22 / 34

第五話 タッピング①

「こんなの、無理だ……」  ノアは床に倒れ込む。  あの大きな瓶いっぱいのベゴニアを、限られた時間内に生み出すことなどできるはずもなく、疲れ切った体は限界を迎えていた。  ベゴニアを生み出すために、もうどれ程の涙を流したことだろうか? ノアの目は開けていられない程に腫れあがり、火傷をした時のように熱を帯びている。  最後の力を振り絞り、大切にしているハンカチーフを持ち噴水へと向かった。噴水の水でハンカチーフを濡らし、それを目に当てる。 「気持ちいい……」  冷たいハンカチーフは火照った目を冷やしてくれて心地がいい。それでも、すぐにノアの目の熱を奪って、温まってしまった。 「……もう、疲れた」  噴水の袂に崩れるように座り込む。体を起こしていることさえ億劫だった。  ノアがベゴニアを生み出すときには、強い痛みを伴う。それは、まるで目を抉られるような。熱した鉄を目に押し当てられるような。  言葉には表せない程の苦痛だった。  それでも、たくさんの人を幸せにしてあげることができる、と考えればその痛みを我慢することは、それほど苦しくはなかった。しかし、今は違う。  あの大きな瓶をベゴニアでいっぱいにするなど、苦痛以外の何ものでもない。それでも、自分がやり遂げなければクレイン夫妻の命が危うい。そう思えば、泣き言を言っている場合ではないのに。  一面の窓から差し込む日差しは、すでに赤く染まっていた。 「もうすぐ日が沈んじゃう……」  ノアは鉛のように重たい体を無理矢理起こす。恐らくベゴニアは瓶の半分もないだろう。それなのに、もうすぐハッシェルがこの瓶を取りに来てしまう。  それに、結局イヴァンは、あれから箱庭を訪れていない。 「花を生まなくちゃ……」  ふと顔を上げると、目の前にはダルメアの像が優しくノアを見つめていた。箱庭にあるダルメアの像は、瓶を脇に抱えたまま、右手を前へと差し伸べている。  思わず、その優しい手に縋りつきたくなった。 「駄目だ、花を生まなくちゃ」  そう思うのに、涙は枯れ果ててしまったのだろうか? ノアの真っ青な瞳から涙が流れ落ちることはない。 「なんで、俺は花生みなんかに生まれてきちまったんだ。畜生、畜生……!」  ノアはハンカチーフをきつく握りしめながら、自分の運命を呪ったのだった。  

ともだちにシェアしよう!