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第17話 事件と危機

それから2週間が過ぎて11月に入った頃。僕は予定通り運転免許の本免を受けて無事免許を取得した。お母さんとのデートも叶って素敵なカフェへ行った。初めての約束をちゃんと果たせた。なんだか人間になった気分だった。毎週水曜日は涼介さんの家に行く日になって、涼介さんの家に遊びに行くのにも少し慣れた。晩御飯を作って二人で食べたりしながら過ごす時間は穏やかだった。 その日は水曜日で駅前で用事があったため涼介さんと待ち合わせをした。 涼介さんが遅れると言うので駅中のコーヒーショップで本を読みながら待つことにした。 前の席に人が立つ気配がして僕は顔を上げた。目の前に立っていた女性はハイブランドと思われる服を纏ういかにもお金持ちな感じの若くて綺麗な人だった。なんとなく、目線の強さに違和感を感じて見上げた。 女性は「座っていいかな?」と確認をとるわりに了承も待たず向かいの席に座ってしまう。 空いている席ならたくさんあるのにおかしいなと思いつつも。僕はまた本に目を落とした。 「…ちょっと忠告させていただける?」 急に話しかけられて顔を上げると女性は僕の前にネイルをきれいに施した指でずいっと名刺を出してこちらを挑むように見てきた。僕が見たのを確認した後。名刺はしまってしまった。 「あの人は今あなたに狂ってる、あなたもできるだけ上位のアルファに寄生したいって必死なのでしょう。オメガのフェロモンってほんと厄介ね。でも、あの人は簡単に手を出して良いアルファじゃないの。伴侶を得るなら仕事も社交も支えられるアルファでなければいけないのよ…おばさまたちみたいに。お爺さまは私を彼の伴侶にと押してくれているの。今は気の迷いで相手にされてるからって…縋りついたってなれて愛人よ。身の程をわきまえず番う前に身を引きなさい」 そこでやっと理解した、あの人と濁して言っているが涼介さんのことだ、そして、先ほど見せられた名刺についていたロゴマークは涼介さんの弁護士事務所のロゴマークだ。女性は明らかに僕を挑発していた。 「今日僕に会いに来ることは涼介さんやお母さんたちに言ったの?」 僕が尋ねると彼女の顔はみるみる不機嫌になり「馴れ馴れしい、あなたのお母さんじゃない」って低い声でうなった。「あの人の特別は私だけなんだから」と言いたいことだけを言って去って行こうとしたので、僕は追いかけて彼女の手を取って引き留めた。つい反射で動いた僕はそれが彼女の狙いだと気付かなかった。彼女は僕をドンと押す。シュッという音が聞こえた瞬間甘ったるい匂いが広がった。 一拍置いた後、彼女は叫んだ。「助けて、ヒートテロよ、オメガがいる!」と。 僕は驚いて何も言えなかった、そして、コーヒーショップにいた男の人に乱暴に取り押さえられた。その男の人はベータだそうだが 「こいつ最低だな、すごい匂いがする」と言っている。 僕は瞬く間に押さえつけられて身動きが取れなくなった。 ヒートじゃないと訴えても聞いてくれなかった。 僕を取り押さえたベータの人は背中にかばった彼女が準備した抑制剤らしきものを僕の口に強引に入れてそのまま手のひらで口を塞いだ。ミカ先生が言っていた…きつい抑制剤は毒だ、僕は青くなる。 甘い味が広がった、唾液がじんわりとあふれてくる。これを飲みこんだらどうなるのかと悪寒が走る。今すぐにでも吐き出したいと思うが口をふさいでいる手は飲むまで離れないだろう。のどがコクリと動いた。少し飲んでしまったみたいだ。 そうすると胃がふわっとして血が一気に引くのが分かる。末端から冷たくなって震えが止まらなくなった。どんどん震えの振り幅が大きくなり、痙攣のように大きくのたうつとやっと口から手が離れたみたいだ。できるだけ口に入れたもの吐き出したが動けない。いくら息を吸っても足りないと思った、僕はとうとう意識を保てなくなった。大好きな人の顔が浮かぶ。 「涼介さん…助けて」 そこからは真っ白だった。 