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第10話 答え合わせとさよなら

面談は前回と同じ10時から6階の部屋で行うことになっている。今回も付き添いは小橋君とミカ先生だった。今回の僕はもう戦闘服でもなく。普段着で迎えている。ミカ先生に抑制剤をもらう。 外は予報通りの晴れた空で、海も空もきれいだった。 「ナオ君、落ち着いてるね」小橋君が機材を整えながら言う。 「前回僕は彼には僕と同じだけ傷ついてほしいってそれだけだった気がします。なんで、どうしてって聞く癖に彼の話を聞いてない。僕は彼の話が聞きたい、これが最後のさよならだから」 膝の上に置いた手は震えるけどしっかり笑って見せた。 10時きっかりに彼は部屋に入ってきた。以前感じた違和感は無くなっていた。彼に合ったスーツ。ちゃんと磨かれた靴。清潔にまとめられた髪は以前の彼だ。 彼の目もまた、曇りのない目だった。何か吹っ切れた顔をしている。 「直哉。」 僕は彼の表情を見た。 何から話したらいいのか。考えを巡らせていると彼から口を開いた。 少し、思い出話でもしようかと・・彼が言う。 「直哉がうちの大学に入った時大騒ぎだったんだよ、アルファか、優秀なベータしかいない理工学部にオメガがくるって。入ってきた君はすごくきれいな子だった。いろんなヤツがお前に声を掛けたくて遠巻きに見てたのに。直哉が笑いかけたのは俺だった。優秀なアルファの中で平凡で埋もれてた俺だけに直哉が笑った」 彼が僕のことを話してくれるのは初めてだった。 「直哉はかわいそうな子だった。家族とうまくいってなくて。保障されている寮と授業料以外は全部自分でどうにかしなきゃダメだった。ご飯を食べさせて。服を買って着せて。俺が与えるのを申し訳なさそうにしながらも受け取る直哉が可愛かった、大学でみんなが遠巻きに見守る綺麗なオメガが頼るのは俺だけだ」 彼は小さく息を吐く。僕の大学の印象は違う。 「あそこはオメガには生きにくい場所だった。まわりは優秀なアルファが多くて、彼らはいつもオメガのくせにって見下してた、僕に親切めかして近づいてくるやつは、たまに値踏みする目で見てくるんだ怖かった、わざとフェロモンを当てられたことだってある。気持ち悪かった。健全に心配してくれたのは君だけだ」 当時のことはよく覚えている、大学に入って初めてたくさんのアルファを見た。彼らにとってオメガは一つ膜を張った向こう側のものだった、踏み込ませてもらえない疎外感を感じていた…彼の瞳が揺れる。 「結婚して、俺が家族と縁を切ったのも罪悪感を感じてたろ。お金もなくて生活もギリギリで直哉がどんどん生活に疲れていくのがかわいそうだった。それに直哉はうちの親のいやがらせで就職できなくてフリーで仕事することになったろ。どうせすぐ主夫になるなんて言って頑張って笑ってみせるのもかわいそうだった。でも直哉が俺がいないとダメになった。かわいそうな直哉は俺に釣り合ってると思った」 僕は首を振る。 「確かに僕は家庭ってものが分からなくて、生活するのにも四苦八苦だったよ、教わる人もいなかったし。でも、君とふたりで助け合って暮らすのは楽しかった。家族より僕のことを選んでくれてほんとにうれしかったんだ。だけどそれで、親に邪魔されて就職がうまくいかなかったのは君もだろ。生活のために文句も言わず働いてくれた。僕が卒業できたのは君のおかげだって思ってた。君にふさわしくなかったのは僕だ」 ゆっくりと瞳を合わすと彼の瞳はまだ揺れていた。膝の上で握りこんだ手に目線を戻す。 「直哉はどんどんそのフリーの仕事もうまくいくようになった、俺より稼ぐ月もあったし。うちの実家ともいつの間にか復縁しててやり取りしてた。