15 / 23

第15話 秋の神 湫憂

 神世に来て十日ほどが過ぎた。晴は変わらず、白瞑と穏やかな日々を過ごしていた。  神世のことも、少しずつわかってきた。  神世には神様とその眷属が暮らしていること。日の神と月の神が一日を作り、それを軸に神世が成り立っていること。四季の神々が作る四つの区画があり、それを間と呼ぶこと。神々はそれぞれ過ごしやすい季節の間に暮らしていること。  夕暮の神である薄明の屋敷は、秋の間にある。屋敷内には白瞑と晴の他に、眷属のリスが仕事をしている。 「リスさん、お洗濯物お願いしてもいい?」  晴は衣服を抱えて、リスに声をかけた。リスがコクコク頷いて、小さな手で衣服を受け取った。 「ありがとう」  鼻をヒクヒクさせて、リスが洗濯室に入って行った。 「晴、おはよう」  廊下の向こうから白瞑が歩いてきた。その顔色が、何やら曇って見える。 「おはよう、白瞑。何かあったの?」  白瞑が思い悩むような顔をした。 「うん……今朝、ね。報せがあったんだ。今日これから、秋の神が屋敷に来る」 「秋の神様が? どうして?」  白瞑の屋敷に晴が来たから、顔を見に来るのだろうか。 「ちょっとね、大変なことになっているみたいで」 「大変なこと? 何があったの?」  白瞑が言いづらそうに目を逸らした。その表情に不安になった。 「神々が御饌を受け取れず、神力が弱っているのですよ」  後ろから声がして、晴は振り返った。線が細い長髪の神様が、物憂げな顔で立っている。 「湫憂(しゅうう)……」  白瞑が息を飲んで、晴の肩を引き寄せた。その姿を、男性の神が困った顔で眺めた。 「子リスに案内してもらって、勝手に入らせてもらいましたよ、白瞑」  男性の神が晴に歩み寄った。 「君が御厨守の晴ですね。初めまして、私は秋の神、湫憂。いつも美味しい御饌をありがとう」  湫憂が、柔らかく笑んだ。 (優しい笑顔だ。雰囲気が白瞑に似ているかも。悪い神様ではなさそう)  秋の神は豆のスープが好きな神様だ。マンネリしないように、いつも味を変えて出していた。 「こちらこそ、食べていただいて、ありがとうございます」  晴はぺこりと頭を下げた。晴の頭を、湫憂がふわりと撫でた。その仕草も、白瞑に似ている。 「あの……神力が弱っているって、どういうことですか?」  不安な気持ちで問う。湫憂の視線が白瞑に向いた。 「やはり、話していないのですね」 「これから話そうと思っていたところで……ごめん」  湫憂が困った顔で息を吐いた。 「仕方のない子ですね。私から話しましょう」 「いや、ちゃんと私から……」 「悠長に構えていられる事態ではないのですよ」  湫憂の空気が、ピリッと張り詰めた。 「そんなに大変なことが、起きちゃったんですか?」 「えぇ、君がここにいることが問題です」 「……え?」  驚く晴の肩を引き寄せて、白瞑が晴を抱いた。 「うわっ」  晴の体が白瞑の胸に倒れ込んだ。 「晴は悪くない。私が狭間から無理につれてきたんだから!」  白瞑が声を荒げた。 「無理にじゃないよ。僕が白瞑と一緒にいたいから、付いてきたんだよ」 「晴……」  白瞑が眉を下げて、目を潤ませる。 「合意であっても、同じです。御厨守が消えて、御饌を作る者がいなくなった。神々に御饌が届かず、皆が困っています」 「え……? 新しい御厨守が、来たんじゃないんですか?」  湫憂の視線がまた、白瞑に向いた。 「晴は伴侶候補として連れてきた。これまでだって、神の伴侶になった御厨守はいた。その度、御厨守の補充があったじゃないか」 「伴侶になった御厨守はね、確かにいました。伴侶になれば、中央から新しい御厨守が補充されますよ」  湫憂が確かめるような言い回しをした。 「伴侶候補という半端な状態では、中央に御厨守の不在は伝わらない。