目が覚めた時、僕は呼吸器がついた状態でふかふかの布団に寝かされていた。電子音が聞こえる。まだ体が重くてもう一度寝ようと思った、腕に温かさを感じてそちらを見ると涼介さんが寝ていた。濃いまつ毛が濡れて震えている。綺麗な寝顔だった、泣かないで欲しい。僕はまた吸い込まれるように眠りについた。 僕はそうやって二日ほど寝て覚めてを繰り返した。 しっかりと起きて居られるようになってやっと状況を把握できた。僕が寝かされていたのは病院でも特別室と呼ばれる個室だと知った。窓側のソファには牧野のお母さんたちとそれを支える兄弟がいて。ベッドの側では涼介さんが僕の手をさすっていた。涼介さんは僕と目が合うとぼろぼろと泣き出してしまった。 「涼介さん、泣かないで」 久しぶりに出した声は力が入らなくて呼吸器の音より小さかった。ベッドの脇にはお母さんたちも駆けつけた。 「おかあさんも泣かないでよ」 すぐにお医者さんが呼ばれ僕は診察を受けた。飲まされた抑制剤は違法なものだったらしく抜けるのに時間がかかったそうだ、まだ治療が必要なため1週間は入院が必要だと診断された。 お母さんが僕の前髪を掻きあげてくれる。僕は笑って見せたけれど、その瞬間お母さんは泣き出してしまった。こんな強い女性を泣かせてしまうなんて。お母さんの肩をお父さんが抱きとめてさすっている。僕は涼介さんの方を見た。涼介さんは僕のおでこにキスをくれた。 僕が起き上がれるようになったのはその三日後からで、僕はお母さんと涼介さんから交互におかゆをあーんとされている。弱った僕はどうやらみんなの庇護欲を掻き立てているらしい。かいがいしく介護されたが。トイレの扉を閉めるのを拒否された時は本気で怒った。涼介さんは僕といる間はずっと手を握ってくれた。 ただ、誰も事件のことには触れなかった。 「涼介さん…仕事は?」 涼介さんはうつむいて小さく「休んでいる」と言う。お母さんの方を見るとうなずくだけで、それ以上は答えてくれそうにない、僕はまた天井を見上げた。 薬が抜けてからの回復は早くすぐに面会が許された、病室にはみんながお見舞いに来てくれた。 晴斗君も久しぶりに会った、お座りができるようになっていた。ベッドの上をハイハイして手を広げる姿は最高にかわいくて癒された。カオリさんは5か月目で妊婦さんなのに来てくれた。小橋君がバスケのディフェンスみたいにカオリさんの周りをうろうろしているので怒られてて笑った。 テル君も水原さんも元気そうだった。水原さんは髪の色がアイスブルーだった。結婚式当日は何色にするのか今から楽しみだ。 皆から元気をもらって予定通り1週間後に退院の日となった。朝から牧野の両親と涼介さんが迎えに来てくれた。最後の診察を受けて僕らは牧野家に帰ってきた。 リビングには真由美さんと裕子さんが待っていた。二人が揃っているのを見て僕は少し緊張した。 僕を襲った人は二人のことも知っていたからだ。 案の定。二人は僕の事件の説明に来ていた。 僕を嵌めたのは裕子さんの従姉妹の娘さんだった。涼介さんの勤めている法律事務所に彼女はインターンとして入ってきた。涼介さんは彼女が入ってくる時、大叔父からよろしくと言われていたためフォローしたのだが、それが彼女の自分は特別という勘違いの原因になったという。小さい頃から裕子さんに憧れていて慕っていたため、自然と涼介さんも慕うようになったのだが、涼介さんは一向に振り向いてくれないばかりか、自分以外の人と婚約した。相手がオメガだということも彼女は気に入らなかった。急な婚約はきっと騙されているに違いないと勝手に思いこんだそうだ。僕達がヒートで番ってしまう前にどうにか排除したくて機会を狙い。ちょうど僕と涼介さんが駅で待ち合わせていることを聞きはさんで今しかないと行動を起こした。ちょっと脅かして身を引かせようという魂胆だったらしい。 動機も計画性も幼稚だ。だが、結果は最悪だ。 今回僕が飲まされた抑制剤は一般に出回ることのない強い薬だった。そのため僕は痙攣を起こして意識を飛ばした。僕はその薬を全部飲まずに吐き出していたのにだ。