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タッピング④
「痛ッ……」
ノアは小さな悲鳴を上げて両手で自分の目を覆う。
昨日体を酷使して花を生み出したノアの体は、想像以上にダメージを負っているようだ。花を生み出すために目に力を入れようとするだけで、頭が砕けてしまうのではないか、というほどの痛みが走る。
『ベゴニアが美味しかった』
昨夜、そう言いながら笑うイヴァンの顔を思い出す。あんなにも大きな瓶いっぱいの花を生み出すことはできないが、自分が花を生み出すことでイヴァンが喜んでくれるのであれば──。そう思い、花を生み出すことを試みたものの、それは失敗に終わってしまう。
「当分花を生み出すことは無理かな」
ハンカチーフを水で濡らし、両目に当てると冷たくて気持ちがいい。なんと自分は不甲斐ないのだろう……と、天井を仰げばダルメアの像がノアを見つめて微笑んでいる。その慈悲深い微笑みにノアは救われる思いがした。
花生みは花を生み出すために、植物のように日光を必要とする。幸いこの箱庭には燦燦と日光が降り注ぐため、日光浴には困らない。ノアは大きなガラス窓から空を見上げる。
こんなにも立派な箱庭を与えられ、国王陛下という偉大な花食みに囲われている自分は、果たして幸せなのだろうか。飛ぶことさえ許されない鳥のように、不幸なのだろうか……。それさえもわからなかった。
「よし、もう一度だけ」
ノアはダルメア像の前に跪き、両手の指を組む。それからそっと瞳を閉じた。
「ダルメアの神よ、どうかご加護を」
小さな声で呟くと目の奥が熱くなってくるのを感じる。
「グハッ! 痛いっ!」
ノアは激痛を感じその場に蹲った。床には小さなベゴニアの蕾がひとつ、ポツンと落ちている。それにそっと手を伸ばしギュッと抱き締めた。
「今の俺には、こんな小さなベゴニアしか生み出すことができないのか……」
ベゴニアの蕾を畑に蒔いたところで、作物が実ることはないだろう。ノアは自分の無力さが悲しくなってしまう。
昨日一日泣き腫らした目は熱を持ち、視界がいつもより狭く感じる。あれほど大量の花を短時間で生み出したノアの花生みとしての力は、かなり弱ってしまっていた。
今朝診察にきた医師に、今自分は「バースレスになっている」という説明を受けた。バースレスとは、花生みが精神的に強いショックを受けることで花を生みだすことができなくなる状態をいう。
医師からは、花食みにタッピングをしてもらうことを勧められた。タッピングを行い花食みの体液を摂取すれば、花生みの体力が回復し再び花を生み出すことができる。そんなことはノアだってわかっている。わかっているのだが……。
「じゃあ俺は、一体誰とタッピングをすればいいんだよぉ!?」
「陛下に決まっているでしょうが?」
「は?」
「ノア様がタッピングをするお相手は、陛下以外にいらっしゃいません」
ふと声がする方を向くと、そこにはアッシュが立っていた。ノアは思わずその姿に目を奪われてしまう。
アッシュは立っているだけにもかかわらず威厳に満ち溢れており、ため息が漏れるほどだ。腰に下げられた大剣を扱う姿は、さぞや凛々しいことだろう。
「きゅ、急に部屋に入ってくるなよ!?」
「私は何度も扉をノックしましたが、泣いたり喚いたりされていたようなので聞こえなかったのでしょう?」
アッシュの言葉に、む、とノアが口を曲げる。子供のようだと自分でも思ったが、ノアはそっぽを向いた。
「昼食はきちんと召し上がられましたか? きちんと食事を摂らないと、花を生み出すことはできません。さぁ。お薬をお持ちいたしました」
「薬かぁ……」
「早く元気になって、また美しいベゴニアの花を生み出してください」
「……わかってる」
「床になんて寝そべっていないで、ソファーに行きましょう」
アッシュはノアの腕を引き、ソファーへと誘導してくれる。それから紙に包まれた薬をそっと手渡した。
ノアは顔を顰めながらアッシュから手渡された粉薬を口に放り込む。じんわりと広がる苦みを感じる前に、一気に水で流し込んだ。
「たくさん日光を浴び、きちんと食事を摂れば、すぐに元気になることができるでしょう」
「あー、うん。でもさ……やっぱり花食みとタッピングすれば、一番早くバースレスが治るのか?」
「はい。私はタッピングの経験はありませんが、そうだと言われています」
「あ、あんたも花食みなのか?」
「えぇ。私も花食みです」
自分の近くに跪くアッシュの姿をもう一度よく観察すると、なかなか整った顔立ちをしている。戦でできたのだろうか。小さな傷が顔にいくつも刻まれていた。
「だって、タッピングって花食みから体液をもらうんだろう?」
「えぇ。花食みの体液は、貴方たち花生みにとって重要な栄養源なのです」
何を今更……と言いたげにアッシュが呆れたような顔をした気がして、ノアはついムキになってしまう。
「だって、体液をもらうってことは口づけとか、それ以上のことをするんだろう……」
ノアの声はどんどん小さくなっていき、最後のほうは聞き取れないほどになってしまう。顔が熱くなってきたから、アッシュから視線を逸らした。
「あぁ、そういうことですか? ノア様は誰かと口づけをしたり、誰かに抱かれる、といった経験がないのですね」
「はぁ!? 悪かったな! 経験不足で」
「ふっ。いや、逆にそんなことで照れているなんて可愛らしいな、と思いまして。失礼いたしました」
不貞腐れたノアの顔を覗き込むアッシュは、優しい笑みを浮かべている。
──こいつ、笑うことなんてあるんだ。
この男はいつも鬼のような形相をして、自分を睨みつけているイメージがあったから、ノアは意表を突かれてしまった。
「早く元気になってください。陛下も心配されています」
「うん……」
「今日も公務が終わったら、すぐこちらに向かうと話されていましたよ」
「そっか……国王陛下が……」
イヴァンの話を聞くだけで、ノアの心が温かくなる。
早く会いたい……。それと同時に強い戸惑いを感じてしまうのだ。
「あのさ、俺が元気になったら、あの教会に連れて行ってくれないか?」
「リヴィア教会ですか?」
「あぁ、あの教会すごく綺麗だから、初めて見たときから行ってみたくて。それとも、俺はこの箱庭から出ることはできないのか?」
「そうですね……」
顎に手を当て考え込むアッシュの顔をノアは覗き込む。いくらこんなにも立派な箱庭でも、ずっとここにいるのは正直息が詰まるのだ。
「では、陛下に聞いておきます。ですから、早く元気になってくださいね」
「あ、うん……。でも、当分花を生み出すのは無理かもしれない」
「焦る必要なんてありません。ゆっくり静養なさって、元気になってから、またたくさんの花を生み出してください。きっと陛下も、それを望んでいらっしゃいます」
「わかった。ありがとう」
ノアは窓から見えるリヴィア教会を眺める。教会のステンドグラスが日に当たりキラキラと輝いて見える。その光を見ていると、ズキンズキンと両目が痛んだ。
アッシュに視線を移すと、先程の笑みは影を潜め、いつもの仏頂面に戻ってしまっている。
——やっぱり、こいつが優しいわけがないよな。
そんなアッシュを見て、ノアは肩を落とした。
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