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第二章 第一節 熱帯夜

 八歳になったばかりの春のこと。母が死んだ。荻野(しのぶ)は、田舎に住む祖母に引き取られた。  山奥の寒村だった。大人も子供も排他的だった。誰も彼もが、偲を好奇の眼差しで見た。村を捨てて上京した娘の子供がどんなものか。母に先立たれた子供がどんな顔をしているのか。理由はそれだけで十分だった。偲の存在は、噂の格好の的だった。  ヒグラシが鳴き始める、六月の夕暮れのことだった。帰りのバスに乗り遅れ、片道一時間半の道のりを、ランドセルを背負って歩いていた。土埃を上げて通り過ぎた軽トラックが停車した。   「荻野さんとこの坊主か」    四十を過ぎた中年の男が顔を出した。偲は男を知らないが、男は偲を知っているらしかった。家まで送ってやると言われて、車に乗った。   「バスに乗れなかったのか。次は夜まで待たにゃならんものなぁ。しかしまぁ、歩きじゃ相当かかるだろう。ばあちゃん呼べなかったのか」 「……ばあちゃんの運転、怖いから」 「はは、確かになぁ。女が運転なんかするもんじゃねぇのさ」    偲は窓を全開にして、吹き込む風に顔を当てた。汗が乾き、火照った肌が落ち着き始める。  曲がりくねった山道。未舗装の道路。少し視界が開けたと思えば、田畑が広がっているばかり。単調な景色の繰り返し。  村に入る手前で、車は脇道に逸れ、少し進んで停車した。農機具等を仕舞っている倉庫の片付けがしたいのだと、男は言った。車内は暑くなるからこっちで休んでいろと言われ、偲も車を降りた。  倉庫の中は、六月の夕暮れとは思えないくらい、薄暗かった。泥のにおいと、草の香りと、少しカビ臭いようなにおいもした。すりガラスに削られた粗い日差しが、舞い立つ埃に反射していた。  強く腕を掴まれた。抱えていたランドセルを剥ぎ取られ、倉庫の隅に投げられた。年齢に成長が追い付いていない小柄な体を、軽々と抱え上げられた。蹴り上げた足が積み重なった段ボールに当たり、音を立てて崩れた。倉庫の隅に重ねられていたむしろの上に下ろされて、体を押さえ付けられた。砂埃が舞い上がり、偲は顔を顰めて咳をした。   「お前のおっ母は、そりゃあいい女だった。色っぽくてよ、肌なんか真っ白で、眩しいくらいだった」    シャツをたくし上げられる。筋肉のついていない、平べったい白い腹に、男は目の色を変えた。   「坊主。やっぱりお前は、あの女の子供だな」    ヘソの上に湿った感触を覚え、偲はびくりと体を強張らせた。男が、腹の真ん中に吸い付いていた。   「お前のおっ母はなぁ、そりゃあ色っぽくていい女だったけどよ、気が強くて、派手好きだったなぁ。野良仕事なんか嫌だって、村を捨てて、オレ達を裏切って、東京に行っちまった」    ヒルのように吸い付いた男の唇。ナメクジのような舌が這う。肌がベタつくのは、男の唾液のせいか。それとも、自然と滲み出る汗のせいか。   「はああ、すべっこくて、やわこくて、真っ白じゃあねぇか。千代子(ちよこ)とおんなじ肌をしてやがる」    粘度の高い汗でぬるつく男の手が、体中を這い回る。腹部を這いずる男の舌が、胸元まで這い上がる。肌色とほとんど見分けがつかない、まだほんのりと色づいただけの乳首に、男は涎を垂らしてしゃぶり付いた。  ぞわぞわと悪寒が走る。六月の夕暮れ。外ではヒグラシが鳴いている。閉め切った薄暗い倉庫の中で、汗はとめどなく滲み出るのに、肌という肌が粟立っている。   「これくらいのこと、許されるはずだ。なぁ、千代子のガキ? お前は、男の子だものなぁ。これくらい、なんてことはねぇ。オレはなにもおかしくねぇんだ」    男の息が荒くなる。生臭い鼻息が首筋に当たる。偲は微かに身を捩る。本当は、両手両足を振り回して男を振り解きたかったが、体に力が入らなかった。思うように動けなかった。   「うっ、出る! でるぞ!」    突然男が大きく呻き、体を震わせた。きつく抱きすくめられて、偲は息もできない。  ようやく解放されたと思えば、独特の青臭いにおいが鼻をついた。腐った魚のような生臭さに、息をしようとしても咽せてしまう。  薄い下腹に、白く濁った液体が、べったりとへばり付いていた。その正体を、偲は知らなかった。男は首に巻いた手拭いを取り、偲の体と、自身の体を拭いた。  体が小刻みに震えていた。いつからそうだったのか、偲には分からなかった。震える両手を握りしめる。震える両足に力を入れて踏ん張った。  がらんとした天井に見えるのは、細かい塵だけだった。