もし全部飲みこんでいたらと思うとぞっとする。僕を抑えつけたベータの男の人は彼女の知り合いだったそうだ。 概要は分かった。でもそれはつまり事故にして欲しいってことか。 牧野のご両親も真由美さん裕子さんも怒った顔をしていた。 だけど、僕は身体的にはダメージを負ったが、果たして僕の隣でうつむいている涼介さんの心はどれだけのダメージを負ったのだろう。この人はどうして何も言わないで泣きそうなのだろう。これは問いたださなければ。 僕は涼介さんの手を引いた。 「すみません、二人で話をさせてください」 そう言って、僕の部屋に連れて行った。 涼介さんをベッドに座らせて見つめた。 「涼介さん」 涼介さんは小さく返事をした。涼介さんらしくないな。僕は涼介さんの肩を乱暴に押した。抵抗もなく涼介さんはおとなしくベットに倒れこんだ。 「ちゃんと僕を見て」 僕は涼介さんの両足をうんしょと持ち上げベットにのせて馬乗りになる。 されるがままの涼介さんに僕は自分から襲い掛かることにした。涼介さんに以前されたように耳に唇を寄せ、舐めてみる。ピクリと動くのでそのまま耳たぶを甘噛みしたあと、下あごから上へ舐めあげる。おでこにキスを落として上唇を甘噛みした。やりたい放題だ。涼介さんは僕を見ている…涼介さんの頭の横に肘を置いてぐっと距離を詰めた。そして今度は唇を合わせる。何度も触れるだけのキスをした。 「僕が傷ついていると思うなら涼介さんが癒してよ」 僕はもう一度。涼介さんの唇に唇を合わす。 「さぁ、口を開けて」 大人しく開けたところを涼介さんの真似をして口内を丁寧に舐めた、それでも薄い反応しか返ってこない。僕を見ているのに何も見えていない目をしている。こんなのいつもの涼介さんじゃない。 僕はもうどうして良いのか分からなくて泣いていた。もう続けられなかった。 何でこんなに近くにいるのに距離を感じるんだ。 「今僕を傷つけているのは何も返してくれない涼介さんだよ」 僕は涼介さんの肩に手を置いた。いくつも涙が落ちる。 「ね、何を考えているの?教えてくれなきゃ分からない」 分からないんだよ、言葉で伝えてくれなくちゃ。僕は涙を止めることもできなくて馬乗りになるのをやめてベッドの隅に座ろうとした。離れようとした僕を追って涼介さんが後ろから抱き込んでくる。だけどたった今僕から引いていたのは涼介さんの方だ。僕は暴れて逃げる。逃げると捕まる。捕まると逃げるを繰り返して。 僕はくたくたに疲れてしまった。 「もういい加減にして、僕から距離をとろうとしたのは涼介さんだろ、さっさと手を離せよ」 僕は抱きしめられたまま泣いた。 「ごめん、泣かせたいわけじゃない。ナオが俺のせいでいなくなったらって思うと怖かった。ナオが助けを求めているのに助けられなかった。あんな目に遭わせたのは俺のせいなのに、俺は眠っているナオの手を握るしかできなかった」 肩にぐりぐりと頭を押し付けてくる。 「僕だって怖かった。でも今回のことは僕のせいでも涼介さんのせいでもないはずだ。涼介さんがずっと側にいて手を握ってくれてたの分かってたよ、ずっと温かかった嬉しかった。涼介さんがいてくれて良かったって心から思ってた。でもそれを涼介さんが否定するなら僕はどうしたらいいのか分からない。それなら一生不幸でいてやる」 僕はうなだれた。言葉にできないイラつきが全部涙になって流れていく。 「僕には不幸が似合ってたんだ。僕はこの2か月ほんとに幸せだった、今日までありがとう、ごめんね」 「なんで…別れ話みたいになってる」 「話し合いにすらならないんだ、ならもう僕らに未来はないよ。臆病になるならその不安を教えてよ。どうにもならないって言うなら僕に慰めさせてよ、それもさせてくれないなら僕ら一緒にいる意味なんてないじゃないか」 そこまで言ったのに涼介さんが僕を離してくれない。ほんとうにひどい人だ。 「俺はナオを幸せにしたい。不幸になるなんて言わないでくれ」 「涼介さんが僕の幸せを否定したんじゃないか。