10 / 11
第三節 尊厳
素行不良が目に余ったのか、高校は寮のある男子校へ入れられた。将来が約束されている弟にとって、出来損ないの兄がそばにいることはふさわしくないと、父が判断したのだろう。この上なく正しい判断だ。
寮暮らしならば監視の目があり、そう簡単に悪さはできない。何より、大事な一人息子である誠一郎を、兄の悪影響から引き離せることは、父にとって大きなメリットだったはずだ。
しかし、いくら立派な父であろうと、事を全て意のままに操れるというものではない。何事も、イレギュラーは付き物である。
「……荻野、だっけ? お前さ、」
食堂で昼食を取っていた偲の前に、男子生徒が座った。顔は見覚えがあるが、名前が出てこない。確か、何かしらの選択授業で同じ教室にいた気がするが。
「お前さ、先週の日曜、街まで出てた?」
「……だったら何だよ」
「ああ。じゃあやっぱり、見間違いじゃなかったんだ」
遠回しな言い方に、偲はむっと眉根を寄せる。その男子生徒は、含みのある表情を浮かべた。
「おっさんとホテル街に歩いてくとこ、見ちゃったんだよね」
「……」
「そうだろ? あれ、やっぱお前だったんだな」
男はにんまりとほくそ笑む。偲はうんざりと溜め息をついた。
「チクりたいなら好きに」
「えっいや、違う違う。全然そういうつもりじゃなくて」
いくらでヤらせてくれんの?と、わざとらしく声を低くして囁いた。
「……別に、金に困ってやってるわけじゃない」
「え、そうなんだ。じゃあなに、普通に男が好きとか?」
「……ってわけでも……ねぇけど……」
あの荒れた中学を卒業し、地元を離れて、男の相手をする必要はなくなった。今通っている高校は、ある程度品のいい学生が集まっているらしく、目立ったいじめも起きていない。
とはいえ、偲は相変わらず孤立している。友人らしい友人はいないし、学校でも寮でもいつも浮いている。
男の相手をする必要はなくなった。この学校には、偲を殴る者がいない。犯して、マワして、屈服させたがる変態はいない。彼らの目を、弟の目を欺くために、淫蕩に振舞う必要もない。それなのに……
不思議なことだ。自分でも訳が分からなかった。絶えることなく男を咥え込み続けたせいで、頭も体もおかしくなってしまったらしい。男が欲しくてたまらなくなった。
制服を着たまま、繁華街を歩いた。ゲイバーを覗いてみたり、ハッテン場として名高い公園に足を運んでみたりした。テレクラに電話をかけてみたこともある。そうこうするうちに知り合ったのが、日曜日に会ったおっさんだ。二人きりで会うのは初めてではない。もちろん、ホテルに行くのも。
ああして知り合った大人の男に抱かれるのは、そう悪いものでもないと知った。少なくとも、殴る蹴るの暴力に飽き、それでもなお持て余している若いエネルギーを爆発させ、凌辱という形でぶつけられるよりは、ずっとマシだった。
うまい飯を食わせてもらえるし、小遣いだってもらえる。一方的な嬲り者にされることもなく、何より、安かろうが何だろうが、ホテルのベッドで抱かれるのは気持ちがよかった。中には、偲の身の上に同情し、優しい言葉をかけてくれる者もいた。
もちろん、妙な趣味の相手に当たることもある。女物の下着を着させて悦ぶようなのもいたし、エプロンを着けさせて乳首ばかり吸いたがる男もいた。自慰行為を見させられたり、ひたすら写真を撮られたこともある。だが、それくらいどうということはない。大人しくしていれば事が済み、終われば褒めてもらえるのだから。
「なっ、なぁ、本気で?」
「ああ? てめぇがしてぇっつったんだろ」
「い、いや、そうなんだけどさ、さすがにここで……?」
偲は、あの男子生徒を、校内の植物園へと連れ込んだ。広い庭園の隅にぽつんと佇む、人気のない温室だ。木の陰に隠れるように男子生徒を座らせて、いきなり腰のベルトを外すと、彼は分かりやすく狼狽えた。
