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古月をくだく(六)

 万紅雪(ワンホンシュエ)が去った後、死体と一緒にいては落ち着かないと施敗(シーパイ)がいうので、無乃(ウーナイ)も仕方なく彼にくっついて相応に弔っていた。  身近にあった木くずを手に土をほじっているのだが、埋め戻しているのか、はたまた草をひっこ抜いているのか、袖をおさえて柔和な顔をしているとまるで花でも蒔いているようだな、と施敗は気が抜ける。  二人目の亡骸を施敗が穴の中に投げ入れたところだった。  上衣を脱いで息を入れなおし、すうと吐き出しきって覚悟を決めると、掘り出した土の前に立つ。いっぱしの武術家のように向き合うので、無乃は何をするつもりだろうかと手を止めて面白そうに眺めていた。  まるで緊張感の漂う決闘を見守る気持ちである。いざ重心を落とした施敗に「お、」と無乃も前屈みになる。と、施敗が飛びかかった。土の山を肩で押し、まるで取っ組み合うようだ。穴を埋めるというよりは猪が泥を浴びるよう。信じられないことに彼はそうやって土を被せようというらしい。  誰か彼に道具を使うことを教えなかったのか? 「施敗、泥が落ちるまで部屋の中へ入ってはいけないよ。もうすぐ大雨が降るだろうから、良かったね」  と無乃は鷹揚に構えて微笑んだ。  確か浴室があったような気もしないでもない。温泉が枯れていなければいいと思っていると、次第に黒雲が渦をまいて風が強く吹きだした。指先でさらさらと土を削り落としていた無乃はその一瞬、ものすごい風の力に背中を押され、施敗が一刻ちょっとかけて掘った穴に自ら頭を突っ込んでいった。 「無老大(ウーろうだい)――!」  施敗が慌てて手を止めたが、豪快に土をかけていたところに飛び込むようにして転がり落ちたのでさにあらん。  施敗が悲鳴の様な声をあげた。 「無老大! まさか死体と長くいすぎて狂ったか? 病なのか? でなければ自ら墓穴に飛び込むなんてどうかしてる……!」  壮絶な顔色で頭の痛そうな施敗に、無乃はフンと短く息を吐く。  死体に受け止めてもらって結果的に座りこむような体勢になっていた。ふんぞり返った姿のまま、騒ぐだけで助けようとしない施敗を目の端で冷ややかに見上げた。 「施敗、君が先にお湯に浸かってくるといい。私はその後に入るからね」 「……お湯?」 「向こうに浴室がある。温泉をひいてるようだから、先に入ってくると良い」 「無老大……その、運動があまり得意じゃないようだが、どうやって上がってくる気だ?」 「これくらいなら、自力でなんとかできるよ」  無乃はまるで柔らかな綿や羽毛の中にいるように落ち着いた口ぶりだった。施敗にはそれが、さすがの悪主座、屍の上でもでんと構えた姿が、どこか美しい容姿によく似合う。と内心褒め称えている。 「死体も気にしないとは、やはり悪逆の限りを尽くしたと言われるだけのことはある」  飛銀党などという素行が悪いだけのただのごろつきの集まりなどとは格が違う。つくづく妙に納得し、無乃を老大と呼べることに感謝さえ覚えるほどだった。 「それなら、お言葉に甘えて俺は浴室に……」  無乃が自分でなんとかすると言うのだから邪魔をするわけにもいかない。それにこの泥まみれの体を先に洗ってこいと気遣う無乃に、涙さえ出るほど感動していた。  くるりと向きを変える施敗は頭の中で浴室という響きに浮かれてもいるのだった。 無乃はやんわりと伏せていた目を開ける。  穴の中から施敗を見送った。若干の申し訳なさを覚えていた。言い回しがきつすぎやしなかっただろうか。  だが施敗に気取られるわけにもいかないのだ。落ちたとき、臀の下に敷いてしまった死体が、まだやわらかかった。  奇秀に変装した女性の体が、ゆっくりと僅かに脈を打ってもいるようで、それをあの施敗に言えば掘り起こすと言いかねない。  