41 / 43

第41話

 荷台が燃えはじめるとすぐ、巻き軸は一つ残さず火だるまとなり、黒煙は高く上っていく。  水路にはすでに韶華(しょうか)の姿はなかった。  槐葉(かいよう)だけがただ呆然と、韶華の押し殺した痛みとともに火の勢いを見つめている。  韶華(しょうか)は砕けた石碑を足がかりによいしょと丘を登っていた。玉房閣(ぎょくぼうかく)でのんびりと魚を囓っていた百虫(ひゃくちゅう)翁の傍に、そっと近づく。 「百虫翁、水路はやがて流れていくはずです」 「おっ? 早いな……」  相変わらずこの花の神は顔色を一つかえず、取り繕うのがうまい。老人は目元のかすかな翳りを見抜きつつ、慌てて重たい腰を持ち上げる。それほど焦っていたのだ。何千年と過ごした我が家の欄間の高さに思い違いしたらしい。彼は勢いよく頭をぶつけてしまった。  痛みに目をちかちかとさせる老人に韶華は驚いて飛んでいくが、百虫翁は外へ追い払うように手を振った。 「大事な私の書籍が、全てバラバラになってしまってね。明日の早朝、友人がそれを求めに来る。拾って集めてくれ。くれぐれも、若者は手を出してはならんぞ。中身をよく確認して、頁の抜けがないかも、心遣いするのだ……」  日の暮れた庭で、すでに一枚は小鬼が口に頬張っていた。韶華は小さな悲鳴を上げて口からゆっくりと取り出していく。さらには篝火の中に落ちかけたそれを危うくとりだす。  庭を低く這って縁の下に一枚、茂みのなからもまた一枚……、と、夜中が過ぎるころには手元の紙束は分厚くなりつつあった。 「花神……」  痛ましい顔をする槐葉に韶華は「なんだい?」と微笑みかける。 「……間に合いません」  硬くにぎり込まれた槐葉の拳を見て、韶華は大丈夫だよと目尻をやわらげた。 「もし間に合わなくても、君だけは逃がしてあげるから」  言いながら頁の確認をする。中身をよく確認しろと百虫翁はいったが、決して見てはいけない。頁の綴りだけ集中しろ、と何度も強く自分に言い聞かせていた。  それが、ふと飛び込んだ一文につい視線が奪われる。 「――善と吉祥でありながら罪人の神が、俺を養育するという……醜く穢れた善神が、俺を利用して神性を磨きたいだけ……」  飛び込んできたその書き付けは、誰かの心の中をつらねたものらしい。  善と罪人――  韶華は嫌な汗が流れた。  ――「守るだと、偉そうに。言うことを聞かせ、支配して愉悦感にでも浸りたいのか? 貶めてやれ、二度と天界にいられないように」  続く言葉を口の中で呟きながら、韶華はがんがんと打ち響く警鐘にざわりと心が乱れた。  神であってもわからないものがある。  それは、ひとの心の中だ。  一枚一枚に綴られているものはすべて誰かの本心……  穢らわしいと、彼岸花の傷痕に触れた星郎の顔が思い浮かぶ。けれど百虫翁のこと。嘘も混ぜているに違いない。それが余計に韶華の心を激しく急き立てた。  どれが嘘で、どれが本音? もしかして全て本音で、本当はずっと韶華の堕ちる時をまっていた? あの優しい笑みも手つきも、その場をやり過ごすための、嘘? 成人するまで、調子を合わせていただけ…… 「……他に、なんて、」  取りすがるように慌てて頁をめくっていく。亀を殺したのは星郎ではない。けれど、その亀を与えたのは、韶華なのだ。星郎が凶神になるきっかけを作ってしまった韶華を、彼はどうおもっているのだろう。墨のにおいに埋もれるようにして「亀」の一文字を見つけだす。  あった――  ばくばくと息苦しく脈打つ心臓に視界は朦朧としていた。そっと文字の横に指をそえ、韶華は文字を追う。  ――「こんなものをおしつけて、施しを与えているとでも思っているのか。偽善な神め……今に凶神の力をえて、決別を……!」  なぜ――!  槐葉がすかさず紙束を取り上げていた。のめり込んで文字を追っていた韶華は荒げた息を噛みしめながら、ずるずると身体を伏せっていく。  ……見なければ良かった、あんなもの、  錐で突かれたような痛み。ひき裂かれた心の痛みが全身をしめつける。それをぎゅっと抱きしめて身体を震わせた。 「……どれほど走っても、前も後ろも真っ暗で、いつ報われるともわからない。道はずっと閉ざされたまま。……それでもその先に星郎がいるのなら、私は走り続けられる……走らなければならない」  星郎……  金神を解放しようとした罪も、五百年と言い渡されたあの屈辱も、書き殴った怒りと邪な呪い。不吉な暦帳を抱いて欲しいとねだった、星郎。あれが、嘘なはずがない。  惑わされるな。星郎がどう思おうが、私の心は揺るがない。愛しているんだ。彼を。 「頁の確認は、私がします。拾い集めなければ、いいんですから」  震えた槐葉の声を聞いていた。  韶華は深く息を吐き出しながら、皮膚が剥け、爪の割れたボロボロの指先を見ていた。地上を這い回ったせいで肌は日焼けしている。髪の艶も失われ、美しさなど、とうにない。吉祥さえ誰にも与えられないただの小さな力のない神なのだ。  その朝まだき、韶華は滝の城の夢を見ていた。鎖に縛られた韶華を抱きしめたのは、あの一回きりだった。その優しい夢を、韶華は浸るようにして思い出していた……

ともだちにシェアしよう!