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第9話 卒業と夕焼け
今日もテル君とご飯を食べた、あれからテル君は毎日僕の部屋に来るようになっていた、ついでにテル君にはパソコンを教えている。
卒業は明後日だ。なんだか寂しくなるがテル君も僕と同じ自動車教習所に通っている。
卒業後も会える機会はありそうだ。
テル君はソファの上でクッションを抱いて物思いに耽っていた。
「どしたのテル君」
テル君の顔が急に赤くなった。
「俺、明後日、卒業するじゃないですか。それで、その・・・・」
僕はテル君の隣に座る。たぶん、向かい合わせだと話しにくい話題だ。
「俺と水原さんとは約3年半付き合ってるわけなのですが、その…キスまでと言うか。お互いまさぐるくらいでその…まだ…なんです」
「なるほど…」
僕はできるだけきりっとした顔をして見せているが、内心はすごく動揺している。
「水原さんはとてもまじめで結婚が決まって籍を入れてからって言ってくれて俺を大事にしてくれている、でも、もうカウントダウンが始まっているというか」
僕は顔は作っているが、頭の中はぐるぐるしている。
「俺はうまくできるか、不安です…見せてもらった事はあるんです。あの体格なのですごく立派でどこも大きくて…」
テル君が何か手で形を作って見せ始めた。その卑猥な手の動きはダメだ。
なるほどでも、その形が本当ならかなりのものだ。
「俺は彼を満足させられるかとか思うんです」
とうとうクッションに顔をうずめてテル君がうなりだした。
僕だって経験したのは結婚した彼だけだ。それに…
「僕はね。どちらかと言うと失敗した方なんだよ。僕は恥ずかしくて素直になれなかった」
テル君はクッションにあごをのせてこちらを見ている。なんか、かわいい。
「だからこそ、今度はって思っていることがあって、僕はなんでも伝えようと思ったんだ。好きも愛してるもちゃんと伝えて体よりも心を満たしたい」
「テル君が不安になるのも分かる、誰だって初めては不安なものだよ。もしかしたら水原さんだって不安かもしれない。だからまず、その不安を全部水原さんと話し合えばいいと思うよ。初めては1度だけど。それは始まりなんだ。何度だって繰り返せる。僕が何度も威嚇されてるの知ってるだろ?それくらい水原さんはテル君を大事に愛してくれてるんだ。テル君が何をしても喜んでくれると思うよ」
僕ももっと踏み込めばよかった。そうすれば何かが変わったのかな。
「テル君はちゃんと気持ちを伝えていればいいんだよ、まだテル君は二十歳なんだよ。僕は年相応にそういう情緒も育って欲しい気がするよ」
テル君はこくりとうなず。僕はにっこり笑ってテル君を撫でた。
「でさ…どうして見ることになったの?」僕はニヤリとした。テル君はクッションにまた埋もれた。
「一緒に温泉に行って1泊した時です。もちろん結婚が決まった時にですよ。で、寝る前におねだりしました。こうね、押さえつけてね。脱いでもらってね…」
想像するだけで面白い。あの体格の水原さんだ。押しのけようと思えば簡単にできるのにされるがままだったなんて。しかも、目の前に大好きなオメガがいてそのオメガが興味津々で見てくるのだ、自分のモノを。さっきのあの手つきだ、きっと触ったりもしたんだろうな…なんというか。僕は水原さんを尊敬した。…笑いが止まらない。
「テル君ってば面白すぎるよ」
僕は笑いが止まらず、目じりにたまった涙を拭いた。
「僕はテル君には幸せになって欲しい。テル君には何度も大事なことを教えてもらえたから」
テル君はクッションをポスポスさせながら照れている。
「…娘を嫁に出すってこんな気持ちになるんだなぁ」
僕は勝手に花嫁の父の気分だった。
ふわふわとした気持ちの高揚にクッションをしっかりと抱きしめた。
明後日、秋晴れの朝は目にまぶしかった。
テル君はシェルターを卒業していった。見送りに出た僕は小さな花束と夫婦箸をプレゼントした。水原さんを見て思い出して笑いそうになった、今日の水原さんは髪の色が銀色でグレーのストライプの入ったダブルのスーツだった。手に持っている花束をテル君に渡す。テル君は終始笑顔で水原さんはそれを愛しそうに見つめる。何より二人は僕らが見送るまでずっと手をつないでいた。もう片時も離れないって言っているみたいに。
最後にシェルターの玄関ドアの前でテル君は水原さんを強引にかがませて熱烈なキスをした。
