13 / 34
復讐のために③
「ここで待っているから、さっさと準備をしろ」
ノアは、クレイン司祭とマーガレットに別れの言葉を告げる時間さえ与えられず、教会を後にすることとなった。
少し前に、マーガレットが仕立ててくれた洋服を持っていこうと用意を始めると「其方には新しい洋服が用意してある」というイヴァンの声が聞こえてきた。
しかしノアが洋服を持っていきたかった理由は、クレイン司祭とマーガレットと過ごした日々を忘れたくなかったからだ。ほんの少しの洋服と、両親との思い出が詰まったオルゴールを布の袋に詰め込む。その支度をするだけで涙が溢れてきそうで、慌てて鼻をすすった。
「あ、これも持っていかなくちゃ……」
ノアはチェストの中にしまっておいた手紙とハンカチーフをそっと取り出す。
これから先、この手紙とハンカチーフが、自分の心の支えになってくれる……。根拠なんてないけれど、なんとなくそう感じていた。ノアは、ギュッと手紙とハンカチーフを抱き締める。
「おい、なんだそれは?」
「あ、いや。なんでもない」
待ちくたびれた、といった風にノアの手元を覗き込んでくるイヴァンに見つからないよう、ノアは手紙とハンカチーフを袋に押し込む。こんなものを大事そうに持っていたら、イヴァンに何を言われるかわかったものではない。
クレーア城へと旅立つ荷造り、といってもイヴァンがじっとこちらの様子を窺うように、すぐ後ろに立っているのだ。これではゆっくり荷造りなどできるはずもない。ノアは鬱陶しいなとでも言いたげに、イヴァンに背を向けたままで大きく息を吐いた。
「おい。準備は終わったか?」
「ああ。これだけで十分だ」
「そうか。では参るぞ」
痺れを切らしたイヴァンがノアの手を掴み歩き出す。その勢いにノアは息をすることさえ忘れてしまいそうになった。
「待って! なぁ、ちょっと待てよ!」
「なんだ? 忘れ物か?」
「そうじゃない。クレイン司祭とマーガレットさんにお別れくらい言わせてよ」
「駄目だ」
「は? なんでだよ?」
突然イヴァンが立ち止まったかと思うと、険しい顔をしながらノアのほうを振り返る。その冷たい表情にノアは思わず息を呑んだ。
「あの司祭と女は国王である私に、愚かにも歯向かったのだ。本来なら罰を与えるところだが、其方に免じて罪には問わなかった」
その冷たい口調に、ノアの全身を流れる血液が凍り付いてしまいそうになる。このイヴァンという男は、なんと冷たい話し方をするのだろうか。
「私は優しいところもあるのだ。命を奪われなかっただけでも、感謝をするんだな。だがしかし、反逆者と親密にすることは許さない。いいから黙ってついて来い」
「で、でも……」
「いいから来い!」
厳しい口調で一喝されると、何も言い返せなくなってしまう。
「それに、今あの二人の顔を見たら、其方の気持ちが変わってしまうかもしれないからな」
「……なんて?」
「いや、なんでもない。とにかく、黙ってついて来い」
イヴァンに引き摺られるように廊下へと出ると、部屋の入り口に待機していた騎士たちが一斉にイヴァンに向かい一礼する。
「参るぞ」
「は!」
有無を言わせぬ勢いで、イヴァンはノアを教会の外へと連れ出していく。庭にはクレイン司祭とマーガレットがいて、不安そうにこちらを見つめていた。今にも泣き出しそうな二人の表情に、ノアの心が引きちぎれんばかりに痛む。
──大丈夫。俺のことは心配しないで。
そう伝えたかったけれど、それは叶わなかった。
「さぁ、お前はこちらだ」
「あ、ちょ、ちょっと待てよ」
イヴァンは、まるで雪のように真っ白な馬にひらりと飛び乗る。逞しい筋肉の鎧をまとった白馬と、見目麗しいイヴァンは、まるで神話の世界から飛び出してきたような神々しさを放っていた。
「ほら、手を貸せ」
「え?」
「いいから、手を出すんだ」
変わらず厳しい表情でノアを睨みつけるイヴァンが差し出す手の上に、ノアは恐々としながらも自分の手を乗せた。
「わぁッ‼」
次の瞬間、勢いよく腕を引かれたノアは馬へと引き上げられてしまう。イヴァンの前に座らせられたノアに覆い被さるよう、イヴァンが馬の手綱を引いた。
一見イヴァンに守られているかのように見えるが、ノアにしてみたら身動きを封じられてしまったかのような圧迫感がある。もう逃げられないんだろうなと、ノアは顔を俯かせた。
「落ちないよう、ちゃんと掴まっているのだぞ」
「あ、うん」
「よし。では行くぞ。ハッ!」
イヴァンが、綺麗に筋肉がついた白馬の首筋に手綱を打ち付けると、馬が嘶き走り出す。そのあまりの速さに、ノアは必死に馬の首にしがみついた。
「ノア‼」
ふと名前を呼ばれたノアが振り返ると、涙を流しながらクレイン司祭とマーガレットがこちらを見つめていた。騎士に制止させられていなければ、ノアのことを追いかけてきていたかもしれない。そんな悲痛な表情だった。
「さよなら」
ノアは小さく呟く。行き場のない自分を、まるで我が子のように大切にしてくれたクレイン司祭とマーガレットには、感謝してもしきれない。許されるならば、ずっと一緒にいたかった……。
ノアの瞳から涙が溢れ出し、ベコニアへと姿を変える。そのベコニアをいいように使われることが嫌だったノアは、道端にそれを投げ捨てた。後に続く馬たちがそのベコニアを踏みつぶしていく光景に、ノアは安堵する。
「手荒な真似をして、すまない。どうか許してほしい」
「は?」
「クレーア城に着いたら、其方を大切にする。もう二度と、傷つくことのないように」
馬が勢いよく走る音に、イヴァンの声は途切れ途切れにしか聞こえなかった。しかし、イヴァンの瞳には悲しみが浮かんでいるように思えてならない。
「すまない、ノア……」
イヴァンの悲痛な声が、蹄の音に掻き消されていった。
ともだちにシェアしよう!

