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第35話
それからどうやって家まで帰ってきたのか覚えていない。
先輩と何を話したのか。
どんな道を通って帰ってきたのか。
何一つ思い出せなかった。
気が付けば、自分の部屋にいた。
玄関の鍵を閉め、靴を脱ぐ。
そのまま力が抜けるように床へ座り込んだ。
静かな部屋。
さっきまで先輩の家にいたはずなのに、急に一人になった気がした。
頭の中では、さっきの言葉が何度も繰り返される。
――なってくれない?
――冗談抜きで、本気。
――私は本気だから。
何度も。
何度も。
先輩の声が頭の中で響く。
いつもの優しいオネェ口調じゃない。
初めて聞いた、一人の男としての声。
「……」
思わず顔を覆う。
胸が落ち着かない。
苦しいわけじゃない。
でも、今まで感じたことのない感覚だった。
目を閉じる。
すると浮かぶのは先輩の顔だった。
熱を出した時、額に手を当ててくれたこと。
何も聞かずに話を聞いてくれたこと。
泣いている俺を抱き締めてくれたこと。
リゾットを作ってくれたこと。
レモネードを渡してくれたこと。
「また帰りに様子見に来るから」
「今日は休みなさい」
「謝らなくていいのよ」
その一つ一つを思い出してしまう。
こんなにも自分のことを考えてくれる人がいただろうか。
白田とは違う。
見返りを求めることもなく。
何かを押し付けることもなく。
ただ俺のことを大切にしてくれた。
そう考えた瞬間、胸が少しだけ温かくなる。
でも同時に戸惑う。
これは何なんだろう。
尊敬なのか。
安心なのか。
それとも。
「……分かんない」
小さく呟く。
恋なんて、もうしたくないと思っていた。
誰かを信じることなんてできないと思っていた。
なのに。
気付けば先輩のことばかり考えている。
明日会ったらどんな顔をすればいいんだろう。
いつも通り話せるだろうか。
そんなことまで考えている自分に気付き、思わず苦笑した。
「ほんと……ずるいな」
誰に向けた言葉かは、自分でも分からなかった。
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