側にいることしかできないなんて僕はそれしか望んでない」 僕はポケットの中のキーケースを取り出して涼介さんの部屋のプレートを外そうとした。その手を涼介さんが止めてくる。 「許して、ナオ。俺が間違ってた。ナオを抱きしめさせて。ナオの側にいる事を許して。ナオが離れたら俺の生きている意味がなくなる」 「じゃあ教えて涼介さんは何をして欲しい?」 「―― 俺を許して抱きしめて欲しい」 涼介さんの懇願にときめいたのは言うまでもない。 「いいよ、バカ」 僕は涼介さんの腕の中で反転し見上げた。そして膝立ちになって涼介さんの頭を抱きしめる。 「次からは不安になったからって僕から離れようとしないで。僕だって涼介さんが離れたら生きていたくない」 涼介さんはやっと僕としっかりと目を合わせた。今見ている瞳はいつもの涼介さんだ。うれしくて涙が出る。 僕は興奮が過ぎて一気に力が抜けた、ベッドに沈み込むと涼介さんの手を握った。 病院でも感じた温度だ。僕たちはどうやら別れずに済んだみたいだ。 ほっと息をつきつつ、涼介さんの腕の中は居心地が良いと思った。 つかの間二人でお互いを確認するように抱きしめ合った、僕の髪を梳く手が優しい。 今日初めて涼介さんがキスをくれた。 「もっと…」 僕が顔を寄せると、涼介さんがニヤリと笑う。 「さぁ口を開けて」 僕の真似をした、僕は一気に顔が赤くなった。それでも僕は素直にそれに従った。涼介さんの舌は僕がやったのと同じようにゆっくりと口内を撫でていく。優しい思いのこもったキスは僕を幸せにしてくれる。 「こんなキスをしておいて、僕から離れようなんてひどい人だ」 「俺の王子様からのキスは効果抜群だったよ」 「涼介さんは僕に何を遠慮しているの?何に迷ってるの?それは僕に言えないこと?」 涼介さんは目線の高さを合わせると。 「もう一つ考えている事がある」 涼介さんが真面目な顔で僕を見た後、僕の顔に手を添えて親指で頬を撫でる。 「俺は今回のこと事故にしたくない」 それは僕の心の奥底にしまった願望だった。 薬まで使ってオメガを陥れておいて事故で終わりなんて僕は嫌だと思った、これから大きくなる晴斗君だって見も知らぬオメガの子も同じ目にあわされたら今日ここで事故にした僕を僕は許せない。でも、それを言い出したら困るのは涼介さんであり、真由美さん裕子さんたちだと思ったからだ。 「その顔、我慢してたのはナオもだね」 僕の頭を撫でて。 「皆に話そう、これからのこと」 僕らはまたリビングに戻った。 涼介さんのお母さんたちはハッとした表情でこちらを見ている。お父さんとお母さんはキッチンにいて何か作業をしていた。 「話し合いは無事に終わった?」 ソファに座る僕らにお父さんが聞いてきた。僕はうなずく。 「僕らは婚約者のままです」 涼介さんの手をぎゅっと握った、涼介さんは握りなおして指を絡めてくる。 「そんな話にまでなってたの…」 お母さんがつぶやく。 「俺がダメになってた、ナオが俺を戻してくれた」 涼介さんは家族を見回した後。 「俺は今回のことを事故にしたくない、ちゃんと陽の下にさらして裁きたい」 「僕も同じことを考えています。彼女は明らかに僕を狙って行動を起こした。これは事故ではなく犯罪だ」 牧野のお父さんは腕を組んで 「よく言った、僕にできることは助けるよ」 とにっこり笑ってくれた、牧野のお母さんも隣でうなずいている。 真由美さんと裕子さんは 「ごめんなさい、私たちが不甲斐ないばかりにその決断をあなたたちにさせてしまった」 僕は真由美さん裕子さんを見る、今気づいた少しやつれているように感じる。 「僕や涼介さんのことを思って言い出せなかったんですよね、僕もみんなのことを思うと言い出せなかった。だから、涼介さんが言い出してくれてすごくうれしかった」 お母さんたちは涼介さんの方を見て 「ありがとう、涼介」 と優しく笑っている。 涼介さんが僕を見る。 僕も涼介さんににっこりして見せた。

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