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第三話 復讐のために①
それはもう夏を色濃く感じさせる、暑い日のことだった。教会の庭には向日葵が咲き乱れ、蝉が競い合うかのように鳴いている。ノアの瞳の色と同じ真っ青な空には雲がゆっくりと流れていた。
「暑いなぁ」
額から滝のように流れる汗を拭いながら、ノアは大きく息を吐く。
ノアのベコニアから育った作物達は、豊作とは言えないまでも村人達がお腹を空かせないで暮らせる分くらいの収穫はあるはずだ。真っ赤に色付いたトマトやズッキーニ、トウモロコシを籠に入れながら思わず口角が上がっていく。
「わぁぁぁ‼ なんだあんた達は!?」
「ま、まさか、こんな所に……嘘だろう……」
突然静かな村に悲鳴が響き渡る。それと同時に馬の嘶きと勢いよく地面を蹴る蹄の音が聞こえてきた。
「急いであの者を探すのだ!」
鼓膜を劈くような声が辺りに響き渡る。
その声を聞いた瞬間、ノアの心臓は鷲掴みされたかのように痛んだ。呼吸がどんどん浅くなり上手く息ができない。
――知っている、この状況……。
ノアの脳裏に一瞬で忌まわしい記憶が蘇る。それは、イヴァンが村にやってきたあの日と同じ光景だった。
村人の悲鳴と、たくさんの馬の足音……。
あの日、ノアの両親はノアを守るために殺されたのだ。フラフラと立ち上がり、震える足に力を籠める。
――逃げなきゃ……‼
本能的にそう感じ取ったノアは教会に向かい走り出す。クレイン司祭なら、きっと自分を助けてくれるに違いない。だから教会まで行けば何とかなる。その思いから必死に走り続けた。
強張った体ではうまく走ることができず、何度も転びそうになってしまうが、ノアは必死な思いで足を前へと進めた。そんなノアに少しずつ蹄の音が近付いてくる。
「はぁはぁ……もう少しで教会だ……!」
小高い丘の上に、教会が見えてくる。無我夢中で走り続けたせいなのか、うまく呼吸ができなくなっていた。気が焦っていく一方なのに、目の前がぼんやりと霞んでいく。
最後の力を振り絞り走り続けるノア。
すると突然、何者かに腕を強く掴まれる。
「うわぁ!?」
容赦のない衝撃に思わず眉を顰めて咄嗟に腕を振り解こうとするも、次の瞬間ふわりと体が宙に浮き、いとも簡単に動きは止められてしまった。
その勢いで抱きかかえられたノアは、気がつけば、大きな馬の上へと引き摺り上げられていた。
「離せよ! 誰だ、お前は!? いきなり何すんだよ!」
力任せに抵抗しようとすると後ろから強く抱きかかえられ、簡単に動きを封じられてしまう。
なんて馬鹿力なんだ……。
それでも必死に両腕を振り回して暴れ続けていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「ノアよ、久しぶりの再会なのに随分ではないか?」
「…………!?」
「私のことを覚えてくれていたか?」
その声を聞いた瞬間、ノアの体からサッと血の気が引いていった。先程まで汗をかいていたのに、今は震えるほど体が冷え切ってしまっている。嫌な汗がタラタラと流れ落ちた。
この声を忘れるはずなんてない。なぜならこの声は……。
「ヒッ……!」
恐る恐る振り返り、その顔を見た途端、呼吸が止まりそうになり喉が妙な音を出した。
ノアの目の前には、両親を殺したイヴァンがいたのだ。
あの日から数年経過したが、その麗しい見た目は、忌々しいほどに変わっていない。濡れ羽色の髪に、夜の海のように真っ黒な瞳。薄笑いを浮かべる姿はゾッとするほど恐ろしいのに、とても美しい。
「あ、あんたは……」
「久しぶりだな、ノア。国王が自ら迎えに来たぞ。王宮から緑が消えてしまう前に、私と一緒にクレーア城へきてほしい」
──この男は、自分が何をしたのか、覚えていないのか? ノアは一瞬、イヴァンの言葉に呆然とした。
一体何を言われているのか理解できないほどに、ノアの胸の中はさまざまな感情が渦巻き、ひしめいていく。
「あんた馬鹿なのか……? 自分の両親を殺した奴の言うことなんか……素直に聞くわけねぇだろうが!? 俺はあんたの命令なんか絶対に聞かない!」
悲しみと恐怖、そして腸が煮えくり返りそうなほどの憎しみ……。暗い色のついた感情が次から次へと津波のように押し寄せてきて、ノアの心はグチャグチャに掻き乱される。不覚にも涙が溢れ出しそうになった。
「私と共にクレーア城へ行こう」
すがるような目で自分を見つめるイヴァンを、弱々しく睨みつける。
――絶対に俺に歯向かうな。
イヴァンに言われた言葉を思い出す度に、悔しくて、それ以上に恐ろしくて……。何もできない無力な自分が歯痒かった。
両親が殺されたあの日から、自分の時間は止まったままだったんだ——。
ノアは苦しくなるほどに、それを痛感していた。未来へ進むことも、過去に戻ることもできない。苦しい時間を、ただもがきながら生きてきただけなんだと。
「ノア……」
自分の名を呼ぶイヴァンの整った顔が、少しだけ悲しみに歪んだ気がする。初夏の爽やかな風がサラサラと二人の髪を揺らした。
一瞬の静寂を切り裂くように、ノアは叫んだ。
「嫌だ!! 絶対に!!」
「なんだと?」
「死んでも嫌だ! 例えあんたが国王陛下だとしても、俺は命令には従わない! 気に入らないなら俺を殺せばいい……! あんたは人を殺したって、なんとも思わない人間なんだろう?」
国王陛下にこんな風に歯向かえば、ノアは罪に問われる。それも、大罪の反逆罪だろう。しかし、それでもいいと思った。こんなにも生き地獄を味わい続けるのであれば、死んだほうがましだと、ノアはギュッと目を閉じた。
この男の前で涙を流したくなんてない。今自分が涙を流せば、この男たちが喉から手が出るほど欲しがっているベコニアを生みだしてしまうことになる。それだけは嫌だったのだ。
「ノア、私の話を聞いてくれ」
「嫌だ。絶対に嫌だ……」
唇をギュッと噛み締めると、口の中にジンワリと血の味が広がっていく。それでもノアは、更に唇を強く噛み締めた。
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