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第25話 鍛冶屋メアリーの葛藤

〔鍛冶屋メアリーの視点〕 煤の匂いが残る鍛冶場に、薄橙の夕陽が差し込んでいる。リリズは炉の前で、火のゆらめきを見つめていた。   この家の主であるメアリーは壁に凭れ、無言でその横顔を見ていた。 炎に照らされた頬、伏せた睫毛、そして薄く開いた唇。昔から、彼はこの横顔に何度も心を奪われてきた。 けれど、リリズが誰かに心を許すことはない――。 誰も信じず、誰にも縋らず、ただ一人で生きようとする強さと孤独を、彼は敬意と痛みをもって見てきたのだった。 リリズがこちらに視線を移す。 「突然押しかけてすまない」 「別に構わないけど、珍しいな」 この鍛冶屋の三代目として店を任されている俺のところに、リリズがすり減った剣を持って頼ってくることはよくあった。 だけど…、リリズ自身がこんなに消耗した状態で身を寄せてきたことには正直驚いた。 「家を出てきた、もうあそこには戻らない」 「また親と喧嘩したのか?」 リリズは答えない。 溜息をついて、メアリーは店を閉める準備をし始めた。 「しばらくここに居てもいいか? 迷惑でなければ…」 「お前と俺の仲だろ、遠慮するな。迷惑なんていまさらだしな」 そう言うとやっと、安心したようにリリズは少し笑ってくれた。 「迷惑ついでに、一つ頼みたいことがある」 「なんだ?」 「──これを、オーウェンに返してきてほしい」 メアリーはリリズのそばに腰を下ろす。 リリズの手には黒く煤けたようなネックレスが握られていた。 「その、オーウェンって奴にこのネックレスを突き返して振ってやればいいんだな、任せておけ」 安心させようと言った言葉にもリリズは浮かない顔をする。 「それは…貰ったんじゃない。オーウェンに恥をかかせようとして俺が盗んだものだ。──いつのまにかそんな色になってて、たぶん俺が持っていたからだ…こんな罪人の俺なんかが持ったから……」 「ちょっ…待て、落ち着け…」 「……俺がオーウェンを壊してしまった」 そう言って言葉を詰まらせたリリズに、ただならぬものを感じて問いただす。 「──リリズ…何があった?」 「……よく、思い出せない…だが、深く考えてなかったと思う。俺はあの日、父に言われたことをオーウェンに尋ねて、見えた色を言った…」 メアリーは黙ったままリリズの話に耳を傾ける。時折、ぱちぱちと炉から音がして、リリズの嗚咽のような声がまじる。 婚約者であるオーウェンは実は自分が騙して潰してしまった家の子で、それを裏で操っていたのはリリズの父親だった。そしてオーウェンの父親は蒸発し、母親は心を壊し、オーウェン自身は親と離れ孤独に暮らした。 ──そんな内容の話に俺は黙って相槌を打った。 「オーウェンはすべてを知って俺のそばに居てくれたけど、俺はオーウェンのそばに居られない……こんなのは…罪悪感に耐えられない…」 「──リリズ」 リリズの肩を抱いて引き寄せる。 「大丈夫だ、何があっても俺が居る」 リリズが男を引き入れては打ち捨ててきた奴だということは知っている。良くも悪くも目立つから、知名度や貴族という地位に寄ってくる男も悪いとは思うが。 リリズを利用しようとした奴なら、俺も何度か懲らしめてやったことがあった。 だからこそ、オーウェンの存在を聞いて、胸の奥がざわついた。 ──リリズが“罪悪感”という言葉を口にしたのは、初めてだった。 今回ばかりは俺だって落ち込むリリズを慰める術を持たないかもしれない。 「ネックレスはきちんと返すから安心しろ。……もう泣くな、目が腫れちまうぞ」 「…っ…」 メアリーが言うと、リリズはうなずいた。 「こんなこと頼んで、すまない」 「慣れているから、気にすんな」 リリズを傷つけようとする奴を追い払うことには慣れている。俺が心配なのは、リリズ自身が自分を傷つけてしまうことだ。 …俺だったら、リリズを傷つけない。 俺を選んでくれたならどんなにリリズの気持ちを楽にできるだろう。 メアリーは自嘲する。こんなことはもう何回も考えては霧散したことだ。 ただ、リリズ自身がこれほどまでに心を痛めるのは、きっとオーウェンは特別な存在だからなのだろう。 (今回の家出は長くなりそうだ──) そんなふうに考えてから、メアリーはネックレスを静かに懐にしまった。 ※ ※ ※ 銭湯の湯気の匂いが鼻を掠める。番頭らしき人に呼び出してもらったオーウェンは、デッキブラシを持ったまま慌てたように俺の前に現れた。 目の下には深い隈があり、色の薄い金髪とブロンズの瞳は儚げに見える。 「…あなたが僕を呼び出したの……?」 「ああ、会いに来たのがリリズじゃなくて悪かったな」 そう言うと、オーウェンはわかりやすく肩を落としたようだった。 メアリーはその姿を観察するように眺めた。 ──これが、あのリリズが言っていた男か……? 確かリリズは、“透けるような美しい青年だか、毒のない笑顔はそれを凌駕して愛らしい奴だ“ とか言っていたが… いまいちよくわからない…。 