きっといい家族になるなと思った。僕は水原さんとテル君が水原さんのジープに乗り込み門の向こうに消えるまで見送った。
青い空は高く、熱をはらんでいた空気がいつの間にか消えて澄んでいる。
夏が終わっていた。
より一層寂しさが染みるのはそのせいかもしれない。
昼ご飯のあと。お茶を入れている時にスマフォが鳴った、相手は涼介さんだった。
「ナオ君、さっき養子の認可通知が来たよ」
理解するのに時間がかかった、じわじわと幸福感が駆け上ってくる。
「ありがとうございます」
電話の向こうでは涼介さんが微笑んでいるのを感じた。
「これからまっきーんちに報告に行って戸籍届を書いてもらうけどナオ君はどうする?」
「ぼ・・僕も行きたい!」
「じゃあ今、駅だからこれから迎えに行く。小橋に伝えて」
僕は慌てて小橋君に伝えに行った。
涼介さんが迎えに来ることを言うと、少しだけ渋い顔をしてミカ先生に僕の抑制剤の処方をお願いしていた。
そして、ここで小橋君カオリさん夫婦に赤ちゃんができたことを聞いた。発行したての母子手帳を見せてもらった。しかも、2冊、双子だそうだ。予定日は4月中旬でカオリさんは安定期に入るまでお仕事は内勤のみになるそうだ。それすらも小橋君には心配だそうだが、働くことができていること自体アルファとしては小橋君はかなり我慢強いタイプだとミカ先生が教えてくれた。
僕はまた自分の部屋に戻って身支度を整えた。
良いことが続いている、その高揚感が体を包む。
良いことがあると怖かった。
ひいおじいちゃんたちと暮らした日々。彼との結婚生活。
僕が幸せだと思ったことは必ず終わりがあった。
涼介さんの到着をスマフォが知らせる。僕は洗面の鏡で自分を確認した。この髪型の自分にもずいぶん慣れた。四苦八苦していたワックスもだいぶ自然につけられるようになった。あまり気遣うことのなかった服も人からアドバイスをもらうようになった。
僕も少しは変われたんだ。
1階に降りると玄関では涼介さんと小橋君カオリさんが話をしていた。もう一人。20代前半と思わしき女の子も一緒にいる。4人は楽しげに会話をしていた、女の子の手が涼介さんのスーツの腕をつかむ。
僕の心の中でどろりとしたものが震えたのを感じた。
この何か月かずっといなかったのに、ここにきて震えたものの正体を僕は知っている。
ドクドクと心臓の音が大きくなる、手が震える。
女の子がカオリさんの妹リコさんだということはなんとなく分かった。BBQの時に逢ったからだ。
でも、なんでそれに対して僕はこんなに動揺しているんだろう。いったん来客用のトイレの個室に逃げ込んだ。
僕はみんなに良くしてもらっている、だけどそれは彼らの仕事だ、以前自分で言ったんだ。彼らにだってプライベートはある。居心地が良くて浮かれていたのかもしれない。
気づけば彼らを同等にしていた自分がいる。
なれ合いが過ぎれば遠慮がなくなる。相手に依存がはじまる。
僕はいつかここを出て行く、出ていくためにここにいる。
よかった、僕はちゃんと気づけた。
やっと落ち着いた脳内に僕は細く息をつく。
手洗い場で顔を洗ってもう一度玄関に向かった。
今度は4人も僕に気づいて手を振ってくれた。僕は自然を装って笑った。
リコさんとお話しするのは初めてだったので軽く挨拶をする。駅で涼介さんに会って連れてきてもらったと言っていた。カオリさんやミカ先生に似た笑顔が朗らかな子だった。
小橋君たち3人とお別れして、涼介さんの車に近づく。涼介さんの車はLのマークのエンブレムが付いたSUV車だった。僕も免許が取れたらこんなかっこいい車に乗りたい。車の周りを一周回って運転席を覗き込んだ。見たことないボタンがいっぱいあって初心者向きではないなと理解した。
助手席に促されたが、断って後部座席に座る。座面がふかふかで高級なのが分かる。車内は柑橘の花と若い葉の香りの混じった匂いがしていた。僕は少しだけ窓を開けて空気を入れた。
涼介さんがしゃべっていることが耳を滑る。僕はたまらず寝たふりをした。車内に流れている音楽の音を少し下げてくれた。車がまっきーさんの家の駐車場に入ったところで僕は目を覚ました。
エンジンを切ったのに涼介さんが降りようとしない。僕もシートベルトは外したもののそのまま涼介さんに倣う。
「ねぇ、ナオ君。なにかあった?」
僕はうまくごまかせていなかったみたいだ。
