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第五節 放浪

 あちこちを転々とした。様々な仕事をした。現場仕事に戻った時期もあったし、夜職もいくつか経験した。キャバクラのボーイをしたり、売り専バーで働いたり、クラブのオーナーに気に入られて、飼われていた時期もある。  古希を過ぎた爺さんだったが、ロマンスグレーの粋な男で、偲を猫か孫かのように可愛がってくれた。別宅のペントハウスを住まいとして与えられ、何不自由ない生活をさせてもらった。  体の関係はもちろんあった。あちこち舐められ、ふやかされて、指だけでイかされるのが常だった。それでもナカを埋めるものがほしくて、偲はよく、よその男を引っ掛けて遊んだ。そうして朝帰りをした日には、人が変わったように手酷く抱いてもらえたので、ますますこの遊びをやめられなくなった。  彼の方も、偲の意図に気づいていただろう。よそへ行く気なんてさらさらなく、ただ飼い主の気を引きたいがために、よその男と遊ぶのだと。だから、いつも期待に応えてくれた。偲が泣いて許しを請うまで責め立てて、最後はめちゃくちゃに甘やかしてくれた。  普段は干からびている性器が、この時ばかりは完全に勃起する。長大なペニスが、腹の一番奥まで届く。すらりとした長い手足に押さえ付けられて貫かれるのは、気が狂うほど気持ちいいのだった。  この老人のどこをそんなに気に入っていたのか、自分でもよく分からなかった。ただ、頭を撫でてくれる優しい手が、深い皺の刻まれた痩せた手が、萎びて乾いた肌も、白くなった髪も、死んだ祖母を思い出させた。あるいは、もう十年近く会っていない父も、今頃はこんな風に老いているのだろうかと、詮ない想像を掻き立てるのだった。  彼が大病を患ったことを機に関係は解消し──というより、偲が一方的に出奔した──その後はまた、あちこちを転々とする生活に戻った。放浪生活というほどではないが、同じ土地に居続け、同じ仕事をし続けることは稀だった。   「お兄さんひとり? 隣いい?」    電子音楽が奔流するナイトクラブ。目映く明滅するレーザー光線が、ミラーボールに反射する。バーカウンターの片隅で、一人静かに飲んでいると、男が声をかけてくる。偲は、ほとんど中身の減っていないグラスをテーブルに置き、流し目に相手を見た。   「一人。あんたも?」 「いや、オレは仲間と来てんだけどね。踊り疲れたから、ちょっと休憩」    三十前後の若い男だった。金はなさそうだが、身なりは綺麗で、遊び慣れた雰囲気だった。一晩を共に過ごすには、申し分ない相手だろう。偲は軽く椅子を引いて、彼の肩に身を寄せた。   「……お兄さんさぁ、前にビデオ出てたよね?」    男が言った。  少し前の話になるが、たまたま知り合った相手が監督をしていた縁で、ゲイポルノに出演したことがある。もちろん、ネコの男優としてだ。稼ぎはそこそこよかった。   「ああいうのはもうしないの」 「……金がほしかっただけだから」 「そうなんだ。参ったなぁ。オレ全然金ないよ」    男の白々しい演技に、偲は笑った。   「別に、金なんてなくても」    数人の仲間と合流し、近場のホテルへ直行した。あっという間に裸になって、ベッドへとなだれ込む。   「かわいいね。こういうの慣れてるんだ」    あられもなく肌を晒した偲に、男の一人が言った。見れば分かるだろ、と偲が答えれば、またかわいいねと繰り返した。   「もっとよく見せてよ。すげぇ、縦割れじゃん。こんな綺麗なの初めて見たかも」 「チンポ大好きなんだ? 今まで何人とヤッてきたの」 「んなのいちいち覚えてねぇ。いいから早くぶち込んでくれ。疼いて仕方ねぇんだよ」 「へえ。お兄さん、かわいい顔してそういうタイプ? 燃えるじゃんよ」    体の準備はとっくに出来ている。足りないのは、空の器を埋める熱だけ。ねじ込まれた瞬間に、軽く達した。  複数の手に押さえ付けられ、闇雲に揺さぶられる。手当たり次第に突き上げられて、内臓がすり潰される。体の奥を、力ずくで暴かれる。  上からも、下からも、精液を注がれる。それでも、血は赤いままだと知っている。底の抜けた出来損ないの器は、いつまでも満たされることがない。   「すっげ、潮吹いてんじゃん。あのビデオ、やらせじゃなかったんだな」 「お兄さ~ん、自分が今どんなカッコしてるか分かってる? ひでぇモンだぜ。