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出来損ないの花嫁③

 急な坂道を白無垢姿のまま上ることは困難を極めた。  頭に被った綿帽子は重たいし、普段から高級な着物など着慣れていない凪にしてみたら、立派な白無垢は邪魔にしか感じられない。 「はぁ、はぁ……あいつら、また源泉に行くのかな……」  滝を横目に、息を切らしながらようやく坂を上がりきると、目の前には見慣れた源泉が広がっているはずだったのに……凪は目の前の光景に思わず目を見開いた。 「すげぇ……」  湯滝村を流れる温泉は真っ青な空のような色だが、その源泉から湧き出る温泉が、満月の光に照らされてキラキラと輝いていたのだ。あまりにも神秘的な光景に、凪は溜息を吐く。夜の源泉がこんなにも美しいなんて、凪は知らなかった。 「綺麗だ……」  そのあまりの美しさに凪の心は熱く震えた。  もっと近くで見てみたい……そう思った時、源泉の水面が大きく波打ち始める。「なんだ?」と思う暇もなく、雷が落ちたかのような音と共に、地面が揺れ動く。次の瞬間物凄い量の湯気と共に温泉が飛沫を上げて空へと駆け上った。  ――これが間欠泉か……。  凪の両親や祖母から、一人で源泉に行ってはいけないと口を酸っぱくして言われ続けた理由が、今になってわかった。  間欠泉は囂々と耳をつんざくような音をたてながら、飛沫を上げ続ける。恐らく高温の温泉が噴き出しているのだろう。  次の瞬間、凪の周りは息さえできないほどの熱気にあっという間に包まれていった。 「ヤバ……! あつ……っ!」  あまりにも予想外の出来事に、凪は死さえも予感する。最後の最後まで考えの甘い自分を呪ってしまった。  湯煙で一瞬目の前が真っ白になり、何も見えなくなってしまう。その光景は、幼い頃源泉に落ちたときととても似ていて……凪は固く目を閉じた。  全身から力が抜けていき、ガクンと膝が折れる。白無垢が汚れちまう……と頭の片隅で思ったが、意識は薄れ、凪の目の前が今度は真っ暗になった。  次の瞬間、体がふわりと浮き上がり、温かなものに受け止められる。  ――あ、この感覚……。懐かしい……。  それは凪がずっと忘れることができなかった温もりと、逞しい腕だった。 「私の花嫁が、危ないところだったではないか。怪我はないか? ……ん?」  懐かしい声に凪はうっすらと目を開けたけれど、まだ少しだけ頭がぼんやりとした。 「なんだ、其方……男か? それにまだ子供ではないか?」 「……湯玄……様……」 「それにその顔には見覚えが……そうか、源泉に落ちそうになったところを私が助けた子供だろう? なんで其方がこんなところにいるのだ?」 「そ、それは……」  怪訝そうな顔をしながら自分を睨みつけてくる湯玄の視線が痛くて、凪は思わず顔を背けた。こんな雰囲気では、本当のことを言い出せるはずなんてない。 「いいから答えろ。なぜ其方がここにいる。ん? まさか……」  答えに窮していた凪だったが、何か勘付いたらしい湯玄。今隠していたって、いずれ話さなければならないことではあるし、そもそも格好から、隠し切れるものではなかった。凪は思い切って口を開く。 「そう、そのまさかだよ。俺が花嫁だ!」 「なんだと?」  湯玄の片頬がぴくッと吊り上がる。明らかに怒気を含んだ声色に、思わず全身に力が入り喉がひゅっと鳴った。 「俺、昔あんたに助けられたときに、あんたに一目惚れしちまった。だから俺は自ら花嫁に志願したんだ。確かに俺は男だけれど……でもほら見ろよ! 俺は女みたいに綺麗な顔をしているだろう?」 「一目惚れだと?」 「そうだ! わ、悪いかよ⁉」 「ついさっきまで寝小便をしていた子供が、惚れただなんて、簡単に口にするもんじゃないぞ。いいから帰れ帰れ」  大きく息を吐きながら凪を地面へと下ろそうとするものだから、そうはさせまいと凪も湯玄にしがみつく。 「確かに俺は子供かもしれないけど、本気なんだ! 俺はあんたにずっと会いたかった……!」  目頭が熱くなって目の前が涙で揺れたから、凪は白無垢の袖で涙をそっと拭う。 「それに、俺はあんたの嫁になって湯滝村を、椿屋を救いたいんだ」  拭っても涙が溢れ出してしまい、静かに凪の頬を伝う。凪は夢中で湯玄の着物の襟首を掴んだ。あの日と全く変わることのない美しい姿に、凪の胸が熱くなる。 「お願いだ。俺を花嫁として受けいれてほしい。あんたの嫁にしてほしい。お願いだ……湯玄様……」  はらはらと涙を流しながら凪は湯玄を見上げる。その漆のように真っ黒な湯玄の瞳に、吸い込まれそうになってしまった。  ――やっぱり、湯玄様は本当に綺麗だ。  ぼんやりとそう思ったとき、頬に柔らかいものがそっと触れる感覚に凪は目を見開く。 