物で溢れる棚の上に高窓があった。差し込む光は、いつの間にか赤く濁っていた。偲は、いつまでも立ち上がることができなかった。  祖母には何も言わなかった。心配をかけたくなかったし、祖母に言ったところでどうにもならないと分かっていた。この狭い村で、既にいない母の影を背負いながら、年老いた祖母と幼い孫とで、生きていかなければならない。    状況が悪化するのに、さほど時間はかからなかった。  夏祭りの夜だった。今夜だけは特別に、大人はもちろん、子供も夜遅くまで宴会に参加できる無礼講だったが、偲は子供達の輪に入れなかった。一足先に帰路へついたところで、村の若い男に呼び止められた。山の手の神社で大人だけの集まりがあるが、興味はないかと言う。言外に含まれた意味を、偲は敏感に読み取った。  行ってみれば、案の定だった。山の手の古い神社の敷地内にある小さな集会所は、男達が詰めていた。結婚前の若い男から、婚期を逃した中年男、妻子に逃げられた年配の男まで、女日照りが勢揃いといったところだった。  偲に性的なことを教え込んだ、四十過ぎの男もいた。他に、知らない顔も交ざっていた。祭りの夜は、村外からも親類縁者や関係者が大勢訪れるので、おそらくその類である。「ああ、この子が例の…」と、皆が偲を好奇の目で見た。初めて会う相手に、こちらの出自や素性が知られていることに、得も言われぬ気味の悪さを覚えた。  男達の輪の中に誘い込まれ、言われるままに酌をした。祖母は酒をやらない。母の酒の相手ならしたことがある。しかし、それもうんと昔の話だ。室内に充満するにおいだけで酔いそうだった。  試しに飲んでみるか、と誰かが言った。猪口を持たされ、酒を注がれた。ほら飲め、やれ飲め、と囃し立てられて、偲は一口で飲み干した。喉が焼けるように熱くなった。  おお、と感心したような声が上がる。千代子はオレ達の酒を決して飲まなかった、と誰かが興奮気味に言うのが聞こえた。  二杯目を注がれたが、飲めなかった。頭がくらくらする。体の動きが鈍っていくのを如実に感じる。とにかく何かに寄りかかりたかった。誰かの手が肩を抱いた。  気づくと、別室に連れ込まれていた。帯を緩められ、胸元がはだけていた。少女時分の母が着ていたという浴衣を、祖母が仕立て直してくれたのだった。祭りのためにと用意してくれたものだったが、こんなことになるのなら、着てくるのではなかった。  誰かに足を掴まれていた。浴衣の裾を大きくたくし上げられていた。隠すもののない足を、男の武骨な手が這い上がる。「いや…」と、声に出ていた。男はふと顔を上げると、にたりと下卑た笑いを浮かべた。   「いや、だって? 知った風なこと言いやがる、このマセガキ」 「いいからとっととやっちまえ。後がつかえてんだぞ」 「無茶やって壊しちまったらどうすんだよ」    この部屋には何人がいるのか。男の酒臭い口が近づいてきて、偲は顔を背けたが、無理やり顎を掴まれて、口唇を塞がれた。分厚い舌が、唇をべろりと舐める。唇をこじ開けて、口内へと侵入する。  汗か脂か、ぬったりとベタつくものが顔面を覆った。粘り気のある生臭い唾液と、ざらついた分厚い舌とに、気道を塞がれる。顎を掴む男の手を、偲は必死に引っ掻いた。いい反応をする、と男は笑った。  誰かに手を掴まれた。粘度の高い液体にまみれた硬い棒を握らされた。男の股間にそそり立つそれを見て、自分の股にも同じものがぶら下がっていることに気づいた。しかし、見慣れたものとはあまりにも形が違う。怖くなって手を振り解こうとすると、さらにきつく握らされた。言われるがままに手を動かすと、また口唇を塞がれた。  びくん、と体が強張った。初めて感じる痛みが走った。尻の穴に、棒状のものをねじ込まれている。  血の気が引いた。何をされるのかは分からなかった。反射的に足を蹴り上げた。大人の力には敵わなかった。複数の手で押さえ付けられた。  少しずつ穴を掘り進めるように、棒状のものが入ってくる。抜かれたり、また押し込まれたり、時折ねじる動きも加えながら、奥へと掘り進められる。偲が嫌がって首を振ったり、手足を跳ねさせたりすると、男達はいやらしい笑みを浮かべて悦んだ。  そろそろ頃合いか、と誰かが言った。すっと手を引かれて、ねじ込まれていたものが体内から抜けていった。腹を圧迫するものがなくなって、偲は安堵の息をつく。次の瞬間である。  もっと硬く、太く、大きなものが、尻の穴に宛がわれた。それが何か、陰になっていて見えなかったが、突き付けられた熱の正体を知っていた。つい先程握らされたのと同じ、凶悪な肉の棒だった。  