、なら悪っぽく指示してみようかと微笑んだ。  咄嗟に槐葉が慌てる。 「脅迫なんてそんな言葉、あなたの口から聞きたくないです……余計なことは、なにもせず、何も言わずに、私があなたを連れて行きますから」 「悪いね」  全く悪びれない顔だった。  槐葉はなんだか酷く疲れ切っている。あの雀も毎日こんな苦労を……? 四百年も付き従うなんて。それだけで神格を与えられるほどの偉功ではあるまいか。そう思わずにはいられない槐葉であった。

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