「今日、午前中にテル君がシェルターを卒業したんです。とても幸せそうでした。僕もいつかは卒業するんだと自覚したというか、痛感したんです。頼り切るのは良くないなって思ったんです。僕がしっかりすれば小橋君もカオリさんと一緒にいられる時間が増える、みんなだって自分のことがあるだろうし」
僕は笑顔を作る。離れがたくなるのは困る。先ほどでさえ勘違いでひどい執着を見せるところだったのだ。こんな気持ちぶつけて良いはずがない。
「こじらせてるなぁ、ナオ君は…」
涼介さんにリアクションは求めていなかったが、その言葉に笑顔が消える。
「ナオ君はもうすぐ、まっきーんちの家族だろ。それに、俺がナオ君に関わるのは俺の意志だ。頼っていいよ。むしろ、もっと甘えろよ」
そう言うと、涼介さんは車を降りて僕にも降りるようにドアを開けてくれた。僕はその手を取って車から降りる。涼介さんがエレベーターに向かって歩き出すのを追って一緒にエレベーターに乗り込む。涼介さんがなかなか階数ボタンを押さないので涼介さんを見ると。抱きしめられた、両腕で閉じ込める様な力強いしっかりとした抱擁だった。少し苦しくて小さく息が漏れた。
「ナオ君、俺は我慢しないよ」
そう言ってパッと手を離した涼介さんは僕の頭を撫でた後、すぐ2階のボタンを押して前回入って行った応接室のドアに手をかけた。
「リコちゃんはアルファだよ」
そう言って応接室に一人で入って行った、僕もあわてて後を追う。ソファにはすでにお父さんとお母さんが座っていた。
「おかえり」二人はそう言って僕に手を振る。うっかりと、一粒涙がこぼれる。
僕は勢いよくお辞儀をして二人の近くに行った。迎えるように手を広げて間の席をポンポンと叩く。僕はすっぽりと間にはさまれるように席に着いた。
向かいに座った涼介さんは机の上に書類を並べてひとつひとつ説明をする。お母さんはじっくりと書類を読んだあと指さされるところに印鑑とサインをしていく。
「これで君の保護管理者は牧野さんになる。離婚が確定したら、ナオ君は牧野直哉だ」
涼介さんはにっこりと僕を見て笑った、さっきの抱擁を思い出して目が合わせられない顔が赤くなる。
「じゃあ、書類を出してくる、ナオ君はそれまでちょっとここで待っててくれ」
と、部屋を出て行った、入れ替わるように、この前会った晴斗君と晴斗君のママが入ってきた。その後ろをこの前もいた小さな子たちも一緒に入ってきた。僕が立って皆を迎えると当然のように晴斗君を腕にのせてくれた。晴斗君を受け取ると、晴斗君のママはお茶とお菓子を出してくれた。前回会ってから2週間だが晴斗君の表情がさらに豊かになっていた。両脇に座っていた両親の膝には子供たちが座り皆で晴斗君の顔を覗き込めば今日も機嫌よく笑顔を浮かべている。
ひとしきり抱き心地を堪能した。子供たちが飽きて部屋を出ようとしたので晴斗君のママはそのまま子供たちと出て行った。
僕はお茶を一口もらう、するとお父さんから言葉を向けられた。
「ナオ君。浮かない顔してたけどどうしたの?」
思わず表情を見るとしっかりと目が合った。心配してくれているのが分かる優しげな目だった。
僕は今日あったこと、思ったことをぽつりぽつりとこぼす。お母さんは背中をさすってくれた。
「僕はいつかシェルターを出て一人で生きて…「なるほど、それを言って涼介を怒らせたんだね」
お父さんが僕の手をポンポンと叩く。
「君の事情に関わった時点でもう、誰も君を一人にする気なんてないよ。ナオ君は人を頼ることにひどく敏感だけど、頼ることはそんなに悪いことかな。迷惑かどうかは受け止める方が決めることだよ、僕はナオ君が困った時助けられないほうが悲しい。頼ってくれる方がうれしいよ」
僕は手のひらで顔を覆う。
「僕はずっと一人だった。家族には愛されなかった。この人だけだと思った彼も僕から離れて行った。僕もいつかはテル君みたいに自分だけを愛してくれる伴侶を見つけてって思うけど。ずっと愛される方法が分からない僕にそんな人ができるのかって不安で。もしこのままずっとダメなら僕はまた、一人で生きていけなきゃダメなんだって、一人が平気になれなきゃダメだって」
「私たちはあなたを子供に迎えたのよ、あなたが一人になることはもうないわ、なんなら、お見合いも全部断わってずっと私たちの子供のままでいてくれても構わないのよ」
お母さんが僕の肩をそっと抱いてくれる。
「あの…どうして僕を養子にしてくれたんですか?」
二人は顔を見合わせると僕の手を握ってくれた。
