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第四節 家
セックスなど、誰とでもできる。そこに特別な意味など存在しない。それが荻野の持論だったはずだ。少なくとも、出会った当初はそうだった。初めて体を重ねた時にも、そうだった。
その荻野が、キス程度の触れ合いさえも躊躇するのは、そこに確かな意味が存在することの証左ではないのか。ならばもう、躊躇う必要などない。
「……ホントにいいの」
「あ? 今更日和ってんじゃ……」
「いや、そういうわけじゃねぇけどさ」
荻野を布団に組み敷いた。心なしか緊張した面持ちで、小さく身動ぎをする。
数か月ぶりに体に触れる。荻野はひどく大人しい。大人しいというよりも、緊張している。緊張がひしひしと伝わってくる。そんなはずはないと身をもって知っているのに、まるで初めて事に当たる処女のように不安そうにしている。
「優しくするね?」
「……気味わりぃこと言うな、アホ」
「ひどくない? ねぇ」
口ではそう言っているが、指先をそっと触れただけで、ぴくりと体を震わせる。そんな相手に無体を強いるほど、杉崎も人でなしではない。
輪郭を確かめるように、体を撫でる。腕から肩、胸から腰へ。冷えていた体が、じんわりと熱を持つ。その熱が、杉崎にも伝わる。
首筋に唇を落とす。荻野は敏感に反応する。首筋から喉元へと、唇を滑らせる。荻野は僅かに喉を反らせ、急所を晒す。軽く吸い付き跡を残すと、白い喉が鳴った。
鎖骨を甘噛みし、胸元にも跡を散らす。白い肌に赤い痕は、花びらが散っているようで美しかった。
「触るよ?」
荻野が頷くのを待ってから、足を開かせる。太腿から鼠径部を伝い、尻のあわいへと指を滑らせる。つぷんと指先を沈ませる。掴んだ足がびくりと震えた。
「痛てぇ? 大丈夫?」
そう尋ねつつ、大丈夫そうだというのは感触で分かる。狭い穴を押し広げつつ、指を奥へと進める。くるくると肉襞を掻き撫でながら、指を増やす。
「ァ……っ」
荻野の引き攣った声が漏れた。杉崎は指を引き抜くどころか、反応のあったその場所を執拗に撫でた。
「ここ?」
「っ、ぅ……」
「好きだよな。ちゃんと覚えてるぜ」
「ッ、なら、とっとと……」
「うん。挿れていい?」
コンドームの封を切り、くるくるとゴムを広げてペニスに着けた。今まで、こういったことにはあまり気を遣わず、ゴムを買っても使い切るのにしばらくかかっていたものだが、今日は着ける。
荻野の内腿に触れる。足を開かせ、その間に腰を入れる。先端を押し当て、軽く擦ってローションを馴染ませてから、ぐっと力を入れて腰を進めた。
荻野が息を詰める。杉崎は腰を止めずに、一番奥まで、入るところまで押し込んだ。荻野が吐息を漏らすと同時に、杉崎も息を吐いた。
「結構前のまんまだな」
本当にそう思ったのだが、目を伏せた荻野の反応を見て、やっぱりと言い直した。
「やっぱり、前よりちょっとキツいかも」
「どっちだよ」
「わかんね。お前ン中だな~って感じ」
欲望のまま、乱暴に腰を振りたくりたい。しかしそれ以上に、荻野の体温や鼓動を、直に感じていたかった。この熱が杉崎に移るまで、同じリズムで鼓動を刻み始めるまで、いつまででも抱き合っていたかった。
杉崎に抱きしめられながら、荻野は小さく身を捩った。おい、と不安そうに言う。
「動けよ」
「もうちょいな」
「っ、てめ、なんのつもり……」
踵で背中を蹴られる。蹴るというには弱々しい。つま先が背中に触れ、両足が甘えるように巻き付いた。
「すぎ、さき」
行為中に名前を呼ぶのは珍しい。荻野が息をする度、鼓動が脈を打つ度に、体の内側が引き攣れている。杉崎にも伝わる。
「はや、く……」
荻野が手を伸ばすので、杉崎はその顔を覗き込んだ。熱を帯びた切なげな瞳に見つめられ、ドキリとした。いつもの冷淡さも、かつての淫乱さも影を潜めた面差しに、在りし日の少年を見た。
