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古月をくだく(十・終)
もし顎が外れていたら頭突きを食らわしてやろうと、男は内心決意していた。
生憎細い無乃 の腕では男の大口が外れることはなかった。
「毒を盛ったやつか……?」
恨みがましい目つきで無乃を睨み付けて、彼はふてぶてしく口を開く。
「医者は何人か来たが、肝心の崖柏木 を扱ったことのあるやつが一人もいない。悪名高いが晩景門の主座をどうにかおびき出せないかと算段を立てていたんだ。それを盗み聞きしていた不審な男がいて、暢達 が追っていったんだが、この様子じゃ逃したらしい。おそらく、俺とあの女に毒を盛ったのはそいつだと思っている」
「そう……追っていったんだね」
無乃は困った顔でこめかみにツンと指先を押し当てた。古い記憶を掘り出すように難しい顔をして、どうりで舟から近づいてきた暢達の様子がおかしかったのだと納得する。
「あの歯切れの悪さは、相棒を探していたわけではなかったんだね」
「あいつも頼りにならない男だ。どうして人を探しに行ってこんなうじゃうじゃと何人も連れて戻ってくるんだか……」
言葉の刺々しさに反して暢達にそそぐ視線は、胸の詰まるような苦しさだった。おそらく羅冴流の部下でもある二人。行動を共にすることも多かったのだろう。その無念さたるや、無乃にも痛いほど伝わっていた。
すると男は真っ赤な目を上げて羅冴流 ににじり寄った。
「幇主、信じてください。俺たちは別に密売をしようってわけじゃ……ただ、ちゃんと商売にしようとしていただけで」
あ、この男、ついに幇主と言い切った――
と、無乃は涼しい顔をして瞼を伏せていた。とうとう他人の口から羅冴流の素性が明かされたのを、「全く、幇主だなんて聞いてもいないし知りもしないよ、今日は一段と秋が深まっているらしいね」という顔をして、羅冴流の暗い顔に白を切る。
「崖柏木で国を買うつもりだったのだろう?」
無乃は身内同士の会話に割って入ると、穏やかな笑顔で近づいた。しゃがんだまま、すすっと膝を進める無乃に彼はむしろ怯えきって「わっ、」と逃げだそうとする。
近づくなと言いたげに頭を振り回し、無乃の言葉にふと間の抜けた顔をした。
「国だと? 誰がそんなもの……」
「ここにはもう一人、女性がいたと思うんだけれど、彼女はどこにいった?」
「女性? いるわけないだろ。俺たちはただ奇秀に化けて医者を呼び寄せていただけで……崖柏木でどうやって薬を作れば良いか、分からなかったから……」
「君たちの話を盗み聞きしていた人物は誰だ?」
「知るわけないだろ」
突き放す様な言い方に、無乃は両手を後ろに回し、「ふぅん」と立ち上がった。
「おっ? その珍しい木とやらは、これのことか?」
そのとき部屋の奥を見に行っていた施敗 が、細工を施した香木を抱えて戻ってくる。
無乃はそれを一瞥して、やはり、と憂う。
特徴的な雀眼模様がない。それに傍にいて香りに少しも気づかなかったのだから、あれは崖柏木ではない。
「羅冴流、施敗、帰ろう。どうやらつまらない騒ぎに巻き込まれただけだったみたいだね」
やはり本物は一本も残らず絶滅してしまったようだ。
それに奇秀も偽もの。
なんて収穫のない事件だろうか。もし本物そっくりなら翠致幇に献上して報酬をたっぷりもらうつもりだったのに。
などと心にもない事を胸の中で呟き、無乃は大きく息を吐いた。
「羅冴流、そういうわけで、大金は手に入らず、君を解雇できない。けれど君を連れて歩けば歩くほど、私はどれほどお金を稼がなくてはいけなくなってしまうんだろうね……」
なんて入り用な男だろう。無乃は嘆かわしくもらす。羅冴流はそのちょっと頬を膨らませた無乃の拗ねた顔に微笑して、どこか嬉しそうに視線を落とした。いつものように手を引いて外へ連れ出そうとしたとき、無乃は一瞬早く身をかわす。
――近づけさせてはいけない。
にこにこしながらも不穏なものを羅冴流に見ている。咄嗟に後ずさりをしたのだ。
ぴりっと空気が張り詰める。羅冴流の中途半端に伸びた手が虚しく閉じていくと、無乃は心を鬼にし、一結びの烟を求める様な手から目を背けた。一瞬動きを止めた羅冴流のこらえるような顔を、どうしても見ることができなかった。
「……段差がある、濡れているから、気をつけて」
「もちろん、言われるまでもない。気をつけるよ」
無乃は屈託無く答えてひらりと敷居をまたぐ。
優雅に泥濘 を避けようとかわした先で、どうやら羅冴流の心配が的中した。
両足を揃えて着地した瞬間、ずるっと体が滑り、視界がぐらんと大きくゆれた。
あ、倒れる――
あわやドキリと心臓が飛び出しかけた。慌てて足を突っ張ってなんとか踏みとどまり、鼓動を激しく上下させる無乃の背後では羅冴流も一瞬ゾッと脈が飛んでいた。無意識に伸ばした手をもどかしく握りしめる背後の気配など微塵も知らず、無乃は顔を染めている。
