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椿屋にやって来た湯の神②

 凪は憂鬱だった。  昔は炊事場に流れ着く温泉も豊富だったのに、今は小さな池のようだ。最早この温泉も止まってしまうのではないか? と不安に感じてしまう程、湯量が少ない。  今まで手がかじかむことなく洗濯もできたし、汚れた茶碗も洗うことができた。この温泉が止まれば、店の使用人はきっと寒い思いをしながら炊事をすることになるだろう。そう思えば、やはり湯滝村にとってこの温泉は生活に欠かせないものだ。  そして、その温泉をもたらしてくれているのは湯玄である。なぜ湯玄が今更自分を花嫁として求めているのかはわからないが、自分が湯玄の元へと再び嫁げば、源泉はまた豊かな湯を称えるのだろうか。  もしそうだとしたら……。 「でもなぁ……」  凪は洗濯をする手を止めてぽつりと呟いた。石鹸の泡がふわふわと空中を漂っていたから、それを無意識に視線で追いかける。音もなく次々と割れていく泡を見ていると、なんだか不安になってきてしまった。  湯玄に追い返されたあの日以来、凪はずっと「出来損ないの花嫁」と後ろ指をさされ続けている。それはとても屈辱的な日々でもあり、生まれ育った村にいることさえ苦痛に感じられるくらいだった。それでも耐え忍んだのは、十七歳になる日を待ち侘びていたから。湯玄のあの言葉を、信じて疑うことなどなかったのだ。  しかし、現実には遊郭を訪れようとする湯玄を見かけてしまうではないか。自分の気持ちを踏み躙られたような気がした。  そんな思いを凪にさせておいて、今更「また嫁に来い」なんて、あまりにも虫が良すぎる。大体あのとき、自分と目が合っただろう。遊女たちに囲まれて、まんざらでもない様子を見られたことを、気がついていないはずはない。  そんなこんなで、いくら湯の神様だからといって、「はい、わかりました。すぐに嫁に参ります」なんて凪には言えそうにない。 「はぁ……どうしたらいいんだろう……」 「ふふっ。大きな溜息だね?」 「は?」 「何か悩みでもあるのかな?」  突然頭上から声がしたことに驚いた凪は、慌てて顔を上げる。  するとそこには、確かに人がいた。まさかこんな至近距離に人が立っているなんて想像もしていなかった。ぼーっと泡を見ていたから、誰かが近付いてくる気配に気が付かなかったのだろうか?   いや、そんなはずはない。その人物は気配を消して凪に近付いてきたとしか思えなかった。 「……あ、あんた誰だ?」 「ふふっ。突然声をかけちゃってごめんね。泡を眺めている見る君が、ひどく可愛らしかったから」 「……初めて会う奴にかける言葉にしちゃあ、軽いな。あんた、なんなんだよ。変質者か?」 「まぁまぁ、そんなに警戒しないでよ。別に怪しい者じゃないから」  十分怪しいんだけど……そう言いかけた凪は、その男の容姿に思わず息を呑んだ。

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