「話があったのはナオ君がシェルターに入居してきたくらいだよ、シェルターに入る時はみんな来歴とか調べられるんだよ、それで、君の家族に問題があることは分かってたんだ。小橋君から頼まれた。もし特別養子縁組の話になったら頼まれて欲しいと。それを受ける気になったのは君の経歴とシェルターでどう過ごしてるかを赤木さんから聞いたからだ。よく進学したね。どんだけ大変だったか想像しても余りある。でも、君はやり遂げた。努力を惜しまない子だと思った。シェルターに入っても規則正しく生活してたって。君はどの職員に聞いても良い評判しか聞かなかったよ。君に関わった人が口をそろえて君の力になりたいって言うんだ。…面談で会ってほんとに評判通りの子だと思ったよ。それに、君は孫の晴斗の未来に希望を見せてくれた。それだけでも私たちは君を受け入れたくなる理由になるんだ」
「助けを求めてる子に手を貸す理由なんて、後付けよ。もし確かな理由が欲しいなら幸せになったところを見せて頂戴」
相変わらず、お父さんは包み込むような優しさでお母さんは豪快でパワフルな人だ。
「僕がいい子でいる理由なんて臆病なだけなのに」
僕はついひねくれたように言ってしまった。
「それも君の美点だよ」お父さんはにっこりと笑う。
そこへカチャリと音を立てて涼介さんが戻ってきた。
「手続き完了です、今日からナオ君は牧野さんが家族になります」
親指をぐっと立ててにっこり笑った。
「ナオ君。今週末でしょ、面談。そのあと、うちに来ない?今後の話も少ししたいし」
その言葉はすごくうれしかった、でも。
「うれしいです…でも…街に出るには小橋君が…」
僕のことで煩わせては…僕がうつむこうとすると大きな手が僕の手をつかむ。そこにもう二つ手が重なる。涼介さんは心配そうに、両親は安心させるように微笑んでいた。
「まだ遠慮するの?安心して、うちにもいるから都合のいい男、ベータで良いならこのおじさんでしょ、あと次男とシンくんと五男。それに、アルファで番持ちなら長男と三男が…誰でも指名があれば迎えに行かせるから頼って…あなたに、お願いしてほしいわ」
お母さんは僕の肩をポンポンと叩いてにっこりと微笑む。
「今日みたいに涼介が連れてくるよりよっぽど安全だよ?」
お父さんがニヤリと笑う。涼介さんは握っていた僕の手からぱっと手を引っ込めた。僕もぱっと両手を挙げた。
小橋君の渋い顔を思い出した。
「でも、今日は直哉を連れてきてくれてありがとう、涼介」
お母さんの僕を呼ぶ呼び方が変わった。お互い歩み寄って僕らは家族になるんだ。
「お父さん、お母さん、これからもよろしくお願いします」
僕が頭を下げると、すかさず。紘一パパって呼ばれたいってお父さんが言うからお母さんも道子ママって呼んでって言い出すが遠慮した。ほんとに素敵な人たちだ。
あらためて週末にまた会う約束をして。僕は涼介さんにシェルターまで送ってもらった。
帰りは助手席に乗せてもらうことにした。眺めがすこぶるよい。
海沿いの道に出ると夕焼けが空と海を赤く染めていてきれいだった。夕焼けに照らされる横顔をこっそり盗み見た。暖かな色に心が凪ぐ。
「今日は態度が悪くてごめんなさい」
涼介さんは目だけでこちらを向くと頭を撫でられた。「気にすんな」そう言って。
「何度だって言い聞かせてやるから好きなだけこじらせろ」
と少し意地悪なもの言いだが、それも優しさなのだと思う。
「僕は今までこんな風にいろんな人に構ってもらうことが無かったから、いったん悩むと、いまの立場が分不相応に感じて怖くて。失くすのが怖くて。試すようなことばかりしてほんとうんざりですよね。僕は臆病だった。強い人間だと思ってたのに。ごめんなさい」
今の生活にすっかり愛着がわいてることを自覚した、思い知る。
玄関前に車を止めて涼介さんがまた助手席のドアを開けてくれた。
この扱いは照れ臭い。
「ナオ君、人の好意を怖がらなくていいよ」
いつも人の好意の裏には何かあると疑っていた。心が覗けたらと思ったことが何度もある。だからすぐ遠ざけたり試したりしてしまったのだ。
「頑張ります」
僕が頭を下げると頭に手の温かさを感じる。
「ほんとに分かってる?」
涼介さんは帰って行った。夕日は沈み、あたりは夜と夕焼けの混じった藍色に包まれていた。
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