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湯の神との出会い③
次の瞬間、凪の体がふわりと宙に浮く。つい先程まで感じていた灼熱の熱さは消え、呼吸が楽にできることに気がついた。凪は浅くなってしまっている呼吸をなんとか整えようと、必死に酸素を取り込んだ。
――俺、生きてるのか……。
自分の荒い呼吸が異常に大きく聞こえて、心臓が張り裂けそうなくらいに鼓動を打つ。凪は無我夢中ですぐ傍にある温もりにしがみついた。
「なんだ、まだ子供じゃないか。おい、人間の子供よ。こんな所で何をしているんだ?」
「……え?」
「こんな所で何をしているのかを聞いているのだ。其方、死ぬところだったんだぞ?」
凪が恐る恐る目を開けると、目の前には目を疑う程美しい男が自分の顔を覗き込んでいた。
濡れ羽色の髪は日差しを受けきらきらと輝き、そんな髪と同じ漆黒色の瞳。切れ長の涼しげな目元は彼を凛と見せる。その堂々とした雰囲気に、凪は一瞬で視線を奪われてしまった。
――なんて綺麗な男性 なんだろう。
凪はこんなに容姿の整った男を見たことがなかった。凪も美形だと村では評判だが、目の前にいる男は、見た目がいいだけでなく男の色気を兼ね備えているのだ。
あまりにも美しい男を前に、凪の顔が熱を帯びていく。鼓動がどんどん速くなり、うるさくて仕方がない。
「すごく綺麗だ……」
「ん? なんだ?」
凪は、そんな筋骨隆々な男に抱きかかえられていることに気付き、思わずつぶやいた後に言葉を失ってしまう。恥ずかしさのあまり、唇を噛み締めたまま俯いた。
「お前まだ子供だな? 年はいくつだ?」
「……十歳」
「そんな子供がこんな所で何をしてるんだ? 私が助けなかったら、お前は死んでいたところだぞ?」
「そ、そんなの、わかってる……」
「そうか。では、なぜ来たのだ。ここは、お前のような子供が一人で来ていい場所ではない」
「だって……」
恐る恐る顔を上げれば、明らかに激昂した男が自分を睨みつけていた。その射るような視線に、凪の視界がゆらゆらと揺れる。あまりの恐怖に、形のいい凪の唇が小さく震えた。
「だって……赤色と青色の獣が楽しそうにじゃれてたから……」
「赤と青の獣だって?」
「うん。その子たちが、神社の入り口にいる狛犬に似てたから気になって……後を追いかけたんだ……」
凪のその言葉を聞いた男が大きく目を見開く。自分は何かこの男の気に障るようなことをしてしまったのだろうか? 思わず全身に力を込める。あまりの恐ろしさに体が震えてしまいそうだった。
よく考えれば、今この男はぐつぐつと湧き上がり続ける源泉の中に立っている。いや、宙に浮いているのだ。先程まであれ程不快に感じていた源泉の熱風も、彼の足の下だ。
――なんなんだ、こいつ……。
考えれば考えるほど意味がわからず、凪の頭は混乱してしまった。
あの二匹の獣もこの男も、明らかに浮世離れしている。これは夢なのだろうか……と、凪は目をしばたたかせた。
「そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするな。私の名は湯玄 」
「湯玄……」
「そうだ。其方の名は?」
「俺は凪」
「凪、か……。なぁ凪よ。其方にはあの二匹の獣が見えるのか?」
「うん。見えるよ」
真剣な顔で自分を見つめる湯玄を見て、凪の鼓動が再び速くなる。こんなにも美しい男に見つめられることが照れくさかったのだ。
「すごく綺麗な獣だ」
「そうか。あの二匹の獣は普通の人間には狛犬にしか見えないのにな? 其方には見えるのか……」
「ん?」
「いや、なんでもない」
あんなに楽しそうに飛び回っていた獣たちは、源泉の隅で凪と湯玄のやり取りをじっと見ている。自分たちのせいで凪が源泉に落ちたと思っているのだろうか? ふさふさとした立派な尾と耳が垂れ下がっていた。
そんな獣たちを見た湯玄が「くくっ」と喉の奥で笑う。
先程より柔和な表情を見せる湯玄に、凪は胸を撫で下ろした。それと同時に、こんな穏やかな顔もできるんだ……と驚かされてしまう。
そんな湯玄を見て「この人もまるで獅子のようだ」と凪は思った。ふと、まるで闇夜のように黒い獅子が、凪の頭の中に思い浮かぶ。
湯玄は美しいだけではなく、勇ましさも兼ね備えている。凪は湯玄に視線だけでなく、心までも奪われてしまったのかもしれない。
胸がギュッと締め付けられるほど苦しくて……それなのに、多幸感に包まれる。こんな感情を凪は知らなかった。心臓がドキドキと高鳴って、頭の中が甘く痺れていく。
これはなんだろう……まだ幼い凪は、そんな感情の名前さえわからず、着物の胸の辺りをギュッと掴んだ。
「さぁ、子供はもう帰るがいい。境内まで送ってやろう」
「でも、俺もっとあんたと話がしたい」
「駄目だ。もうすぐ日が暮れるから帰れ。そして、もう二度とここに来るな。わかったな?」
「なんでだよ、俺、またあんたに会いたい!」
「ふふっ。威勢のいい子供だ」
湯玄の笑顔に胸が痛い。先程まであんなに恐ろしい顔つきをしていたのに、そんな風に笑うなんて……。
ずっと湯玄の傍にいたい。そして、もっと彼のことを知りたい。それなのに、凪の意識が少しずつ遠ざかっていくのを感じる。
「湯玄……」
凪は温かくて逞しい腕の中で、そっとその男の名を呼ぶが、男が応えることはなかった。
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