「い、いきなり? いきなりそういう感じ?」
「てめぇが、童貞のくせに男に勃つか分からねぇとか言うからだろ」
「そ、そりゃ、そうなんだけどさ」
「ホテル行って勃たなかったら金の無駄だろ。先に確かめといてやる」
「うぇぇ、マジでぇ?」
嫌そうに言いながら、彼のそこは、偲が軽く口づけるだけで硬くなった。指で丁寧に皮を剥き、露わになった亀頭に舌を這わせると、粘りのある汁が溢れてくる。舐めても舐めても溢れてくる。口を離すと、唾液と混ざって糸を引く。亀頭の先と舌とを繋いだ。
「ははっ、ガチガチだ」
「どうも……」
「褒めてると思うか?」
「違うの?」
ぱくりと口を開け、根元まで一気に頬張った。ぬるついた亀頭で上顎を擦り、舌先で裏筋を捏ねる。無理にねじ込まれるのと違って、自分の裁量でしゃぶるのは気持ちがいい。性感帯を的確に刺激することができる。前歯の裏から喉の奥まで、エラの張ったカリ首を引っ掛けるようにして擦るのが癖になっていた。
「ぅあ、やばっ……口って、こんなに?」
情けなく声を震わせながら、彼は偲の頭を掴んだ。
祖母が死んで伸ばし始めた髪の毛は、男にしては伸ばし過ぎなくらい長くなった。少し前までは、殴ったり性器を咥えさせる際のちょうどいい持ち手として使われていたが、最近はそんなことも減ってきたので、邪魔な前髪も横の毛も、整髪料でまとめて軽く後ろに流している。
偲の髪を掻き乱し、指を絡めて握りしめた彼の力があまりに弱々しいのが、ひどく愉快に思えた。ウブな坊やが、大切に守ってきた童貞を、男の尻で捨てようとしている。しかも、使い古しのだらしない穴で。そう思うだけで、笑えた。
「あっちょっ、待って待って、やばいかも!」
頭に爪を立てられる。咥え込んだものが、一層硬く上を向く。男の腰が痙攣を始める。偲は、あっさりと口を離した。
「ぅえぇっ? ちょっ、なんで、」
「いいから、しっかり勃たせてろ」
偲は制服を脱ぎ捨てた。シャツをはだけると、膨らみのない胸や、筋肉のつき始めた腹部が覗く。ベルトを外し、下着を下ろせば、緩く勃ち上がった男性器が露わになる。まだ疎らな陰毛が、淡い日差しに透けている。
「どうだよ、抱けるか?」
偲が言えば、彼は目を白黒させながら、素っ頓狂な声を上げた。
「男に勃つか分からんと言っただろう。このケツに挿れるんだぜ。できんのかよ」
偲は、相手に背を向け、尻を見せた。半ばほど下ろした下着から、ゴム毬のような尻が覗いた。日焼けを知らない肌が、透き通るように白い。
いきなり、背後から組み付かれる。力任せに押し倒された。地面に正面から倒れ込む。尻だけを上げる恰好でねじ伏せられて、割れ目を確認するような手付きで尻を揉まれ、そうかと思えば、ずぷん、と硬いものが入ってきた。
「い゛っ……てめ、ふざけんなよ」
「えっ、あれ、ダメだった? 挿れていいって意味じゃないの」
「んなの、ひとこともっ……」
「マジで? ゴメ……あーでも、抜くの無理かも。このまま出すね」
「はあ? ざっけんな、ナカはやめろ!」
地べたを引っ掻き、砂利を掴んで暴れた。腹の奥に、生温かい感触が広がった。偲は顔を顰め、高く上げた尻を微かに震わせた。
ずるりと性器が抜けていく。栓を失い、放たれたものがどろりと溢れる。太腿を濡らす感触に、偲は眉間の皺を深めた。
どうにか指先で穴を塞ぐ。溢れ出すものを奥へ押し込む。「うわエロ」などと惚けている相手を、きっと睨んだ。
「ナカはやめろと言っただろ」
「いやー、あの状況じゃ無理だって」
「クソが。最悪だ」
「んだよ。別によくねぇ? ナマでしたって、妊娠するわけじゃなし。今までだって、散々やってんだろ? 今更もったいぶってんじゃねぇよ」
「……入浴時間まで、あとどんだけあると思ってんだ。ベッタベタの体のまま、何時間も過ごしたくねぇんだよ」
