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タッピング⑤

「もう夜か……」  窓から外を眺めながら、ノアはポツリと呟く。空には満月が浮かび、ランタンに火を灯さなくても明るいくらいだ。  ノアは、今日ベゴニアを一つも生み出すことができなかった。これでは何の役にも立てていない——と気持ちばかりが焦ってしまう。  『公務が終わったら国王陛下はこちらに向かうそうだ』という、アッシュの言葉を思い出す。  もし、ノアがたった一つのベゴニアも生み出すことができていないとイヴァンが知ったら、一体どう思うだろうか? 「バースレスなんて、この役立たずが……」と早々に城を追い出されてしまうかもしれない。 「もう一度だけ」  ノアは満月に向かい祈りを捧げる。 「どうか、神のご加護があらんことを……」  そう囁いた瞬間、目の奥で炎が燃え盛ったような熱さを感じ、割れてしまうのではないか、と思うほどの激痛が頭に走った。 「痛い、痛い……‼」  ノアの頬を幾筋かの涙が伝い、それはベゴニアの花の蕾に姿を変え、音もなく絨毯の上へと落ちた。  やっぱり駄目か……。ノアはあまりの激痛にその場に崩れ落ちる。痛みから体が震え、助けを呼ぼうとしても声を出すことさえできない。 「ノア、大丈夫か!? ノア‼」  薄れゆく意識の中、誰かに抱き起こされる感覚に現実へと引き戻される。あぁ、温かい……。ノアは思わずその温もりに体を寄せた。 「其方、その弱り切った体で花を生み出そうとしたのか?」 「あぁ、やっと来たのか……。来るのが遅くて待ちくたびれたぜ」 「ノア、其方は……なんて無茶なことを……」  ノアが倒れていたことに余程驚いたのだろうか。箱庭に飛び込んできたイヴァンは真っ青な顔をしている。  そんな表情も初めて見るノアは、思わず小さく笑ってしまった。 「国王陛下のくせに、そんな顔をすんなよ。情けねぇなぁ」 「それどころではないだろう? 今其方はバースレスに陥っているのだ。こんなボロボロの体で花を生み出そうだなんて……無茶としか言いようがないだろう」 「だって、花を生み出せば、お前は喜んでくれるだろう?」 「私の為だと言うのか?」 「……べ、べつに、お前の為じゃ……」  思わず口をついてしまった言葉は、今更取り消すには遅かった。恥ずかしくなったノアがイヴァンから体を離そうとしたとき、逆にギュッと抱き寄せられてしまう。そのあまりの力強さに呼吸ができなくなるほどだった。 「ありがとう、ノア。私の為に……」 「だから、お前の為じゃ……」 「ありがとう」  イヴァンの声が少しだけ震えているような気がしたから、そっと頬を撫でてやる。こんなイヴァンを見ると、ノアはひどく戸惑いを感じてしまうのだ。  この男は、本当に自分の両親を無慈悲に殺害したイヴァンなのだろうか? それとも……。いくら考えても答えなど出ないのだが、考えずにはいられない。その度にノアの心は張り裂けそうに痛んだ。 「……おい、そんな強く抱きしめられたら、苦しいよ。離せって」 「ノア、もう無理はしないでくれ」 「わかったから。もう無理なんてしねぇよ」  夢中でノアに縋りつくこの男が一国の主だなんて……。考えただけで可笑しくなってくる。これでは、我儘を言って甘えてくる子どものようだ。 「ノア、其方にタッピングをしたい」 「は? ま、まだ諦めてないのかお前……」 「花食みとしての私の力で、少しでも其方に元気になってもらいたいのだ」 「でも……」 「早く、バースレスが治るように……」  イヴァンの気持ちは痛いほど伝わってくるのだが、両親を殺めた男とタッピングをすることに、ノアは強い抵抗を感じた。  今でもあの日の夢を見て飛び起きることがある。あの日の出来事を忘れることなんて、一生ないだろう。 「ノア、私に全てを委ねてごらん? このまま抱き締めていてあげるから」 「国王陛下……」 「体の力を抜き、其方が私に身を委ねることで、タッピングの効果は発揮しやすくなると言われている。……大丈夫だ、大切にするから」  イヴァンがノアの目の前でふわりと微笑む。満月の光を浴びるイヴァンの姿が神々しくて、ノアの体から少しずつ力が抜けていく。まるで、ダルメア神のように美しい……。 「そう、いい子だ。そのまま私を受け入れるんだよ。花食みである私の力を、花生みである其方に授けよう」 「で、でも……」 「心配するな。口づけはしない」 「ならよかった……」 「ふふっ。唇には、な」  あ……とノアが目を見開いた瞬間、額に柔らかくて温かなものが触れる。チュッという音と共にその温もりは離れて行ってしまった。 「そのまま私に身を任せているのだぞ」  イヴァンの唇はノアの額にもう一度触れて、柔らかな唇は頬へと移動していく。何度か頬に口づけされた後、今度は首筋に温かな唇が押し当てられた。 「体液を与えているわけではないから、正式なタッピングとは言えないだろうが……。しないよりはマシだろう。なによりも、私が其方に触れていたいのだ」 「でも、俺も気持ちいい。体がポカポカして、眠くなってくる」 「このまま抱き締めているから、眠るがいい」 「ごめん。花を生み出すことができなくて。俺、本当に役立たずだよな……」 「別にそんなことは構わない。それより、早く元気になってくれ。私の可愛いノアよ」  イヴァンが優しく微笑みながら、そっと髪を梳いてくれる。その整った顔立ちを見つめていると、不覚にもノアの鼓動が速くなっていく。 「気持ちいい……」  その晩、イヴァンの腕の中でノアは眠りについたのだった。

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