彼女に命を狙われていると知って一夜を過ごすのは賢明ではない。 「……仮死状態だったかな」  女性の体から少しずれて体勢を変え、首筋に触れる。下まぶたを捲って目をのぞき、さて? と首をかしげた。  隣の男の方はすっかり血の気のない肌の色だ。  逡巡して、無乃は微笑んだ。 「……埋めてやれば、自分が死者だと思い出すかもしれない」  起き上がろうとすればするほど体は沈んでいく。大変な思いをしながらやっとの事で立ち上がると、施敗の掘った穴は両手を伸ばせるほどの広さで、穴の高さは立ち上がって丁度腰の下の辺りである。さすがの無乃でも這い上がれた。  無乃はこの不気味な死体を早く埋めてしまおうと、雲をかくように残りの土をさっ、さっ、とかけている。  霧雨は次第にぽつぽつと大粒の雨に変わり、少したたないうちにざっとふりだした。 雨煙がまっ白に立ちこめているが、無乃は慌てなかった。最後に木の枝をさして瞼を伏せる。するとそこに、 「……無乃」  と、すぐ真後ろから焦燥をこらえた声が届く。 「ああ、小敗(シャオパイ)か? お湯は枯れてしまっていたかな? 丁度雨が降り出したから、私と一緒に体を流すか?」  施敗だと思ったのだ。  男女の死体がようやく土に隠れたので満足して立ち上がり、暖かいお湯につかれないのは残念だと呟きながら振り向くと、呼びかけたのは頭と顔に瘤だらけの暢達(チャンター)を引きずって歩いてくる羅冴流(ルオフーリウ)だった。  逞しい体に衣服が張り付き、雨粒が筋張った肌を這うように滴っている。  美しい髪を鬱陶しそうに掻きながら、羅冴流が曖昧な表情で微笑んだ。無乃はその寂しそうな顔にあっ、と衝撃を受ける。にこにこと目を細めて呼び間違えたことに気がついた。 「君だったか、つい施敗だと……」 「短い別れで、とっくに俺を忘れてしまったか」 「忘れられるはずがないよ」  妙に息の詰まるやりとりに汗をかく。片笑みを浮かべる顔がやはり寂しそうに見えて、無乃は慌てて視線を落とした。 「……彼、生きているのか?」  瘤だらけの頭を示して問いかけると、無乃と目があった羅冴流が途端、暢達のことがすっかり意識から抜け落ちたらしい。 「手を、握って……」  暢達を捨てるように手を放し、羅冴流は無乃の前に右手を差し出した。 「いいよ、手を握れば良いんだね」  唐突だなと無乃は驚きつつ、腰で入念に手を拭ってから羅冴流と握手する。さりげなくその親指をさすった羅冴流が頭を振った。 「逆の手だ。指輪を見せて」  無乃はにっこりと微笑む。  羅冴流の意図が掴めないなりに、咄嗟に手を後ろに隠した。 「それなら今外すよ。待ってくれるかな」  慎重に一歩後退りする。  指輪が嵌まっている親指は傷が化膿して腫れ上がっていた。指輪の通りを邪魔して外すのに時間がかかる。無理に引っこ抜こうとすると激しい痛みが走り、無乃は冷や汗を微笑の上に垂らしていた。 「取り上げたいわけではない」  羅冴流がもたつく無乃を優しく見つめて両手を後ろにまわした。無乃が引いた分だけ、さらに距離を詰めて近づいていく。  羅冴流は穏やかな顔つきのまま視線を落とす。 「……呪いをかけられたと聞いた」 「ただの傷だよ」 「放っておいたのか?」 「……小さい傷で、すぐ治る」  指輪を外せないというだけで十分だった。羅冴流は無乃の傷の悪化を見抜いて手を掴んだ。 「どこへ行くんだ……?」  雨に打たれながら羅冴流が足早に裏庭から歩いて行く。無乃の戸惑う様子に息を吐いた。 「浴室があるらしい。自分で脱げないなら、俺が脱がしてあげる。その泥だらけの体を綺麗にして、傷を、手当てしないと」 「だめだ、浴室には――」  水がたまり始めた中庭を無乃は足を引きずられるように突っ切って、羅冴流が浴室の戸に手をかける。無乃はその瞬間止めようとしたが間に合わなかった。 「施敗が……!」

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