今でも御厨守は晴のままです」 「そんなわけ……いままでだって、伴侶候補はいたはず……」  白瞑の顔色が変わった。 「伴侶予定の伴侶候補と、伴侶未定の伴侶候補では扱いが変わります」  湫憂がぴしゃりと言いきった。  白瞑が蒼白な顔で口を引き結ぶ。その顔を、晴は見上げた。 (白瞑、勘違いしちゃっていたのかな。僕が、ちゃんと伴侶になるって言わなかったから、白瞑にも神様たちにも迷惑かけたんだ)  今この瞬間も、お腹を空かせた神様がいるのだと思うと、胸が痛い。  湫憂がたくさんの短冊を手に出した。 「この十日で溜まった御饌の短冊です。神は御饌を食さなければ神力を維持できないのです。だからこそ、御厨守との契りは慎重でないといけません」  湫憂が厳しい目を白瞑に向ける。 「私も軽率だったとは、思うよ。けれど、晴を手放すことだけは、できない」  白瞑が悲痛な面持ちで俯いた。 「ならば、今すぐに伴侶の契りを交わしなさい。そうすれば、中央から新しい御厨守が来るでしょう」 「それも……できない」  白瞑が唇を噛んだ。晴の胸が、ぎゅっと軋んだ。 (僕の気持ちが、まだ決まっていないから)  白瞑は、晴の気持ちを優先してくれている。有難いと思う反面、居た堪れない。 「ならば、晴はいますぐ狭間にお戻りなさい。気持ちが決まらないまま、半端なままでは御厨守はいつまでも晴のままですよ」  晴は息を飲み込んだ。湫憂の言葉は、きっと正しい。だからこそ、痛い。 「今、戻ったら……僕はもう一度、神世に来られるのですか?」  恐る恐る問い掛ける。湫憂が首を横に振った。 「ここで狭間に戻れば、晴は白瞑の求婚を断ったことになります。二度と神世には上がれません」  ドクっと、心臓が嫌な音で鳴った。 「だったら、今すぐ伴侶に……」 「ダメだよ、晴」  晴の言葉を、白瞑が遮った。 「それは晴の本当の気持ちじゃない。私は、晴に後悔して欲しくない。気持ちが熟してから、私を選んでほしい」  目線を合わせて、真っ直ぐに見詰められた。白瞑の気持ちが沁みてくる。 「そう思うなら、気持ちが熟してから連れてくるべきでしたね、白瞑」 「それは、そうだけど。そんなことしていたら……」  湫憂の指摘に、白瞑が言い淀んだ。 「晴に関しては、目を付けていた神が他にもいましたから。焦る気持ちは、わからなくもないですが」  湫憂が困った顔をした。 「だからこそ、反感を買うのです。自分の立場をわかっていますね」  厳しい目が白瞑に向く。晴の気持ちが焦った。 (どうしよう。このままじゃ、白瞑ばかりが悪者になっちゃう。僕にできること。できること、なにか……)  湫憂の手元にある短冊が、目に入った。 「ここで、御饌を作ります」 「え?」  驚く白瞑の腕をすり抜ける。湫憂が持つ短冊を手に取った。 「白瞑の御屋敷には、立派な台所があるから。そこで神様たちの御饌を、僕が作ります」  短冊を、ぎゅっと握り締める。懸命に湫憂を見上げた。 「作らせてください、お願いします」  深く頭を下げた。頭の上で、湫憂が小さく息を吐いた。 「急に瀕した状況です。仕方がないですね」  晴は、勢いよく頭を上げた。 「ありがとうございます!」 「しかし、短冊はこの数ですよ。一人で作れますか?」  短冊は湫憂の手の中で山盛りだ。それでも、晴は頷いた。 「今日中に、作ります。きっとお届けします」 「私も手伝うよ」 「うん! ありがとう、白瞑」  白瞑が手伝ってくれるなら、百人力だ。晴は湫憂に目を向けた。 「御饌は晴に託します。今後のことは、この短冊の御饌を作ってから話し合いましょう」 「わかった」  白瞑が、真っ直ぐに返事した。  晴は白瞑と目を合わせると、頷き合った。 「早速、始めます」  湫憂から山盛りの短冊を受け取ると、晴は小走りに台所に向かった。

ともだちにシェアしよう!