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21.一歩-2
あっという間に秋も深まって、冬の気配に体を竦める。千歳とクラスが離れている今年は、寒さは死活問題だ。屋上で過ごすのはもう厳しい。とは言え、もちろん昼食は一緒に食べられる。そのために、尊は毎日A組に通っている。問題は、ふたりきりになれない点だ。キスができない、千歳にくっつけない。さすがに干からびそうだ。
土曜日、十八時。バイトを終えた尊は、店舗裏の出入り口から外へ出た。今日は以前接客をした客が、また尊に相談に乗ってほしいと来店してきた。しばらく会話をしたその人は二点購入してくれて、店長にも褒めてもらえた。気分がよく、すぐに千歳に報告したくなる。
《今日はピアスふたつ売れた》
短い文章を送る。今日は塾だと言っていたから、終わった後に気づいてくれるだろうか。だがすぐに既読マークはついた。珍しい、と思っていると、間髪入れずに電話がかかってきた。出入口すぐで立ち止まっていた尊は、急いで画面をタップし通りへと出る。
「もしもし」
『花村。今電話平気?』
「平気」
『よかった。えっと、声聞きたくなってかけちゃった』
「ちー……そっか。塾は?」
『今終わったところだよ』
嬉しい、嬉しい、嬉しい。連絡を取る時は、もっぱらメッセージだった。千歳の選ぶ言葉と声が、寒空の下で体中に沁み渡る。歩きながらなんてもったいない。千歳との会話をじっくり味わいたくて、尊はアクセサリーショップのすぐ傍で立ち止まった。通行人の邪魔にならないようにと端に立ち、目を閉じる。
今日はどうだった。昼にはなにを食べた。他愛ない会話を噛みしめていると、空いたほうの耳に尊を呼ぶ誰かの声が聞こえてきた。
「あ、いたいた尊ー」
「ん? あ、椎名さん」
「あ、悪い。電話中?」
「ちーごめん、待ってて――大丈夫っす。なんすか?」
どうやら椎名は、ピアスをふたつ売り上げた尊への労いとして、夕飯に誘ってくれるところだったようだ。ここは先輩の誘いに乗るべきだろうか。
「どうする? 用があるならまた今度でもいいけど」
「えっと、じゃあ……」
『花村!』
行きます、と言いかけた時だった。胸元まで下げていたスマートフォンから、千歳が尊を呼ぶのが聞こえた。切羽詰まったような声に、胸騒ぎを覚える。椎名に断りを入れて、千歳に返事をする。
「ちー? どうし……」
『っ、花村、椎名さんとご飯行っちゃうの?』
「え……」
尊の返答に被せて、絞り出すような声が届いた。どうしてそんなに苦しそうなのだろう。思わず言葉に詰まると、千歳の息を飲む音と鼻を啜った切ない声が続く。
『オレ……花村に会いたい』
「っ、ちー……椎名さんすいません! ご飯また今度でお願いします!」
「おー、了解」
お疲れっした! と頭を下げる。ひらひらと手を振る椎名は、なるほど彼氏ね、と笑いながら送り出してくれた。申し訳ないとは思うが、なりふり構っていられなかった。千歳からこんな風に懇願されたのは初めてのことだった。
陽が落ちて外灯が照らす街は、土曜日なこともあってか賑わっている。人々の間を小走りに進んでも、一歩一歩がもどかしい。
「ちーどこにいんの?」
『塾の前。そっちに行く』
「待ってらんねえ、俺も行く」
アクセサリーショップと千歳が通う塾は、電車で五駅ほど離れている。同じ市内ではあるが、一秒が惜しい今は舌打ちが出る。改札を走り抜け、ホームへの階段を上がりながら中間の駅で会う約束を取りつけた。
先に目的の駅に到着し、改札内で千歳を待つ。塾のある方面から電車が入ってきた音がして、階段が大勢の人を吐き出す。その中に、急ぐ千歳をすぐに見つけられた。だが人波に逆らえず、待つことしかできない。
「花村!」
「ちー!」
駆け寄ってきた千歳に抱きついてしまいたい。それをぐっと堪える尊の腕を、一瞬も立ち止まらず千歳が引っ張る。
「ちー?」
「まだ時間ある?」
「俺は全然平気」
「じゃあこっち」
改札を出て、腕を引いたまま千歳は歩き出す。どこかを目指す確かな足取りと、千歳には珍しく有無を言わせない雰囲気。白い息を細切れにしながら歩いていると、小さな公園が現れた。千歳は迷わずそこに入り、振り返ったかと思うと尊を強く抱きしめる。
「うお」
「花村、花村っ」
必死な様子に、尊も胸をいっぱいにしながら抱きしめ返す。
「ちー」
「オレ、オレ……」
「うん」
「どうしても会いたくなって……急にごめん」
「全然ごめんじゃねえよ、すげー嬉しかった……俺も会いたかったから」
「花村……好き、大好き」
「ん、俺も」
電話の向こうで聞いた、切ない声で千歳はそう言う。リュックと背の間に手を入れてさすると、うう、と呻いて肩に擦り寄ってきた。
久しぶりに触れることができて嬉しい。会いたいと言ってくれて嬉しい。こんなに必死に好きだと言ってくれて、死にそうなくらいに嬉しい。許容量を超えた幸福に、鼻の奥がツンと痛む。コートを着こんでいても体温を感じたくて、千歳の髪を撫でながら頬を重ねると、あまりに冷たい。このからだで温められたらいいのに。そのまま擦りつけると、千歳は更に強く腕に力をこめた後、少し離れて額をくっつけてきた。
「花村。キス、したい」
「ん……俺も」
くちびるを合わせるだけでいられたのは、ほんの数秒だけだった。熱い舌にくちびるを割られ吸いつくと、両手で頭を鷲掴みにされる。口内をかき混ぜられ、指は地肌をくすぐるように這いまわる。