俺のかわいそうなオメガはかわいそうじゃなくなってきた」 彼は顔を手で覆う。彼のプライドを砕いたのはきっとそれだ。知らず知らずに僕は彼の庇護の外に出た。僕はたまらず唇をかんだ。 「僕が頑張ることで君を支えたいと思ったんだ、僕は君から順風満帆な未来を奪った、君の足かせだった。僕は君が僕と一緒になったことを後悔することが怖かった、必死だった、完璧にしたかった。そうやって報いたかったんだ」 僕はがむしゃらだった、君だけが僕の居場所だったから。僕が頑張れば頑張るほど君が何も言わなくなったことに気づかないくらい。 「家族と復縁したのだって君がまじめに働いて実績を積んだからだ。優秀な跡取りがやっぱり惜しくなったんだ。僕に連絡してきたのはむこうだ、生活を保障してやるから橋渡しをしろと言ってきた。僕がアルファを産めばその子を認めてやると言った。不遜な言い方だったけど、君には帰る場所があった方が良いと思ったんだ」 君はほんとにキラキラした人だった。真っすぐで優しくて。彼の家族がやったことは許せないけど、相手が僕じゃなければ変わらず君を愛している家族だ。 「俺は直哉の事情につけ入ることでしか。俺の矜持は満たされなかったんだ」 「僕は君のプライドを無視して理想を押し付けてた」 「営業先の彼女もかわいそうなオメガだった、ヒートに煽られてなし崩しに関係を持ったが、弱い人間の側は居心地がよかったよ。直哉が弱くなるのはヒートで苦しんでる時だけ、その時だけ俺を一心に求めてくる俺のかわいそうでか弱いオメガ…」 勝手な理論だ、僕だって強く見せてただけだ。 それが、彼を寂しくさせてたなんて。 僕は心拍数が上がって心なしか震えてしまう。 自分を落ち着けようと腕を抱くと余計震えを意識した。 「俺は慢心してた、直哉が俺から離れるなんて考えもしなかった。直哉には俺しか頼る人間がいないんだからって。正直、前の面談で会うまでは、直哉が俺と別れようとしているのはシェルターのやり口なんだ、直哉の本心じゃないんだって思った。俺はお前の優しさに付け込んで甘えて傷つけて信頼関係を壊した。直哉が言う通り、俺は何度も何度もお前を傷つけていたのにその重大さを分かってなかったんだ。お前を引き留めるメッセージアプリだって毎日送ってた、あれでも誠意を見せてたつもりだったんだ。あとで、赤木さんに直哉がスタンプに傷ついてたって聞いて…俺はそんなことにも気遣えずに、とことん直哉を追い詰めてたんだって思い知った。 家に帰って改めてあの部屋を見て回った。ほんとに…何もなかった、直哉の居た痕跡が何一つ。どういう思いでこの部屋を片付けたのか。俺はなんでこうなるまで気づくことができなかったんだろう、直哉のいないあの部屋で生活して分かった。匂いがしないって言うのは身を切るくらい辛いことだった。 直哉の言う信用できないって言うのが身にしみた。お前の覚悟を思い知った」 バキッと言う音がしてそちらを見ると小橋君が口元を引き結んで怒った顔をしていた。手にしていたペンが二つに折れていた。 「俺はさ、俺に釣り合うかわいそうなオメガしか見てなかった。ものすごく最低だろ?」 彼はまた目を上げて僕を見てくる。目には覚悟が滲んでいる。 この期に及んで嫌われようとするなんて彼はなんてバカなんだ。 しびれるような沈黙に機械の高い音が聞こえてくる。 「君に悪役じみた格好つけは似合わないよ」 彼は目を見開いて息をのんだ、そして少しだけ目を伏せた後、声を震わせた。 「あの直哉を苦しめてたメッセージアプリの相手、彼女だったよ。彼女は俺以外のアルファとも同じようなことをしてトラブって逃げた、俺は結局そっちにもフラれたんだ」 「そうか。ざまぁみろだ」 ふっと息を吐くように笑った。自嘲じみた笑みだ。 「俺らは…やり直そうとしたってもう戻れないところまで来てたんだ。