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太師青に降す(四)

「チッ、なんだってんだよ……、」  と、無乃は迷惑そうな声に我に返る。  吃驚して振り向く荷台の隅に、でんと大股を広げて手足を突っ張る青年がうさんくさい目を向けていた。鍋を頭に被って衣服は汁物で汚れ、馬が暴れてひっかけたのか、庇やら屋台の商売道具やら売り物やらがしっちゃかめっちゃかに絡まっていた。 「君の馬車か」  無乃は何をしているのかと澄ました顔で近づいていく。すると青年は股を広げたまま足を組んだ。 「そうだよ、俺の馬車だ」  文句でもあるのか? と言いたげなふてぶてしい顔だ。  彼は自分の姿がおかしみに溢れていることを全く悟らせない気風があった。 「ちょっとその姿はどうしたんだい」と少しでも噴き出せば逆に凄まじい剣幕で「何がおかしい?」と笑ったことを痛烈に責められてしまうような堂々とした感じがある。  なので無乃は「君のその出で立ち……」と言いかけたところで遠慮してしまって何も言えずにいる。彼は無乃の好奇心溢れる眼差しにクワッと目を剥くと、苛立ち交じりに丁寧に説明をはじめた。 「馬が突然走り出してどうしようもなかった。商品も従者も馭者も振り落とされて俺もこのまま死ぬのだと思ったところに、お前たちが――」  無乃は、「そうだろう」と、彼の言わんとしている事に気づく。誇らしげに台詞を引き取った。 「救世主が現れたわけだね」 「賊が乗り込んできたわけだ」 「賊だって?」  被せがちな青年の言葉は予想に反して唾を吐く勢いだった。  無乃は穏やかに微笑みながら、 「賊なんて、失礼すぎないかな」  と抗議するが、それを青年は「あ?」と不機嫌に睨み付けた。  馬の手綱を勝手に取り上げて物色したげに乗り込んできた無乃と羅冴流(ルオフーリウ)を交互に指さす。 「賊以外に何がある? 人の乗り物を奪った上に馬に跨がって俺をどこに連れて行く気だ? 馬を大人しくさせてくれたのは助かったが、俺がここにいて大声をださなければ盗んだことに誰も気づかない。これを賊以外になんていうんだ?」  まさに彼の喚く通りに無人だと思いそのまま拝借するつもりだったので、無乃は弁明の余地もなかった。  ただ事実を並べたら賊とやっていることは変わらない。たらりと汗を流して居ずまいをただし、ふぅ、と憂いに満ちたため息を吐いた。そして真っ直ぐ彼を見つめて大真面目に語り出す。 「急ぎの診察に行くところでね。私の足ではどうしても間に合いそうにない。なんでも鼻からは腐ったような透明な液体が流れ続け、口からは聞いたこともない不気味な声を四六時中発しているという。さらに体は鉄でも焼いたような熱さだというじゃないか。だから君の駿馬が走ってくるのを見て渡りに舟を得たと思ったが、これがいわゆる盗賊の所業で無情な仕打ちだというのなら、仕方がない。大人しくお縄につくよ。病人もそのときの命だと思って私も執刀を絶ち、謝罪と共に首をくくろう」 「ま、待て――」  無乃のつらつらと流れるような適当な言い訳を真に受けて青年が顔色を変えていく。  そんな無乃はどこからか小刀を取り出し、またどこからか縄を手にすると、今度は真っ青な顔を紙のように白くさせて、青年がハッと立ち上がり肩に取りすがった。 「俺の馬車で何をするつもりだ! 流血沙汰はご免だぞ! 首を、首をくくるって? 何もそこまでしなくていいじゃないか。足が欲しかったなら最初から言えば良いんだよ。俺だって馭者もいなくなったもんでどうやって青古墟へ行こうか困って、お前の仲間が馬を操ってくれるっていうのなら悪くない。早まった真似をするな。病人も必ず間に合う。おい、馭者、急げよ! でないとこの貧弱な医者が首をつってしまう!」 「本当に乗せてくれるのか?」  何度も頷く青年を見ておっとりと微笑む無乃は勿論、急患など依頼されていない。それは羅冴流も当然知っていた。  どこから出てきたのか、訳の分からない適当な方便に翻弄されている青二才とのやり取りを背中で聞きながら、羅冴流はよくも簡単に人を騙せるものだと無乃に呆れて息を吐く。  ――腐った透明な液体に、不気味な声……ただの鼻水と咳のことを、どうしてそれほど悍ましく言える。  青年は頭が真っ白になってそんな事にも気付かないらしい。 「それで、君も青古墟へ行くんだね」  無乃は未だに自分の姿を改めることもない彼の隣にちんまりと座りこんだ。 「新生面(シンションミエン)だ。自悲秋(ツーペイチウ)に招待されてるからな。少しばかり名の知れた隊商で、毎年青古墟で上物の青金石を仕入れてる誼がある。病人の世話の後にでも、お前たちも参加してみればいい」 「君は青古墟に詳しそうだね。実は月下評に参加したいんだけれど、青金石がまだ手に入ってないんだ。君が手伝ってくれたら、助かるのだけれど」  新生面はへっ、と得意げに笑った。 「なら、俺の親戚の診察をしてくれ。病を患って数年になる」 「どんな病だい? 頭痛かな、それとも関節痛かな」  自分が罹ったことのある病なら処置の仕方は知っている。軽い程度なら医者の真似事でも十分だ。しかし答える新生面の気は重そうだった。 「……今は歯が全て抜け落ちて、髪も次第に少なくなってる。魄不克に呪われてるって勝手に吹聴されてる。いろんな薬を試させられたが、効果はなかった」  この新生面の声色に無乃はゆっくりと口を閉ざしていた。  程度が軽ければなんとか……と無責任にも関わってしまうので、曲がりなりにも医者として通ってしまうのはそのせいだ。それが、まさか最後の頼みの綱とばかりに聞かされる病の重さには言葉を失った。 「……せめて力を尽くすよ」  力量を超えた治療を求められても、無乃にはどうすることもできない。ただ小さく相槌を打つので、精一杯だった。

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