「あの…リリズのお知り合いですか…?」 「ああ、友人のメアリー・ド・ベルだ」 オーウェンは疲れた目で小さくうなずいた。 「僕に、何か?」 「リリズからこれを返してほしいと頼まれた……こんなふうにしてしまって、すまないとも言ってた」 革袋を差し出すと、オーウェンは 「リリズが?」と言って受け取り、中を確認すると袋ごと握りしめて胸元に抱き寄せた。 「リリズが……持っていてくれたんですね」 その声は優しく、リリズの手にあったことに心底安心しているように聞こえた。 そんなオーウェンの様子になぜか俺の胸の奥がまたざらつく。 「リリズとあんたのことは聞いた」 メアリーは古びた銭湯の床板を見つめながら言葉を続けた。 「貴族のことは詳しくねぇが、あいつ、自分じゃどうにもならないくらい落ち込んでた」 オーウェンは目を伏せたままだか、わずかにその瞳が揺れた。 「あなたには弱音を話すんですね」 「……まあな、俺は昔デヴロー家に居た。リリズとは師弟みたいなもんだ」 「師弟?」 「立場は雇い主の息子と使用人の息子だったが、リリズに剣を教えたのは俺なんだぜ」 オーウェンが驚いたように目を見開く。 その素直な反応に、俺は少しだけ得意げな気分になった。 リリズの話になるとたちまち目に輝きが宿ったようなオーウェンは、リリズの言う通り愛らしい印象だ。 「ベル家は鍛冶屋だった。昔、魔術師狩りで疑われて逃げていた時にデヴロー家にかくまわれた。それが縁でな」 「なるほど……“刀剣のベル”のベル家ですね。有名ですから知っています。……だからリリズは、あんなに剣が上手なんですね」 オーウェンの声は、まるでリリズを讃えるようでいて、無邪気だ。 だがその邪気のなさがリリズを後ろめたくさせたことは、俺には容易に想像がついた。 メアリーはわざと軽い調子で言った。 「あんたが今までの男と違うのはリリズの反応からわかった。だが、罪悪感に付け込まないでやってくれ」 「……え?」 「言っとくが、あいつは強く見えてとても傷つきやすい。誰かが寄り添えば、簡単に“支えられた”って錯覚するだろう。……けど、それは救いじゃない。もっと深く沈むだけだ」 まあ、それは誰が寄り添ったところで同じだがな。リリズに本当の意味で寄り添える奴なんていない。メアリーは内心ひとりごちる。 オーウェンは視線を惑わせた。 「リリズは…じゃあ、ずっとひとりで居なければならないの?」 「いまは俺が居る。しばらくは放っといてやってくれ」 迷いの入り混じった目をしたまま、ただ、沈黙が落ちる。 「でも……僕にはリリズが必要です」 メアリーは短く息を吐いた。 「わかるか? リリズはそのネックレスが変色したのは自分が罪人だからだと言ったんだ」 「な、なんで…そんなこと……」 「それほど自分が許せないんだろ。あんたが少しでもリリズを責めたなら死んでいたかもしれない」 意地悪を言うつもりなんてなかった。 それでも、自分がリリズと重ねた時間や信頼を軽々と飛び越えようとするオーウェンに、自然と敵意を向けていた。 俺の言葉にオーウェンは酷く傷ついたような様子で、胸に当てたネックレスを強く握っていた。 「…っ…ごめんなさい」 リリズを守りたいだけだったのに。オーウェンの謝罪の言葉は俺の胸に痛々しく落ちるだけだった。 ※ ※ ※ リリズは静かに椅子に座り、剣の手入れをしていた。 トレーニングを終えてから浴びたシャワーの熱はすっかり冷め、いまは肌寒さだけが残る。 メアリーが部屋に入るとリリズは顔を上げ目を細めた。リリズには“色“ はどんなふうに見えるのか。メアリーは少しだけ、恐怖心を抱いた。 「オーウェンに会えたか?」 「……ああ、渡してきた。礼を言ってたぞ」 「そう、か…」 リリズは不安な表情を隠さない。 あんなにリリズに心酔したような奴相手に何をそんなに不安になるのか、俺にはわからなかった。自分で返しに行ったならきっと、リリズの不安は少しは和らいだはずだ。 今日はオーウェンにリリズに会うなと言ったくせに、なぜだかそんなことを思ってしまう。 結局、俺はリリズがオーウェンに会ったならすべてが上手くいってしまうのが怖いのかもしれない。 「──そういえば…」 「何だ?」 「あの黒くなったネックレスは、温泉の成分が原因らしい」 「そうなのか?」 リリズは驚いたように俺を見る。 「元に戻す方法を知っているから、心配しなくていいと…オーウェンが言ってたぞ」 「──そう…だったのか…」 リリズは安堵した様子で微笑んだ。 そんな様子に、リリズをぼろぼろにするのも、いとも簡単に救い上げるのもオーウェンなのだと、思い知らされるような感じがした。 ネックレスが元に戻せるように、オーウェンにもリリズが居れば戻すことができる時間があるのかもしれない。 ──それでも今は俺がリリズのそばに。 リリズとの時間をまだ手放したくはない。 夜風が小窓から吹き込み、火が静かに揺れた。その灯は、メアリーの心を焦がすように、長く燃え続けていた。

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