偲が言えば、さすがに悪いと思ったらしく、彼は小声で謝った。
「悪いと思うならな、次はホテルにでも連れていけ」
私立校とはいえ、品行方正な若者ばかりが集まっているわけではない。進学コースももちろんあるが、偲と同じように、不登校だったり素行に問題のある生徒が、生活改善のために寮へ預けられているというパターンも多い。そういった学生にとって、管理された寮の暮らしは息苦しい。たまには羽目を外したい。大人に対する些細な反抗でもあるのだろう。
「……荻野、くん? 噂聞いたんだけど……」
別のクラスの男子生徒が、わざわざ教室まで会いに来る。机の上に、校内の自販機で買ったらしい、紙パックのレモンティーを置く。偲はそれを一瞥し、目だけで相手の顔を見た。だらりとした黒髪に、銀縁眼鏡、第一ボタンまで留めた制服が目に入る。
「口で済むなら放課後。そうじゃないなら日曜だ」
「きょっ、今日の!?」
「嫌なら週末」
「ぜっ、全然! じゃ、じゃあ今日の」
「分かったら行け。しつこい」
体を縮めて、そそくさと教室を出ていった。
偲はストローを紙パックに挿す。一口飲み、二口飲んで顔を顰める。レモンの苦みを感じたのは一口目だけで、その後はずっと甘ったるい。八割方残したまま、紙パックを机の隅に置いた。今回もまた飲み切れず、流しに捨てることになりそうだ。
最初に抱かせてやった男子生徒が、童貞卒業の自慢話を周囲に漏らしたのだろう。その流れで、偲の噂も広まった。男と見れば誰にでも股を開く尻軽だ、という噂が。その結果が現状である。童貞を捨てたいとか、気軽な遊び相手がほしいとか、そういった理由で、別のクラスの生徒や、上の学年の先輩からも、お呼びがかかるようになった。
クラスでは相変わらず浮いたまま。むしろ、以前より疎まれているように感じる。不潔な淫売と机を並べたくないというのは、健全な青少年にとっては当たり前の感覚だろう。それでも、偲は現状に満足していた。
誰かに必要とされ、求められるのは気分がいい。一発ヤりたいがために、菓子やらジュースやらを貢がれるのは気分がいい。偲の気を引きたいがために、試験の過去問を集めたり、レポートを代筆したり、そうやって尽くされるのは気分がいい。ヤらせたらすぐに飽きられるとしても、色狂いの淫売にとってみれば、過ぎた待遇に思えた。
学校で青少年を喰い散らかしている一方で、街での男漁りからも足を洗ってはいなかった。小遣いをもらえるというのもあるが、学校を離れてホテルで過ごす解放感は、他では得られないものだった。
「……兄さん」
ある時、弟が寮を訪れた。似てないな、とルームメイトに言われた。腹違いだから、と偲が答えれば、納得したような顔をしていた。
あの家を離れてせいせいしていたのに、品行方正を絵に描いたような弟が、出来損ないの兄相手に、今更何の用だろうか。人に聞かれたくない話だというので、偲は弟を庭園の温室へ連れていった。
「で、何ですか。秘密の話というのは」
偲が言えば、弟は大事そうに持っていたカバンを開け、真っ黒なクリアファイルを取り出し、さらにそこから、一枚の写真を取り出した。
「ここに写っているのは、兄さんですね?」
「……ええ」
肌色の面積が大きい写真だ。布切れのような下着を着けてはいるが、ほぼ裸である。白い靴下に、赤い首輪、猫耳に尻尾までつけて、猫のポーズを取っている。おそらく、妙な趣味の男に当たった時に撮られた写真だ。
「よく撮れているでしょう。これ確か、尻尾の付け根はケツに挿れてるんですよ」
「……兄さん」
得意になって偲が言えば、弟は苦虫を噛み潰したような顔をして、写真をぐしゃりと握り潰した。
「こんなことは、二度となさってはいけません」
「なぜです」
「……なぜですって?」
弟は、信じられないという風に顔を歪めた。
