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第18話 コーヒーと僕の卒業
それから僕らは被害届を出した。
防犯カメラの映像や、僕の当日着ていた服を証拠として提出した。
驚いたのは同僚の、特にアルファの皆さんが今回の事件にすごく怒っていたということだ。こういうバースに関わる事件は、いつも有耶無耶にされやすい。巻き込んだ方も、巻き込まれた方も悪いと判断されることが多いそうだ。
おかげで、涼介さんが僕の看病に集中できるようにいろいろとフォローをしてくれたらしい。
生活も、一人で生活するシェルターより病院が近く、ケアできる牧野家の方が適していると言うことで長期の外泊許可をもらった。お母さんたちとの暮らしはすごく穏やかだった。
すぐに日常は戻った。
そして、僕は今日、真由美さんとお母さん、お父さんに連れられて真由美さんのご実家のデパートを訪れていた。クリスマスイブに行われる、テル君と水原さんの結婚式に着て行くスーツを買うためだ。
今回はセミオーダーにしてもらった。スーツを買うのは初めてだった。僕にはスーツのことは分からないので、お母さんたちに言われるがまま着替えをした。真っ白のスーツに白のシルクハット、金色のモノクル、白いマントは真由美さんの趣味だった。たくさん写真を撮られたので何かあるのかもしれない。
結局選んだのは、織りに個性のあるグレーのスリーピースのスーツで中のベストはシングルの襟付きベスト。ポケットチーフと同じ紺色のネクタイに、パステルピンクのワイドカラーシャツを合わせた。明るい茶色の革靴と組み合わせ、王道の取り揃えとなった。
僕の月のお給料の1/2は使った。それでも、満足できる買い物だった。
ランチは涼介さんも合流するということで、涼介さんの事務所の近くの和食の店へ行くことになった。それまでには少し時間があったので、お母さんたちとはいったん分かれて、お父さんとコーヒー豆を買いに行くことにした。デパートの近くにはお父さんのお気に入りの喫茶店があって、コーヒー豆はいつもそこで買うそうだ。
クラッシックなドアの小さなお店だった。
店内は二人掛けが2つ、カウンター席が4つあった。飲みたい珈琲のイメージを伝えるとマスターが作ってくれる方式らしく、メニューはブレンド一つだった。お父さんは、必要なグラム数とコーヒー二つとマスターに伝えて、僕と二人掛けのテーブルに座った。
「ここのコーヒーは僕のおすすめなんだよ。ナオ君を連れてきてあげたかったんだ」
そう言いながら手元を見ていた。
「せっかくだからナオ君に話そうと思ってね。ナオ君の今回の事件はほんとに、僕も久しぶりに怒髪天を衝いたね。もしも涼介が言い出さなかったら僕があの場で言おうと思ってたんだ。僕も以前ヒートテロに遭ったことがあるって聞いたろ。僕はベータだから大丈夫だったけど、一緒にいた道子さんがひどい目にあった…事件のことだけじゃない。道子さんが圧をかけてオメガのヒートを誘ったんだろって言われたんだ。僕は、彼女もアルファであっても守るべき女性だと思ってたから驚いたし憤った、それくらい世の中は偏見がまかり通ってたって痛感した。相手をすぐ捕まえたこと、相手が発情促進剤を持っていたことが決め手になって、僕らの言う事が正しいと判断されたが、僕らに対する暴言は捜査上必要なことだったと言われて謝罪はなかった」
そこでいったん話を切った。マスターがコーヒーを運んできたからだ。コーヒーの香りは少し甘くさわやかな香りだった。
「道子さんはあの事件で犬歯をとる決心をした。彼女の、このコーヒーの香りに似たフェロモンはもう誰も感じられないんだ。ナオ君は強い子だね。僕は君と縁があって親子になれてほんとにうれしいよ」
「僕も今すごく幸せです、お父さんとご飯を作ったり、リビングで寛いだり。こんな風に相談に乗ってもらったり…初めてのことばかりだけど気持が温かくなる、ありがとうございます」
お父さんはちょっと悪い風をよそおってあごに手を添えると。
「それにしても君ら二人はよく部屋に籠って話すよね。自分の部屋にお気に入りのアルファを連れ込むのは求愛だそうだよ、僕はベータだけどね。オメガとアルファの行動学は良く調べてるんだ」
と言った。
そう言えば、お父さんからこの手の豆知識が良く飛び出していた。僕は恥ずかしくて珈琲を飲んで気をそらそうとして失敗した。「おいしいコーヒーなんだから味わって飲もう」お父さんに言われてしまった。
マスターが僕らを見てお手製のスコーンを出してくれた。お父さんは「こうやって食べ物を与えるのも求愛だよ」と唸ってマスターをみやった、マスターはにっこりと返していた。
集合時間も近くなったので待ち合わせ場所に行くと、涼介さんがもう到着していた。手を振って駆け寄ると反対側からお母さんたちも来ていた。