反射で体が動いていた。あんなものをねじ込まれたら、尻が壊れる。無茶をして壊したらどうする、という言葉の意味を、今になって真に理解した。しかし、今更気づいてももう遅い。  うまく腰が立たなかった。四つ這いになって逃げようとした。しかしあっさりと掴まって、引き戻され、力ずくで押さえ込まれて、太いものをねじ込まれた。  ずどん、と。まさにそう表現する他ない衝撃だった。体内の空気が圧縮されて押し出され、濁った悲鳴となって口から漏れた。   「おお、こりゃすげぇ。おま×こよりも具合いいんじゃねぇか」    男は舌舐めずりをすると、思い切り腰を振った。  引き抜かれると、内臓ごと引きずり出される感覚がする。押し込まれれば、内臓ごと押し潰される感覚がある。勢いよく抜かれて、腰を打ち付けられて、ひたすらにそれを繰り返す。  尻が真っ赤に腫れている。骨が砕けそうに痛い。柔い粘膜が切り裂かれる。尻の穴が引き裂かれる。本来入れるべきでないものを、本来入れるべきでないところに、乱暴に出し入れされる。   「ああもうダメだ、出すぞ、出すぞ」    男が低く唸った。目が回るほど激しく揺さぶられていたのが、まるで嵐が過ぎ去るように、ぴたりと止まった。と同時に、腹の奥に生温かいものが放たれた。どろりとした塊が、腹の奥から胃の腑にまで入り込み、勢いよく逆流する。   「こいつ、吐きやがった」    酸っぱいにおいが充満していた。何度も咽せて嘔吐した。少しだけ頭がはっきりした。気分だけはすっきりした。   「いいから早く代われ。次はオレだぞ」    誰かが言った。萎んだ花殻のような性器が抜けていき、入れ替わりでいきり立つものをねじ込まれた。  自分で自分の体を支えていられなかった。くたりと床に身を伏せた。顔も上げていられなかった。そんな偲を一瞥もせずに、二番目の男も欲望のままに腰を振った。  果たして、何本咥え込んだのか。片手で足りなくなったところで、数えるのをやめてしまった。いくら数をこなしても、隣の部屋から新たな男が引っ切りなしに現れるので、いつまでも終わりが見えないのだった。   「ああ、こりゃ確かにすげぇや。締まる締まる」    下卑た声が降ってくる。尻の感覚が擦り切れていた。押し広げられた尻の穴も、裂けた粘膜も、もう痛くはなかった。ただ、腹の奥に溜まった精液が重かった。   「オレぁもう待てねぇ。こっちでしてくれ」    頭を掴まれ、押さえられる。母と住んでいた頃は伸ばしっぱなしになっていた髪を、祖母が短く刈ってくれるようになったので、髪を掴むということができない。骨まで響くほどの力で、乱暴に頭を押さえ込まれる。  唇に、性器の先端を押し当てられる。ぬるついた液体が唇を濡らす。初めのうちこそ、顔を背けたり歯を食い縛ったりしていたが、何発も殴られるうちに、抵抗を諦めた。偲は、突き付けられた性器に自ら吸い付いた。  垢まみれの小便臭い男性器に舌を這わせ、口内へ迎え入れる。味を誤魔化すため、必死に唾液を分泌する。嘔気を堪えながら、先端部分を刺激する。頬を窄めて吸い上げる。  頭を押さえる男の手に力が入る。頭が割れるように痛い。もうこれ以上入らないのに、男は腰を動かした。汗で蒸れた陰毛に顔が埋もれる。喉の奥に、先端ががっぽりハマった。  生温かい、どろりとした塊が、喉を伝って気道を塞いだ。鼻は陰毛が塞いでおり、口は性器が塞いでいる。生理的な反射反応で、偲は精液を吐き出した。床に這いつくばって激しく咽せる。吐き出したものの中には、胃の内容物も含まれていた。  またかよ、と怒気を含んだ声がして、偲は咄嗟に頭を庇った。と同時に、いやでも、と別の誰かが呑気に言う。吐く瞬間は喉が痙攣して気持ちいいのだ、と。それならオレも試してみよう、と別の誰かが言う。また頭を掴まれる。  上からも下からも、精液を注がれる。体内を流れる血の色まで、白く濁ってしまいそうだった。  青臭い、生臭い、饐えたにおいの充満する小部屋にも、ようやく朝日が差し込んだ。昼過ぎになって家に帰った。祖母には何も言わなかった。  これほどまでに苛烈な行為は、これが最初で最後だった。しかし、折に触れてあの神社へ呼び出された。そのうち、ちょっとした小遣いをもらったり、菓子をもらったり、畑の野菜を分けてもらうようなことも増えた。血は赤いままだった。  そんなことが数年続き、中学二年の夏に祖母が死んだ。偲は、血縁上の父親だという男の家に引き取られた。

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