「え?」  凪の頬に触れたものは温かくて、とても柔らかい……。まるで真綿が頬に触れたようだった。  その柔らかなものの正体が湯玄の唇だとわかった瞬間、弱い雷に打たれたかのような電流が全身を駆け抜けていく。凪は慌てて頬を自分の手で押さえた。  湯玄は凪の頬を流れる涙を、唇で掬ってくれたのだ。 「確かに、其方は美しく成長した。今まで出会ってきた花嫁の娘たちに比べても、一番美しいだろう」 「じゃ、じゃあ⁉」 「でも、其方は男で、私は女が好きだ」 「はぁ!? なんだよ、それ⁉ 美人なら男も女も関係ないだろう⁉」 「関係あるに決まっているだろう? だいたい私は、子供には興味がない」  吐き捨てるかのように呟く湯玄の言葉に、凪の体が小刻みに震え出した。こんな言葉を投げつけられるなんて覚悟はしていたけれど……それでも、恥ずかしくて悔しくて、顔から火が出そうになる。  悔しくて仕方がないのに、湯玄を弱々しく睨み返すことしか凪にはできなかった。  湯玄は凪を抱き抱えたまま、源泉から少し離れた安全な場所へと連れて行ってくれる。そっと地面に下ろされた凪は、湯玄がどこかに行ってしまわないよう思わず湯玄の着物の袖を掴んだ。  それを見た湯玄が口の端を吊り上げる。 「しかし……其方は本当に美しい。白無垢もとても似合っている。可愛らしいぞ」 「じゃ、じゃあ、なんで……」 「だから、あと四年待ってやる」 「あと、四年……?」 「そうだ。四年後、お前が俺を唸らせるくらい美しく成長していたら……その時には考えてやる」 「嫌だ! 俺は今あんたの嫁になりたいんだ! 四年なんて待てねぇ! そんなに待っていたら、源泉が干からびちまう……」  凪が無我夢中で湯玄にしがみつくと、「不本意だ」と言いそうな顔つきで、それでも凪をそっと抱き締めてくれた。 「いいから出直してこい。とっておきの美人に成長して……」 「嫌だ! 俺は今日あんたの嫁になる! 床入りだって、上手くやってみせるから!」 「子供が生意気な口を……。お前のような子供に、私が欲情できるとでも思ったのか?」  湯玄の呆れたような声が耳元に響く。 「其方名前は?」 「凪だ」 「わかった、凪よ。其方にこれを授けよう」 「なんだよ、これ……」  凪は湯玄から手渡されたものを見て、眉間に皺を寄せる。湯玄に渡されたものは、なんの変哲もなさそうな、ただの石だった。  その石は緋色をしていて、凪の手にすっぽりと納まるほどの大きさだ。表面は磨かれたように滑らかだが、特別な石には見えない。  こんな石と引き換えに、大人しく引き下がれというのだろうか? 馬鹿にされたような気がして、凪は頭に血が上ってしまった。 「まぁそんなに怒るな。これは湯石(ふとうし)といって、温泉の効能をより高める効果があるとされている。更に私の神力も込めておいたから、効果は更に期待できるだろう」 「湯石……」 「この湯石があれば、あと四年はこの源泉は持ち堪えられるはずだ」 「あ……」  湯玄は何の考えもなしに、ただ男であり子供でもある自分を追い返そうと躍起になっているのだと思っていた凪は、恥ずかしくなってしまう。湯玄も湯滝村のことを考えてくれていたのだ。 「ごめんなさい、湯玄様」  凪は感情の赴くまま湯の神と崇めれている湯玄に、失礼な態度をとってしまったことを深く後悔した。ここに来る前に「口のきき方には気を付けろ」と注意されたばかりだったのに……。自分の不甲斐なさに心底嫌気がさした。 「本当にごめんなさい、湯玄様」  凪は深々と頭を下げ、先程湯玄から受け取った湯石をそっと両手に包み込む。凪が頭を垂れた瞬間、綿帽子についていた飾りがシャラッと音をたてて静かに揺れた。 「ほう……」 「え? なんだこれ」  凪の手の中になった湯石が、赤い光を放ちながらどんどん熱を帯び始める。それは手では持っていられない程の高温になっていた。 「光ってる……それに熱い! なんなんだこの石は」 「これはこれは……。其方は狛犬が獅子に見えたり、湯石に変化をもたらしたり。実に不思議な力を持っている」  それを見た湯玄が、満足そうに目を細めた。 「いいか、凪、もっと美しくなれ。私が欲しいと思うくらいに」 「あ、待って! 行かないで。俺も連れて行って」 「また会おう、凪」 「待ってってば!」  湯玄の体が空色の光に包まれ、少しずつ薄くなっていく。  ――消えちゃう……。  そう思った凪は、咄嗟に湯玄との距離を詰めたがその体に触れることはもうできなかった。まるで霞みたいだ……そんな湯玄を見て凪は思う。  穏やかな笑みを浮かべながら、湯玄は湯気のように消え去ってしまったのだった。 

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