9 / 34
花籠の教会②
小高い丘の上にクレイン司祭の教会はひっそりと佇んでいる。けっして大きくはないレンガ造りの建物に朝日があたり、ステンドグラスがキラキラと輝いている。
クルゼフ王国の中心に聳え立っている、リヴィア教会に比べるととても小さな教会だが、人々の憩いの場としてもここは大切な場所だった。
村人たちへの配達が終わりノアが教会に戻る頃には、朝の祈りを捧げる村人で賑わっているのが常だ。ノアが村人に作物や花を分け与える代わりに、村人たちは家畜の肉や新鮮な卵、手作りの洋服などを届けてくれるのだ。
「ノア、いつもありがとう」
ノアの周りは、いつも笑顔で溢れている。
いつからか、このノアが暮らす教会は『花籠の教会』と呼ばれ、皆に親しまれるようになっていた。
「ただいま。クレイン司祭、マーガレットさん」
「おかえりなさい。今日もお疲れ様。すぐに朝食にしますからね」
「はい、ありがとうございます」
朝の仕事を終えたノアをマーガレットが笑顔で迎えてくれる。マーガレットはノアの両親と同じ位の年齢に見えるが子供がいないらしく、ノアを我が子のように大切にしてくれた。
「あぁ、ノア。お疲れ様」
「あ、クレイン司祭。おはようございます」
「今日も村人の為にありがとう。君は私たちの誇りだよ」
脱いだローブを丁寧に椅子の背もたれにかけながら、クレイン司祭がノアの肩を叩く。
クレイン司祭はマーガレットより少しだけ年上だろうか? 顔に刻み込まれた皺が、彼の穏やかな表情を更に引き立てている。その慈愛に満ちた雰囲気は立派な司祭そのものだった。
そんなクレイン司祭に面と向かって褒められ、ノアの頬に自然と熱が籠っていくのを感じる。
「さあ、朝食をいただくとしよう」
「今日はね、採れたての卵を目玉焼きにしてみたのよ」
「ほぅ……それは楽しみだね」
こんな幸せな時間を過ごしているうちに、あの忌々しい出来事が夢だったのではないか……。いや、夢だったに違いない。今だって、リリス村に行けば両親が自分を待っていてくれているかもしれない。そんな風にさえ思えてくる。
──いや、そんなこと、あるはずはない……。あの二人の悲鳴を、あの男の言葉を、どうやって忘れるっていうんだ。
そう言い聞かせるように思うたびに、ノアの頭は、くらくらと揺れる。
クレイン司祭もマーガレットも、あの日のことを話そうとはしない。どうして自分はここにいるのかと、クレイン司祭に問いかけても「君をよろしく頼む、とここに預けた人がいるんだ。それ以上は話せない」と言葉を濁されてしまう。
その横で寂しそうに笑うマーガレットを見れば、それ以上のことを聞くことなんてできなかった。
見も知らなかったであろう自分を、我が子のように大切にしてくれるクレイン司祭とマーガレットが困るようなことは、それ以上したくはなかったから。
◇◆◇◆
慌ただしい昼間が終わり、静かな夜が訪れる。
日中は村人との交流と、農作業や家畜の世話に追われ、ホッと息をつくことができるのは月が空高く昇ってからだった。ノアは静まり返った教会を訪れ、祭壇の前に跪く。この時間がノアは一番好きだった。
「今日も疲れたな」
ノアは心地よい疲労感に包まれ、そっと目を閉じる。
物音ひとつしないこの世界は、食糧難だったり争いだったり、傍若無人な国王陛下だったり……。そんな世界とは全く無縁なような気がした。星の瞬く音さえ聞こえてきそうで、体中の力が抜けていく。ノアはそっと呼吸を整えた。
目を閉じていると、あの日の出来事が瞼の裏に思い起こされて心が張り裂けそうになる。涙は大雨が降ったときのように溢れ出し、叫び出したい衝動に駆られた。
「思い出したらいけない……」
自分に言い聞かせるようにそっと呟き、雑念を振り払った。ふと見上げれば豊作を司る神、『ダルメア』の像が優しく微笑んでいる。|瓶《かめ》を脇に抱え、片手で天を仰ぐその姿は、雨雲と幸福を呼ぶと古来より言い伝えられていた。
クルゼフ王国はダルメアを主とする『ダルメア教』が多くの国民に信仰されて、皆豊作を願い熱心に祈りを捧げている。
「ダルメアよ……我にご加護を……クッ‼」
ノアがそっと囁くと、頬をスッと一粒の涙が伝う。その瞬間、瞳に強い痛みを感じたノアは思わず目を両手で覆う。頭がズキズキと割れそうに痛み、息苦しさを感じたノアは肩で呼吸をした。
「はぁはぁ……」
あまりの苦しさにノアの青い瞳からはポロポロと涙が溢れ出し、その雫はベコニアの花に姿を変えた。
花生みが花を生み出す瞬間、多くの花生みが強い痛みを感じることが多い。
ノアが涙を流すと、その涙が花に姿を変える。花生みが花を生み出す方法は様々だ。毛先に花が咲く者もいれば、口から花を吐き出す者もいる。だがどの方法も、花生みは強い苦痛を感じてしまうのは避けられない。
ブートニエールの関係にある花食みに愛されれば愛されるほど、この苦痛は軽減されると言われているが、ブートニエールどころか恋人さえいないノアは、この痛みをひたすら耐えるしか方法はなかった。
『ノア、いつもありがとう』
村人達の笑顔を思い出せば、こんな痛みなどどうってことないだろう……と、ノアは自分に言い聞かせる。
「痛ぇ……」
ノアは痛みに耐えながら、涙を流し続けた。
ともだちにシェアしよう!

