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椿屋にやって来た湯の神③
凪の目の前にいるのは高身長の若い男だった。逆光が眩しくて思わず目を細めた凪を、男は優しい笑みを浮かべながら見つめている。亜麻色の髪は肩まで伸び、肌は絹のようにきめ細かい。気品に満ち溢れた雰囲気は、男の育ちの良さを感じさせた。まるで女のように美しいその容姿に、凪は言葉を失ってしまう。
湯玄が男らしい妖艶さを秘めた美しさだとしたら、この男は綺麗に咲き乱れる花のように美しい。その繊細そうな雰囲気は、同性である凪の視線さえ簡単に奪ってしまったのだった。
「君の名前は?」
「お、俺は凪。あんたは?」
「え? 僕? ふふっ。ごめんね、今は教えてあげられないんだ」
「はぁ? なんだよ、それ。人に名前を聞いておいて」
その男はこんなにも麗しい見た目をしているのに、ひどく訝しい。凪が立ち上がって真正面から向き合うと、男は無邪気な笑みを浮かべた。善人なのか悪人なのかわからない……凪は思わず身構えて、一歩後ずさった。
「そんなことより、凪は面白いものを持っているね?」
「面白いもの? 別にそんなもの持ってねぇし」
「あるじゃないか? ほら着物の懐に……それ湯石かな?」
「……え?」
凪の背中をぞわぞわっと寒気が走り抜ける。なぜこの男は、凪が湯石を持っていることを知っているのだろうか?
――こいつ、本当に何者だ?
凪は身の毛がよだつ思いがした。
「その湯石は誰にもらったの?」
「…………」
男の問い掛けに答えずにいると、男は一気に距離を詰めて凪の顔を覗き込んでくる。その人形のような整った顔立ちに、凪は恐怖を覚えた。
「もしかして湯玄にもらったの?」
「湯玄様? ち、違う。そうじゃない……」
「嘘だ。だって、この湯石からは湯玄の神力を感じる。珍しいね、あいつが誰かに湯石を授けるなんて」
「そんなことより、あんた湯玄様のことを知っているのか?」
「まぁね」
男が笑いながら凪の懐にしまわれている湯石を着物の上からそっと撫でると、湯石が少しずつ熱くなっていくのを感じた。
――なんなんだ、これは……。
呼吸がうまくできなくて息が苦しい。心臓が早鐘を打ち、眩暈がしてきた。
「君は、湯玄のお気に入りなのかな?」
「……⁉ そんなわけねぇだろ、離れろ……!」
男が凪の頬をそっと撫でたとき、湯石が焼石のように熱くなり、着物の上からでもわかるほどの光を放つ。次の瞬間、炊事場の湯が間欠泉のように勢いよく吹き出した。
「……なんで……?」
「へぇ。これは素晴らしい。やっぱり君は特別な力を持っているんだね」
凪が呆気にとられていると、男は恍惚と湧き出る温泉に見入っている。口角を吊り上げて笑う姿は、先程までの人懐こい笑みを浮かべていた男とは、まるで別人のようだ。
「凪、この湯石を大切にするんだよ。わかったね?」
「だから、一体あんたはなんなんだよ……」
「今は、秘密。今はね。でもまたきっと会いに来るから。待っててね、僕の花嫁」
「花嫁……?」
「うん。凪は僕の可愛い花嫁。絶対に迎えに来るから、その時は湯玄ではなくて僕を選ぶんだよ? じゃあ、その日まで……」
先程までの冷たい表情は影を潜め、また人懐こい笑みを浮かべる男を、凪はただ茫然と見つめることしかできない。
凪は懐から湯石を取り出した。先程のような眩い光は放っていないものの、まだ素手で触ることを躊躇ってしまうくらいの熱を持っている。
「意味がわからねぇ。花嫁ってなんなんだよ……」
いつの間にか空からは雪が舞い落ちてきている。湯石の上に落ちた雪の結晶が音もなく消えていったのだった。
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