ずっと前から、この男を知っていた。彼も、ずっと前から杉崎を知っている。あるべき場所に、あるべきように戻ったように感じるのは、だからだろうか。
荻野の手が、杉崎の頬に触れる。少年時代に負った傷と、交差するように走った傷跡。なぞるように、指先が触れる。
「い゛っ、痛ででででッ! なに!?」
ぎゅうう、と頬を思い切り抓られた。驚きと痛みに間抜けな声を発しながら悶えると、ふっと荻野が笑った。
頬を抓って、そのままぐいと引き寄せられる。視界が荻野でいっぱいになる。唇が重なった。
甘い、と思った。次に、柔らかいと思った。こいつの唇は、こんな味だったか。こんな感触だったろうか。やはりどこか懐かしく、それでいて新鮮だった。今まで、唇に集中してキスをしたことがなかった。
薄く口を開く。浅く舌が入ってくる。唇をなぞっては離れる。もどかしくなって、杉崎から舌をねじ込んだ。舌先が擦れて、甘く絡む。唾液の糸が絡み付き、欲望の匂いが深くなる。
名残を惜しんで、舌が離れる。艶めいた唇を一舐めして、荻野は笑った。「ざまあみろ」と微笑んだ瞳は、無垢な少年そのものだった。
ゆっくりと腰を回す。荻野はシーツを掴んで身を捩る。甘美な響きが、杉崎の耳をも犯す。こんな声で喘ぐのか、この男は。かつてもそうだったろうか。
古い呪縛から解き放たれたかのように、荻野は乱れた。かつての演技じみたいやらしさはなく、素直に快感に身を任せていた。杉崎が深く突き入れると、しなやかに肢体を撓わせ身悶える。
「あっ♡ も、あっ、ああ……っ♡」
「イク?」
「いっ、く♡ あっ、はああ……ッ」
シーツを掴んでいた手を握りしめ、指を絡めた。ぐっと体重をかけて腰を突き入れ、奥を叩く。ぎゅう、と腰に両足が絡み付く。びくん、と体を跳ねさせて、荻野は果てた。すぐに杉崎も精を放った。
汗ばんだ肌を重ねる。息を整える間も惜しく、唇を重ねた。貪るように舌を絡めて、唾液を掻き混ぜた。そうしていると、また下半身が硬くなる。荻野が微かに腰を浮かす。
ゴムを外し、口を縛った。二つ目を取ろうとして枕元に手を伸ばすと、荻野に手を掴まれた。そのまま引き寄せられて、体が重なる。濡れそぼった穴に、ペニスの先端が擦れる。荻野が腰を動かす。無抵抗に滑り込んだ。
薄皮一枚取っ払っただけで、全ての感覚が明瞭になった。荻野の鼓動、血の温度、汗のにおいと、吐息の甘さ、微痙攣する肉襞の蕩けた感触。その全てが、己のものとして感じられた。
愛しいなんて言葉では足りない。愛や恋とは違う種類の感情だ。ただただ、この男を放っておけない。まるで、かつて失った己の半身のように感じられるから。もう二度と、見失いたくないだけだ。
「すっ、ぎ……も、ナカ……ッ」
「出していいの」
「い、いっ♡ もっと、おくっ……」
恐ろしく悩ましげでありながらもどこかあどけない。そのちぐはぐさが劣情を煽る。
「ぜんぶ、よこせ」
荻野の腰を抱きかかえ、思い切り腰を遣った。ガクガクと揺さぶられながら、荻野は杉崎にしがみつく。晒された乳首に歯を立てて腹の奥を叩くと、荻野は全身を反らして果てた。
杉崎は腰を止めない。体のぶつかり合う音を、意識の外で聞く。最奥を抉るように、何度も何度も突き上げる。荻野が髪を振り乱して叫び、精液とも潮ともつかない液体を漏らした。彼の中に、ありったけの精を吐き出した。
*
目元に淡い光が差す。腰がじんわりと温かい。夢現の快感にいまだ酔いしれている。温かいものがぴたりと寄り添っている。手探りでそれを抱きしめた。
「んぁ……」
甘く掠れた声が響く。急速に意識が浮上する。
昨夜、散々ヤり尽くした挙句、繋がったまま眠ったのだ。荻野の中に沈み込んだ性器が、緩い刺激に勃ち上がり始める。緩い快感に浸っていたくて、軽く腰を動かした。