「あ、っ、ちー、んんっ」
「は、あ、花村」
背中に甘い痺れが走る。立っていられなくなりそうで、千歳の腰にしがみつく。堪らなかった。もうずっと、ずっと我慢していたのだ。昼休みの教室でこっそり手に触れたりはしたけれど、キスは先月の昼休み以来だ。深いキスができたのは、最早いつだったか。たくさん我慢した、千歳の邪魔をしたくなかったから。でも千歳のほうから必死に求めてくれている。頭がどうにかなりそうだ。
「は、ちー、ちょ、待って」
「やだ」
「あっ、ちー、耳やば、あ」
ちょっと息継ぎをしたかっただけなのに。千歳は拗ねた顔をして、耳に口づけてきた。なんだこれ、やばい。耳の中に熱い舌が伸びてきて、思わず逃げようとすると「だめ」と言ってやんわり歯を立てられる。やばい、やばい。強引な千歳も、そんな風に触れられるのも初めてで、腹の奥がずんと重くなる。張り詰めたパンツの下に気づかれたくなくても、少しでも離れようとすれば引き戻されてしまう。だからすぐに分かった、千歳も同じだ。
「ちー、やばいって……」
「うん、でもどうしよ、やめたくない」
「ん……っ」
誰もいないとは言え、ここは外だ。どんなに昂ぶったところでどうしようもない。止めるしかない、だがやめたくないのは尊だって同じで参った。駄目だと思いながら、ゆるゆると体をくっつけ合う。冷めることも急速に滾ることもない、とろ火にかけられているような快楽が頭をぼーっとさせる。――千歳のこの様子だと、ここがもし家だったら、最後までしただろうか。そんなことを考えれば、椎名に言われた言葉がふと蘇る。
『それ、彼氏に言った?』
言ってみようか。抱かれたい、と。たった五文字を浮かべるだけで息が上がるが、久々の体温に甘えたくなる。
「ちー、あのさ」
「ん? ……花村、顔赤い」
「あ、馬鹿ちー、んん」
「ごめん、だって、花村かわいい」
瞳を覗くと、妙なことを言って強く擦りつけられてしまった。かわいいわけあるか。かわいいのはお前だろ。そう言いたいのに、ぐるぐると籠る熱に慌ててしがみつく。今日の千歳はやはり強引で、押しが強くて、ぞくぞくする。
「ちー、俺、俺」
「うん」
「俺な」
「うん」
途端に恥ずかしくなって、千歳の首にぎゅっとしがみつく。人の気配なんて変わらずどこにもない、ふたりきりの真っ暗な公園だ。それでも秘めた気持ちは、内緒話のように千歳へ渡したい。
「ちーに……抱かれたい、って思ってる」
「……っ! は、花村……?」
「ちーは? どっちがいい?」
今はどうか顔を見ないでほしい。離れそうなからだに、そうはさせまいと腕を強く巻きつける。呼吸が小刻みになってきた千歳が、尊の首にくちびるを押し当てる。
「っ、オレ、花村は、挿れるほうがいいんだろうなって、思ってて」
「……ちがう」
「だからオレ、その、覚悟しなきゃって思って、でもなかなかできなくて」
「いい、要らない。覚悟なら、もう俺がしてる」
そういう雰囲気になった時、いつも慌てるようにはぐらかしていた千歳を思い出す。そうか、そんな風に考えていたからだったのか。そりゃあそうだ、言わなければ分からない。千歳の本音を欲しがるくせに、抱かれたいと伝えられていなかった。
「花村……いいの? 本当に?」
「ああ。ちーのこと好きになって、そしたら俺、ちーにされたくなった」
「は、あ……オレ、本当は……花村のこと抱きたい、って、ずっと思ってた」
「んっ、やば……」
伝えられたことが、抱きたいと言ってもらえたことが、夢のように嬉しくて体中に満ち満ちる。椎名のおかげだと思うと不本意な気もするが、あのひと言がなければ今日の機会にもきっと言えなかった。
重なった想いに、またひとつ千歳に近づけた気がする。額を合わせて、笑い合ってキスをして。「でも今日はできないね」とふたりして鼻を啜って、更に張り詰めたそこをぶつけあった。確かめ合えた喜びは最高でも、これは本当にどうしたものか。離れてしまうのが手っ取り早いと分かってはいるが、そんなの今はいちばん酷だ。
自動販売機であたたかいココアを二本買って、冷たいベンチでどうにか体を鎮めた。修行僧にでもなったような気分を覚えながら、帰る時間をなるべく伸ばしたくてちびちびと飲んだ。
「そろそろ帰らなきゃな」
「……うん」
「風邪ひくし」
「……うん」
「なあ、この公園知ってたのか?」
「ううん。ゆっくり話せるところ、電車で調べた」
「ああ、それで。でもファミレスとかもあったろ」
「それは……ファミレスじゃキスできないし」
「へえ。ちーのえっち」
「っ、だって!」
「ありがと。俺もしたかった」
「……じゃあ花村もえっちだね」
「だな」
「はは」
口では聞き分けのいいことを言って、やっぱり名残惜しくてじゃれ合って、手を繋いでくちびるをもう一度重ねる。絡めた指も、甘い舌もあたたかくて。ふたりして鼻を啜ってしまうから、泣き虫になったなと笑い合う。
今日みたいな時間は、しょっちゅう取れはしないだろう。むしろ、受験本番に向けて千歳はラストスパートをかける時期だ。支えになりたい、応援したい。千歳が一心に前を向くから。なかなか埋まらない寂しさに切なくなっても、千歳とだからできるこの恋だから。負けじと自分も頑張れると、尊は改めて心を強くする。
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