お母さんが事前に予約してあったので店に入るとすぐに個室に通された。街の中にあるとは思えないくらい店内は静かで落ち着いた雰囲気だった。お母さんたちの男の子はお肉でしょと言う理論はここに来てもぶれないらしく。僕と涼介さんはステーキ懐石になった。お母さんたちはお魚を選んでいた。
涼介さんを見ると前髪を立てて後ろに流しており、綺麗なおでこが見えていた。僕は買い物の成果を自慢した、涼介さんは真由美さんが僕のサイズをすべて把握済みだから「アドバイスをもらったら良いよ」と言った。真由美さんは目をキラキラさせて「是非」と言うので「よろしくお願いします」と頭を下げた。
涼介さんも服や小物などは真由美さんにアドバイスをもらうことが多いのだそうだ。そうやってコミュニケーションをとるのが、ここの親子のカタチだと感じた。素敵だなと思う。
ご飯を食べ終わりふーっと息をつくと、あと10分ほどで涼介さんのお昼休みが終わる時間となっていた。皆も食事が片付いたタイミングで涼介さんは書類を出した。捜査が始まったこと年明けには書類送検されること。
あらためて、示談には応じないことを決めた。
いま彼女はインターンを取り消され、大学院は休学となったそうだ。
僕には何も言うことは無い。
涼介さんはそのまま仕事に帰ると言うので店の前まで見送りに出た。涼介さんは、僕が牧野家にお世話になり始めてから牧野家に帰ってくるようになっていた。
「涼介さん、今日はありがとう。おいしいコーヒー豆を買ったんだ、帰ったら一緒に飲もう」
涼介さんはにっこり笑って
「速攻で仕事終わらせて帰るよ、楽しみ」
と、人目もはばからず抱き寄せて僕の頭にキスをした。ここは涼介さんの会社の近くなのにそんなことして良いのかと見上げると、涼介さんも驚いた顔をしていた。無意識だったらしい笑ってしまう。
僕が見送り終わるタイミングで、お母さんたちもお店から出てきた。
「若さって良いわね」
と言われたことで見られていたことに気が付いた、僕はたまらず顔を覆った。
「君らは本当に初々しいね」
とお父さんがニコニコしている。
涼介さんは宣言通り定時で帰ってきた。
やはり、会社の近くだったこともあって見られていたらしく揶揄われたと言っていた。
平穏を取り戻し、診察はミカ先生に託されたのでシェルターに帰る日が決まった。
でもシェルターに帰るのはこれが最後になる、と言うのも涼介さんの出した申請の許可が下りたからだ。僕は11月30日をもってシェルターを卒業することになった。
そのあとの生活は、牧野家の実家の空き部屋を借りることになっている。両親に近いことと、家族の目があることが防犯的にも安心できるからと言う理由だった。
僕は最近ぼーっとしていると指輪を撫でる癖がついたみたいだ。今もソファに座って指輪を撫でていた。僕の斜め前でラグに座る涼介さんは難しそうな本を読んでいた。僕はそっとソファから下りて涼介さんの隣に座る、そうすると腰に手が伸びてきてぎゅっと引き寄せられた。そのまま、僕の手を握ってまた本を読んでいる。僕は涼介さんの肩に頭を寄せた。
「牧野の両親や家族、涼介さんのご両親、シェルターのみんなにも良くしてもらって。僕は今まで願っても叶わないと思っていたことが次々に叶ってる。これからは旅行も行こう、いろんな土地で美味しいものが食べたい。きっと二人なら旅行も楽しいよね」
僕は握られた手をさらに絡めるようにして握り返した。
「僕の家族像ってうっすいの。家族で公園でお弁当を食べたいってね、あれ、僕が小学校高学年の時、じいちゃんの家から家出をして弟たちが住む町まで行った時に見たんだ。お母さんとお父さんと弟が公園で3人でお弁当を食べてた。その時見た光景が僕の家族ってもののカタチだったんだ。でも、今はそれ以上の家族ってものを毎日見せてもらってる、僕はもう家族を手に入れてるんだって今は思ってる」
涼介さんは本を読むのをやめて僕を見ていた。僕は涼介さんを見てにっこり笑う。
「急にどうした、ナオ」
「僕は幸せだなって言ってるんだよ、今のままでもこれからもきっと。だから、シェルターを卒業したらヒート関係なく僕は涼介さんと繋がりたいと思ってる」
「ナオが隣にいれば俺も幸せだよ、俺たちのスピードで仲は深めて行こうな」
「僕には二人でいることも贅沢だ」
涼介さんが本を置いて向き直って抱きしめてくれた。背中に手をまわして肩におでこをのせた。この穏やかな生活がこれからもずっと続く。僕が今まで得られなかったものがほとんど叶った。ほとんどが。
シェルターに戻るとミカ先生が玄関で待ち構えていた。
ミカ先生はほんとに過保護だ。僕をさっさと診察室に押し込んだ。そしていつもの検診をし始めたのだが手が震えている。見ると目にいっぱい涙をためてこらえていた。
「私がいないところでなんて事件に巻き込まれてるんですか!ナオ君。どんだけっ!!どんだけ心配したか…」