いよいよ硬く勃起する。荻野の中が狭く感じる。もはや衝動を抑え切れず、荻野の腹部に手を回し、きつく抱いて腰を打ち付けた。
「ンあ゛っ♡ ……へぁっ??」
状況を呑み込めずに目を白黒させる荻野に構わず腰を振る。昨夜たっぷりと注ぎ込んだ精液が、体内で掻き回される。粘着質なその音が、ひどく官能的に響いた。
「やめっ、んん♡ あっ、あ……ッ」
逃げようとする腰を捕まえる。緩く兆していた性器を握り、軽く扱くと、腹の中までびくびく引き攣れた。
「やッ、ああ♡ すぎ、さ」
「……きもちい」
「っっ、く……♡」
前を激しく擦り立てると、荻野はいよいよ嫌がって、うつ伏せに体を倒した。そのまま、押し潰すような後背位で深く繋がる。胸元へ手をやり、つんと尖った薄桃色の突起を指でまさぐる。
「やっ、そこ……♡」
「ここすると締まるんだよね。わかる?」
一層固く尖り立った乳首を優しく撫でて、指先で捏ねる。荻野は声もなく腰を跳ねさせる。押さえ込むように、杉崎は深く突き入れる。
「やぅ、あ゛♡ いッ、く……っっ♡」
「俺も……こっち向いて」
荻野の顎を掬い取り、半ば無理やり後ろを向かせた。荻野は必死に身を捩る。唇に噛み付き、舌を突き立てた。濡れた口内を掻き回して、ほとんど同時に果てた。濡れそぼった穴の中を、また新たな熱で満たす。荻野は、布団に性器を擦り付けて射精した。
「っ、ふ……♡」
呼吸が落ち着くまで、舌を絡めていた。やがて唇を離す。朝日を浴びて銀色に煌めく。それがひどく官能的で、いやらしいことをした証のようにも思えて、恥ずかしくなった。
それは荻野も同じらしかった。まだ喘ぎも収まらないまま、むすっと怒ったような顔をして、軽い張り手で杉崎を押し返した。
「ふざけんな、こんな朝から……」
「ふざけてませんけど~。つか、お前が挿れたままでいいって言ったんじゃん」
「言ってねぇ。てめぇがどうしてもってうるせぇから仕方なくだろ」
「えー? んなこと言ったかな、俺」
「いいからとっとと抜け。尻穴が締まらなくなる」
「いや、十分締まってたけどね」
「ねじ切られてぇか」
まだ半勃ち状態の性器をずるりと引き抜くと、どろりと精液が溢れ出した。赤らんだ粘膜と、透き通るような肌と、そこに伝う白い体液との対比が絶妙で、再び下半身が熱を持ちそうになった。
「……お前、どこまで本気だ」
荻野がぽそりと呟いた。ひどく危うげな声だった。
「俺はどこまでも本気だぜ」
「……お前、女と寝たこともあるだろう」
「まぁな。学生の頃だけど」
「普通に結婚したいとは思わないのか。おれはお前の子を産んではやれねぇぞ」
「別に思わないね」
「おれはただのアバズレだ。分かっているだろうが、ガキの頃から男遊びしかしてこなかった、だらしのねぇケツマ×コだ。こんな男のどこがいい」
「んなの最初から分かってたことだし、そんなお前が好きだよ」
「……」
荻野は唇を食い締めて押し黙る。心なしか頬が赤らんでいる。
「……莉子の、ことは……」
「莉子ちゃんは、ダメだよ」
杉崎が答えれば、荻野は躊躇いがちに視線を上げた。
「あの子と俺とじゃ違い過ぎるし……俺と同じになってほしくないから。もっとふさわしい相手がいるってのも分かってる。俺なんかがおこがましいよ。莉子ちゃんがどう思ってたって、そこはやっぱり、ちゃんとしておきたい」
「……そうか」
「吸う?」
杉崎は枕元に手を伸ばした。煙草を咥え、もう一本を荻野の唇に挟む。一本のライターで同時に火をつけた。今この瞬間、同じ息を吸って生きている。
白くほっそりとした指先。しかしもう冷たくはない。蒼い煙を口の端に燻らせて、荻野は目を細めた。
「……なら、しょうがねぇから、くれてやるよ」
ふっと煙を吹きかけて笑う。
「おれの全部、残さずに喰ってくれ」
唇は煙の味だ。ほろ苦さが舌に沁みた。
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