「あー、無老大 ……、毒殺した人物を、追うか?」
この不味い空気に耐えられなくなったのは施敗だ。無乃の答えをなんとなく想像しつつも、苦笑交じりにわざわざ口を挟んだ。首を縦に振ることはないと思っていたから、
「追わなくても良いだろう」
と予想どおりの返答にさらに苦笑を深める。
しかしふと、無乃は逡巡して振り返った。
「だが、やはり君に頼もうかな。一連の事件を引き起こした首謀者とみてもいい。それに私たちの近くにいながら、一度も挨拶に来なかったのだから、興味がそそられるね」
「よしきた! 俺たちに任せてくれ、無老大。必ずならず者を捕まえてみせる」
気持ちの良いほどはきはきとした施敗に無乃は笑顔を向ける。
「さすが、飛銀党の頭首だ。名前は徐明 といって、死相のある少女だが、見つけてくれるのだろう?」
「なに、少女……?」
施敗は大いに困惑した。無乃のいう徐明という人物と、息巻いて捕まえると宣言した捜索対象が別人だということはなんとなく分かっている。それにこの少女はどことなく嫌な気配がするのを、野生の勘と言うべきか、施敗は鋭く嗅ぎ分けていた。ともすると無乃が彼女のことを調べようとするのも怖いものがある。
「それは、ちょっと抵抗があるな、無老大……」
胸を塞ぐような違和感を覚えているが、施敗はそれが何かはっきりとしない。言い淀む施敗を前に無乃はのんびりと首をかしげた。
「君の熱意はそんな程度か。飛銀党は若者が多い。手分けをすればすぐに情報を掴めるはずだよ。万紅雪 と泳いでもそれほど差はなかったのだから、力も相当なものだろう。なによりこの老大が直々に頼んでいるというのに……」
と目元を触れておっとりと息を吐くものだから、施敗は混乱した。
「わ、わかった、なんとかしてみよう」
はく、と施敗は言ってしまってからたじろいだ。無乃の悲しげな顔に思わず口が滑ってしまったのだ。嗚呼、俺の意気地なし――! 声なく叫んで施敗は真っ青になっていた。
「施敗、暢達を埋めるための墓を、もう一基作るのを手伝ってくれるかな」
雷雨の過ぎ去った朝は清々しく、暢達を見る無乃の優しい瞳に、施敗はやはり断ることはできないのだった。
「無老大、俺が抱えていきますよ」
施敗は、仕方の無いお人だなあと暢達を抱え、下ろすのも忘れて調子よく穴を掘り進めた。無乃が「施敗、温泉でも掘り当てているのかな」と声をかけるまで夢中だったのだが、彼はひどく満足そうだった。
そのうち軽々と飛び上がって来ると、暢達の名前を刻んだ木札を立てて二人はしばらくとどまっていた。やがてどちらともなく腰を上げて歩き出す。
その背後の建物で、
「……幇主、すみません、まさか暢達が殺されるなんて思わなくて」
とすっかり意気消沈した男は、みすぼらしく鼻水を垂らしていた。
縛られたまま忘れられているこの男の傍に、羅冴流だけが残っていた。
視界の端には衣服を細くねじって縄代わりに、男を殴った無乃が映っている。
運動ができず、赤ん坊よりも歩くのが遅い無乃が、たった一人で縛り上げたらしい。その事実に羅冴流は疑いの目を向けていた。
悪主座ぶっているだけでは、なかったのか――?
くわえて自分の腕を猿ぐつわにして噛ませた度胸と、彼が言い放った鋭い言葉に当惑していた。
「晩景門を見張れと言ってあったはずだが、ここがその晩景門か」
羅冴流はひとまず無乃への疑問は飲み込み、きつく男を睨み付ける。すると彼はさらに体を小さくさせて項垂れた。
「暢達が、崖柏木を見つけたって言ったんですよ。晩景門はちゃんと見張ってました」
「女はどこから連れてきた」
「そこら辺の村の女です。こそこそ盗みを働いてたんで金になるって話しを持ちかけたら、着いてきました。素性は知りません」
「化けるのに性別も調べなかったか」
「奇秀のことですか? けど羅将軍に下賜されたって噂でしょ。女じゃないんですか……?」
羅冴流は戸惑う彼を一瞥して拘束を解いた。
「男だ――」
無乃の腕の印が瘢痕 によって消えているのを、浴室で確認していた。王朝が滅び、再び偽皇子と呼ばれて矢面に立たされた彼の身は、激流に呑まれるように翻弄されてきたに違いない。
流刑の地は知らされず、ようやく恩赦によって解放されたと聞いたとき、羅冴流はその身を引き受けようと探し続けた。それなのに、悪主座が殺したと掴んだときは焼けるような痛みに頭が割れたと思ったほど。
そして再び目の前に徐明の影があらわれるとは、一体どんな巡り合わせだろうか。
たった一度、彼女の呪術に縋った罪が、今になって降りかかっているのだろうか。いても立ってもいられず、このおさえがたい衝動を植え付けたのは、奇秀、君の手だ。飢えた獣のように彷徨い歩いた苦しみさえ君は知らない。
翠致幇を抜けたのも、義父の羅将軍を裏切ったのも奇秀のため。すべては彼と同じ道を、歩むために――
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