とミカ先生は泣き始めてしまった。そうすると奥の扉から赤木さんや小橋君、カオリさんまで出てきた。カオリさんに抱きつかれてお腹がぽよんと当たった。妊婦さんなのにとあわててしまった。
「ナオ君。元気そうでよかった。病院でも元気そうだったけど…ナオ君、ナオ君」
カオリさんのぽよんとしたお腹からポコッとされた。
「カオリさん、今蹴られました。お腹!!」
カオリさんは抱き着いていた手を解くと両手で涙を拭きながら。
「そう、すごく元気で良く蹴るの。誰に似たんだか…」
僕はすぐ小橋君を見た。小橋君は歯を食いしばっていた。カオリさんが離れたのを見計らって体当たりするくらいの衝撃で僕に抱き着く。
「ナオ君、被害届出したんだって?ありがとう。俺はナオ君を誇りに思う。こんな事件が少しでも無くなれば良いのに、バカなアルファが…かわいそうなオメガが…バースに振りまわされて傷つく人が少しでも減れば良いと思う。だけど、大変だったな…。ほんとに心配したよ。元気そうで何よりだ」
小橋君が僕の肩を力強くバンバンと叩く。小橋君を押しのけるように今度は赤木さんだ。赤木さんは抱き着いたりはしないけど僕の手を握って、ただもう静かに泣いていた。
「ナオ君、ほんとに無事でよかった」
それはすごく深いため息のような一言だった、改めてみんなが心配してくれていたのを感じた。
皆はひとしきり僕が無事なのを確認して、ミカ先生と僕を残して診察室を出て行った。
ミカ先生がカルテをトントンと叩いている。
「引継ぎで聞いたわ、ヒートが不順だって」
僕はコクリとうなずく。本来ならもう来て良い頃なのだが前兆すらない。
「今のところまだ2週間ってところね。今回は事件もあったし。遅くなっても不思議じゃないわ」
僕はもじもじしながらも本題を言う。
「このタイミングで言うのも変なのだけど。僕はヒートの時にしか…したことが無くて…ヒートが無い時も…で…で…できる?」
ミカ先生が一拍置いて顔を赤くさせた。
「なに、木下に強引に迫られたの?あのバカ」
ミカ先生が怒り出すのであわてて止める。
「次の木曜、シェルターを卒業するから僕から涼介さんを誘惑したいんだ。でも、ヒート以外でしたことが無くてヒートが来てなくてもできるのか心配で…」
ミカ先生はカルテで顔を隠した。カルテを叩いていた手は机をトントンとすごい速さで叩いている。
「大丈夫…できる。ただ男の子は分泌物が出るくらい興奮しないと難しいかもね。その場合は市販のローションなどを使ってゆっくりと交わるって言うやり方もあるけど」
ミカ先生がもう真っ赤になってうつむいてしまった。僕もそれが伝播して顔が赤くなるのをやめられない。でも、他に聞く人がいないのだ。
「ナオ君、こういうことは私より木下に直接聞くのが一番よ。それが一番手っ取り早い。強いて私からアドバイスするなら初心者だから優しくして欲しいって真摯に伝えることよ」
と教えてくれた。僕には目から鱗だったけど。あとから聞いたら一番の悪手だったそうだ。
ミカ先生は既婚者だがバイブルは少女漫画で恋愛は初心者だった。
僕は木曜日までの4日間でまた、部屋を片付けることにした。パソコンはすでに牧野家に置いてあるので持って行くものは小さなお仏壇セットとクローゼットの中のものだけだ。
ここに来るときは段ボール2個だけだったのに。いつの間にこんなにたくさんのものを抱えたんだろう。
服は誕生日にもらったスーツケースに詰めた。はじめて涼介さんに逢った時の戦闘服。夏の花火の時の浴衣。お母さんたちと買い物に行って選んでもらった洋服。
増えたものは服だけじゃない。赤木さんからもらったひざ掛け。牧野家のブランドのシャンプーやリンス。整髪剤なんかもたくさんある。テル君からもらった水原さんの絵本。慎平さんに買ってもらった変なご当地人形。元実家から取り戻した位牌。
どれも思い入れのある消すことのできない大事なものだ。
木曜日は快晴で、お迎えには牧野の両親が来てくれた。
シェルターの小橋君を筆頭に赤木さん、ミカ先生、カオリさんも見送りに来てくれた。サヨナラじゃないから涙はない。
僕はみんなに何を贈ろうか悩んで結局絵を描いた。赤木さんは思い出したように「そう言えばナオ君彼の顔が分かるかって聞いた時クロッキー帳を出したわね」と笑っていた。そう言えばそんなこともあったな。
すごく遠い昔のように感じる。
秋から冬に季節が変わる。海の色も変わっていた。
僕はこのシェルターで三つの季節を過ごした。
ここでの想い出は濃い。生まれて初めて僕自身を価値ある人間だと言ってくれた。ひたすら甘やかされた、大切にされた。どの思い出をたどっても僕はひとりじゃなかった。これから先もここが僕の根柢だ。
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