ケツアクメキメてるとこ、ばっちり映っちゃってるよ?」 「ほらぁ、こっち向いてよ。ピースピース」    朦朧と霞む視界に、カメラのレンズが光って見えた。撮られたくない、と反射的に思って、顔を手で隠そうとすると、手首を掴まれ押さえ込まれた。   「違うでしょ、ピースだってば。笑ってみ、ほら」    カメラに視線を向けて、笑った。本当に笑えていたかは分からない。両手でピースサインをした。指に力が入らなかった。歪に曲がったピースサインが、映像として記録された。  どんなにみっともない姿を晒したって、それを写真や動画に残されたって、構わない。その程度で削られる自尊心など、初めから持ち合わせていない。この程度でいちいち傷付いていられるほど、価値のある人間じゃない。  壊れるにはまだ足らない。満たされるにはもっと足らない。だからこうして、誰彼構わず股を開く。頭のおかしい色狂いを、こんな欠けた人間を、それでもまだ必要としてくれる誰かがいることを実感する。どんな醜態を晒そうと、口汚く罵られ、嘲られても、それでもまだ、人間の形を保って生きている。そう感じる瞬間にだけ、渇きが癒える。  目が覚めると、乱れたベッドに一人で寝ていた。開かない窓の隙間に日が差していた。  テーブルにホテル代が置かれていた。連絡先の書かれたメモは、目を通さずに千切って捨てた。   「あらシノブちゃん。またこんな時間にお帰り?」    太陽が黄ばみ始めていた。アパートの向かいにあるスナックのママが、店の前を掃きながら笑いかけた。偲は軽く会釈をする。   「ダメよぉ? 不摂生ばっかりしてちゃ。酷い顔してるわ」    頬に手をやれば、剃り忘れた不精髭がざらついた。  思えば、高校を卒業してすぐの頃から、髭を作り始めている。長嶋社長に憧れて伸ばし始めたのだ。彼の大人の色気に憧れていた。今唐突に思い出した。そういえば、吉松(よしまつ)の爺さんも、真っ白ながら豊かな顎鬚を蓄えていたっけ。おかげでキスがしづらくて、肌を重ねる度にくすぐったくて仕方なかった。   「別に、元々こんな顔ですよ」 「そういえばねぇ、シノブちゃんにお客さんがあったわよ」    記憶を辿るように首を傾げ、ママが言った。   「昨日の、お店開けてすぐの頃だったかしらね。背の高い、いい男がね、あなたを探してるって言うのよ」    弟だ、と直感した。背の高い、いい男。あの家に引き取られて初めて会った時から、弟は偲よりも体格がよかった。背が高くて骨太で、足がとにかく長かった。弟を前にする度、偲がどれほど惨めな気持ちになったか、弟には分かるまい。   「いい男、ですか」 「目鼻立ちがはっきりしていて、モデルさんみたいだったわよ」 「若い?」 「若い若い。おばちゃんからしたら、大体みんな若いけどね? シノブちゃんと同じか、ちょっと若いくらいかしらねぇ」    弟だと確信した。まさか、これほどまで近くに迫ってきていたなんて。想定外だった。   「オギノシノブって人がこの辺りに住んでるはずだって言うのよ。写真まで見せられちゃって。あれ高校生の頃の写真かしら。シノブちゃん、昔はあんなにかわいかったのね。ずいぶん雰囲気変わったのねぇ」 「それで、そいつは?」 「私が知らないって突っぱねたら、諦めて帰っていったわ。でも、また訪ねてくるかもしれないから、一応報告と思って。相手に心当たりはある?」 「……いや、どうかな」 「次来たら、また追い返しておくからね」 「そうしてくれると助かります」    この土地はもう駄目だ。もう何度目になるか分からない引越しの準備に、偲はその日のうちに取り掛かった。  一刻も早く、この地を離れなくては。どこか遠く。うんと遠くへ。いっそのこと、海外にでも行ってしまおうか。パスポートの申請に、何日かかるのだろう。戸籍を取り寄せたりしている間に、また居場所を突き止められてしまうのではないか。  ここではないどこかであれば、どこでもよかった。北の大地でも、南の島でも。  北へ向かったのはたまたまだ。宗谷岬から樺太へ飛ぼうなんて、本気で思っていたわけじゃない。  路銀が尽き、吹雪の中で行き倒れていたのも偶然。杉崎遥平(すぎさきようへい)と出会ったのも、あの場所に長く居過ぎてしまったのも、偶然だ。

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