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第一章【1】エルフとオーク

 ユリは初めて感じる胸の高鳴りに戸惑っていた。エルフ王の男孫として生を受け112年。この感覚にはまったく覚えが無い。  実に不可解な感覚なのだ。なのに本人の理性とは相反し、血が喜び舞い踊るようにドクドクと全身を廻っている。  ユリの頭の中は一頭のオークのことでいっぱいだった。  今日ユリは領地の森へと視察に赴いた。近頃その森にオークが出入りしていると情報が入ったからだ。  オークはイノシシのような顔をした醜い種族だ。身体だけ巨大に進化し、ただ食べ、子を産み増えるだけの下等な生き物。寿命は百年にも満たず、知能も低い。  対してエルフは、美しい容姿と長い耳を持ち、高度な魔術を使いこなし森を統べる高貴な種族だ。寿命はおおよそ千年。魔力が強い者はそれ以上。  ユリが生まれた西のエルフ領では皆金髪の美しい子どもが生まれる。特に美しいといわれるのが緑の瞳で、ユリはまさに金髪緑眼の理想的なエルフだった。そう周りからは言われて育ってきた。  森へは家臣のアルマスが同行した。アルマスはユリの倍は生きているエルフで、高度な魔術が使える。たかだかオークの相手ならば、二人のみでも十分だろうと判断された。  アルマスは美形と言われているが、ユリからしたら『これと言った特徴の無い顔』という印象の男だ。  季節は春の初め。森の木々は枝の先に小さな芽をつけ始めていた。  西のエルフ領を護る軍人として詰襟の隊服を身に纏い、一つに束ねた長い金髪を揺らし二人で歩いていると、すぐに10頭程で鹿を狩るオークを見つけた。 「ユリ様、相手は下等なオークですが、十分にご注意を」   アルマスが緊張感を漂わせユリに注意を促し、そして、拡声魔術を使いオークへ向けて警告した。 「醜いイノシシどもめ! ここは西のエルフ王の治める地! 立ち去れ!」  アルマスの声が森中に響き渡り、鳥がバサバサと飛び立っていった。  その時だった。 「知るかよ! そんなのお前らが勝手に言ってるだけだろーが!」  森の奥から返ってきた低い声。それを聞いた途端、なぜかユリは雷が直撃したような感覚に襲われた。 (な、なに……?! これはっ、何だっ?!)  そのオークの声は、魔術も使っていないはずなのに、アルマスの声よりもユリの身体の奥へと響いてきた。  ユリは動揺しながらも声がした方向へ視線を向け、声の主を探した。  木々の合間の奥。巨木の太い枝に一頭のオークがぶら下がっていた。遠目にもわかる緑がかった浅黒い巨体。粗末な服から剥き出しになった腕が分厚い筋肉をしならせ枝を掴んでいた。 (あのオークは……なんだ……?!)  ユリはなぜかそのオークから目が離せなくなった。他のオークよりも大きい個体ではあるが、それ以外は他と変わりないように見えた。なのに『もっと近くで見たい。もっと声が聞きたい!』と、ユリの中で強い興味がグツグツと衝動となって襲ってくるのだ。まるで血が沸騰したかのようだった。 「汚れた獣どもめ!」  呆然と固まるユリを横目に、アルマスが魔術で風を起しそれをオーク達に向けた。ザワザワと森全体が揺れ出し、木にぶら下がっていたそのオークは木から飛び降りると、他の仲間達に声をかけた。 「お前ら、逃げるぞ!」  そう叫び、走り出そうとした次の瞬間、周りを見渡していたそのオークがユリに目を向けた。視線が絡み合いそのオークが固まったようにユリを見つめてきた。ユリもまた視線が離せず身体を硬直させたままだった。  バチバチと稲妻が走るような感覚が強くなった。 「ライモ! 行こう!」  仲間にライモと呼ばれたそのオークは戸惑ったように「お、おう!」と返事をすると森の奥へと走り去っていった。 「ユリ様、いかがされましたか。ユリ様?」  アルマスに声をられても、ユリはしばらく動けずに固まっていた。  それから城へと戻り、就寝時間となった今でも、鼓動は収まらず、頭の中は森で見たあのオークのことで埋め尽くされている。  オークを見るのは初めてではない。なのになぜか、あの『ライモ』と呼ばれていたオークが気になる。気になって気になって仕方がない。  ユリは自室の寝台で膝を抱え、丸窓から夜空を眺めた。半分に割れた春の月が輝いていた。 「まさか、まさかな……」  ユリは子供の頃に聞いた、おとぎ話のような話を思い出した。  たくさんのエルフ達に跪かれたその男のエルフは、まだ小さかったユリを抱き上げて告げてきたのだ。 「ああ、幼き子よ。君は私の『運命の番』かもしれない」  その男は金色の長い髪にとても美しい顔をしていて、ユリを見つめると愛おしげに緑の瞳を細めた。 「うん、めい……?」  幼いユリが小首をかしげて聞き返すと、男はユリの金の髪を撫でながら教えてくれた。 「君はΩだね。私はαだ。Ωとαは天が定めた運命の相手がいてね、出逢えば互いに強く惹かれ合うんだ。まるで雷に打たれたように、互いにその存在を強く認識すると言われているよ」 「かみなり……?」  そう言われたが、このエルフの男を見ても、抱き上げられても、ユリは『雷』を感じなかった。ただその男のことは美しいと思ったし、ホコホコとした心地よい温かさは感じていた。 「雷、感じなかったかい? そうだね。私も雷に打たれたような衝撃は感じてはいないよ。でも千年を超えて生きてきて、こんな感覚は初めてだ。ピリピリと小さな『雷』を君に感じている」  男は実に嬉しそうに笑っていた。 「きっと君がまだ幼いからかもしれないね。君が大人になって……そうだね、200歳を超えた頃にもう一度会ったなら、きっと君も私も『雷』を体験できる気がするよ」  ユリはそれを聞いて、200歳になる日が待ち遠しくなった。この美しい男と『運命の番』になる。それが嬉しくてたまらなかった。  それなのに。 「あのオークが……私の運命の……?」  おぞましくて最後まで口にすることも出来ない。エルフがオークと、だなんてあり得ない。  そもそもオークにαなんているわけがないのだ。だからきっと勘違いに違いない。  この世界にはエルフ、オーク、ヒト、獣人など様々な種族がいる。  大抵は男女どちらかの性別のみだが、エルフやヒト等一部の種族には男女に加え、α、β、Ωから成る第二の性が存在する。  αは約一割の割合で生まれ、身体的にも頭脳的にも優秀な者が多い。女でも男性器を持ち、他の女やΩを妊娠させることができる。  βはその種族の大半を占め、ごく普通の男女と変わらない。  Ωはαよりさらに個体数が少ない。  そして男でも妊娠することが可能で、発情期にはフェロモンを発し、Ω本人の意思とは関係なくαを性交に誘う。  ユリはΩだった。  エルフは50歳で成人となり、人で例えると20歳から30歳程の見た目のまま年を取らず、千年程まで生きる。しかし、エルフは長寿ゆえにか繁殖力は弱く、Ωが発情するのは200歳を超えてからが普通で、発情期も2〜3年に一度しか来ない。  現在112歳のユリに発情期が来るのはまだ80年も先なのだ。つまり、寿命が百年にも満たないオークとは、何もかもが噛み合わない。 「そうだよ……。そんなの、あり得ない……」  ユリは金の長い髪を掻き上げ、「ハハ……」と小さく笑った。

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