だから直哉にはとことん嫌われてやろうと思った。それで少しでも直哉の気が晴れたらって思った。せめて俺の家族にはもう直哉に関わらせないから安心して幸せになれよって言いたくて、縁を切るんだって決めてきた」 「嫌われてやろうだななんて自意識過剰だな、僕はもう他のオメガと寝た君を許せない。気持ちだってもうとっくの昔に整理がついた、それにここには僕の居場所があるんだ。だから君のところには戻らない。安心してって言うのは僕の方だ」 今度は僕から彼と目を合わす。 「僕、実は家族ができたんだ」 彼はぎょっとしてこちらを見た。リアクションが良すぎて笑ってしまう。 「養子になった、実家の家族とは縁を切ったんだ。今は6人兄弟の末っ子だよ」 僕は笑いが止まらない。 彼は照れた笑いを浮かべつつもおめでとうと言ってくれた。 久しぶりに二人で声をそろえて笑った。 彼は持ってきていた離婚届を机の上に置く。彼の名前もしっかり書いてあった。そして、僕が唯一捨てないで彼に返した結婚指輪も持ってきていた、彼も自分の結婚指輪を添える。 何も残ってないと思ってた。 「ヨシヒロ、僕は君と離れて今幸せなんだ、いい気味だ」 また、よりにもよって最後に彼の名前を呼んでしまった、涙があふれる。 「俺はこれから先もう他のオメガとは出会わない。直哉が俺の最後のオメガだ」 彼はうつむいて握りしめていた手をさする。 「そんなん言われてもうれしくないけんね」涙声でかっこつかないけど悪態をついてやった。 うっかり出た方言に彼がピクリと反応した。小さく「懐かしいな」と言って手を伸ばしてひっこめる。 僕の涙をぬぐうのはもう君じゃない。 「じゃあ、またいつか・・・」 「うん、また、いつか。さよなら」 彼は席を立って小橋君とミカ先生に深くお辞儀をして部屋を出て行った。 いつかなんてない。もうこれが最後だ。彼の匂いが、花の匂いがうっすらとする。 座ってなんていられなかった、追いかけた、扉の前で‥でも開けられなかった。 扉の向こうではエレベーターの扉が閉まる音。 その場に膝をついて崩れ落ちた、息が苦しい。涙が止まらない、まだありがとうも幸せだったも言えていない。 扉の前でうなだれる僕の肩を、小橋君が支えてくれてソファに戻る。 前回は部屋の窓から彼の乗る電車を見送った。 はっとして窓を見た、もしかしたら彼を見送れるかもしれない。 飛びついた窓から見下ろすと黒いセダンが止まっていた。見ていると玄関に彼が到着したのだろう、運転手が車のドアを開けて彼を迎える。あの運転手は彼の実家の運転手だ、彼は白いものを受け取って車に乗り込んだ。そうか、家に帰ったのか。「…良かった」僕は窓枠に縋りついて泣いた、僕が彼のために泣くのはもうこれが最後だ。 どれくらいか時間が経った。ミカ先生がお茶を淹れてくれた。言われてみればのどが渇いている、温かいカップを口に運ぶ。ゆっくりと息を吐くとミカ先生が肩を抱いてくれた。 「今度おいしいプリン持って行くわ」子ども扱いだ。僕を甘やかしたいんだな。 「楽しみにしてます」僕はお茶を飲み切ってテーブルの上に空になったカップを置いた。 そして、彼のはずした指輪と僕の指輪を手にとって握りこむ。窓に近づいて開けてから思いっきり投げた。 面談室を後にして階段から自分の部屋に帰る。仏壇の位牌に手を合わせた。昇華した気持ちは供養されるだろうか。彼が運転手に手渡された白いものはハンカチだろうか、だとすると彼も外では泣いていたのかな。 僕はまた下着以外全部を脱いでベッドに潜り込む。ベッドに染みこんだ自分の匂いをしっかり嗅いで眠る。 僕にはもう未来しかないんだ。

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