「ええ。あなたは何か勘違いをしておられるようだ。おれは何も、嫌々ながらこの珍妙な恰好をさせられたわけではないのですよ。乗り気だったわけでもないですがね。写真だって、無理やり撮られたわけじゃない。おれが許可したから、あの変態のおっさんはシャッターを切ったんです。おかしなことは何もないでしょう。そういうお遊びですよ」
「……兄さん。私がいつまでも無知なままとお思いですか。私にだって、最低限の分別はつきます。普通の高校生にとって、これが普通の行為ではないことくらい」
「それなら、尚更問題はありませんね。おれはどうやら、普通ではないようですから」
「何を言って──」
「それで、あなたはまだ、おれの疑問に答えてくださっていませんね。この行為の何がそんなに問題なんです? こんな写真、おれは頼まれればいくらだって撮らせますよ。頭がおかしいと詰りますか。それの何がいけないんです」
「……いけないに決まっているでしょう」
弟は、強い眼差しで偲を見た。強い力で肩を掴む。
「当たり前です。こんなことは、許されるべきではない。あなたの尊厳が傷付くだけだ」
「……」
胸の奥に冷たいものが広がった。やがて全身を冒される。体温を根こそぎ奪われる。頭の奥まで、氷塊をねじ込まれたように冷えていく。
「……尊厳ですか。そんなもの、最初からありませんよ」
「いいえ、兄さん。人間なら誰しもが」
「だったら、どうすればよかったんですか。おれがああしなかったら、誰がおれの尊厳とやらを守ってくれるんです。もういない母ですか。あなたのお父様ですか。それとも祖母にやらせますか」
「兄さん……」
初めて、弟の瞳が揺らいだ。偲はさらに畳みかける。弟の胸倉を掴んで押し倒し、馬乗りになった。
「おれがどうやって生きてきたのか、本当のことをあなたはご存じないはずだ。手に入れたのは、この写真だけですか。もっとすごい写真だって撮られましたよ。男のチンポしゃぶってね、精液を頭からぶっかけられて、それでもおれは笑ってるんです。おかしいでしょう。今頃どこぞで取引されているんですかねぇ。どんな値がついても、おれには一銭も入っちゃ来ませんが」
弟の手から写真を奪う。びりびりに破り捨てた。
「あなた、これを見てどう思ったんです。兄を軽蔑しましたか。所詮は売女の息子だと。それともお父様に言い付けましたか。ああ、お父様は何とおっしゃったのかな。遠坂の家を叩き出せとでもおっしゃいましたか。確かに、こんな恥知らずは遠坂にふさわしくはありませんがね」
「いいえ、兄さん。いいえ。父には何も──」
「ああ、もしや興味がおありですか。あなたも男ですからね。おれは構いませんよ。兄弟だってやることは同じです。子ができるわけでもないんですから、何だってできるんですよ」
女の唇くらいは知っているのだろうか。つるりとした弟の唇に、自身の荒れた唇を寄せる。胸元からそっと指先を進ませて、弟の股間に触れた。
「やめてください」
裂くような悲鳴が上がる。次の瞬間、偲は宙を舞っていた。突き飛ばされたと気づいたのは、地面に尻餅をついてからだった。弟が、息を荒げてこちらを見下ろす。
「おぞましい……」
確かにそう呟いたのが聞こえた。弟が、穢らわしいものを見る目で、突き刺すように偲を見ていた。
この目を、偲は知っていた。彼の母親、遠坂夫人と同じ目だ。路傍に転がるネズミの死骸を見る目と同じ。憐れみと蔑みとが入り混じった、冷たい目だった。
出直してきますと言って、弟は踵を返した。その背中を、偲は地べたに尻をついたまま、うつけたようにぼんやりと眺めた。
座り込んだまましばらく過ぎて、立ち上がる。温室のガラスに影が映る。そこで初めて、自分が笑っていたことに気づいた。
それ以降、弟が訪ねてくることはなかった。父から連絡が入ることもなく、偲は高校を卒業した。卒業後は、夜の街で知り合った土建屋の社長に拾われて、住み込みで働くこととなった。
ともだちにシェアしよう!

