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第32話

それからは平和な日々が続いた。 というより。 白田が会社へ来ることはなくなった。 待ち伏せもない。 元彼の恋人に会うこともない。 ようやく本当の意味で過去になったのかもしれない。 それは素直に良かったと思う。 ただ。 問題がひとつ増えた。 本当に困った問題だった。 先輩のリゾットが食べたい。 定期的に。 ものすごく。 食べたくなるのだ。 最初は気のせいだと思った。 体調が悪い時に食べたから美味しく感じただけ。 そう思っていた。 だけど違った。 一週間後。 無性に食べたくなった。 だから自分で作ってみた。 レシピを調べて。 材料を揃えて。 それなりに上手く出来た。 味も悪くない。 だけど違う。 何かが違う。 次は店へ行った。 有名なイタリアン。 評判も良い。 実際美味しかった。 それでも。 やっぱり違う。 食べ終わった後に思う。 先輩の方が美味しかったな。 何なんだろう。 別に特別な材料を使っているわけじゃない。 見た目も普通だった。 なのに。 どうしてもあの味が忘れられない。 仕事中もふと思い出す。 コンビニでキノコを見る。 思い出す。 クリーム系のパスタを見る。 思い出す。 スーパーの米売り場を見る。 思い出す。 重症だった。 だけど。 だからと言って。 『先輩、リゾット食べたいです』 なんて連絡するのもおかしい。 絶対おかしい。 俺だって社会人だ。 そのくらいの理性はある。 だから我慢した。 何度も我慢した。 そしてある日の昼休み。 食堂で昼飯を食べていると。 向かいに座った先輩が不思議そうな顔をした。 「何か悩み事?」 「え?」 「朝からずっと難しい顔してるわよ」 そんなに分かりやすかっただろうか。 「別に」 そう言って誤魔化そうとする。 すると先輩は目を細めた。 「あんた」 嫌な予感がした。 「もしかしてまた白田?」 「違います」 即答だった。 むしろその話なら楽だった。 先輩はさらに首を傾げる。 「じゃあ何よ」 言えるわけがない。 あなたのリゾットが食べたいですなんて。 そんなこと。 言えるわけがない。 だから俺は黙った。 先輩はしばらく俺を見つめる。 そして。 「あんた絶対くだらないことで悩んでるわね」 そう言って呆れたように笑った。 図星だった。

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