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第28話 再会の時

記憶が、戻りかけている── 襲われる前じゃない。 もっと昔の記憶だ。 リリズは記憶を頼りに今は使われていない古い建物の前に居た。 かつて学校だったその建物入り口には高くそびえる棟があり、頂上の鐘を鳴らすロープが下へと伸びる。 急にこの場所がなんなのかを思い出した。と同時に鳴り響く澄んだ鐘の音に、記憶がクリアに呼び起こされたのだ。 だけど、目の前の朽ち果てた鐘が昔と変わらない音色を響かせるとは思えない。 リリズは朽ちかけたロープに手をかけ力いっぱい揺らすが、やはり鳴るのは古い鉄がぶつかるだけの歪で鈍い音だけだった。 予想が確信に変わっていく。 鐘は鳴ったが、俺が聞いたのはこの音じゃない。 さっき聞いた耳に余韻が残るような音は、自分の中の過去が呼び起こした音だと。 この鐘の音を聞いたとき、ここに来たいと強く思った。 苔が覆う石畳の地面を踏みしめながら進み、古びた扉を開ける。 ──行ってはいけないのに、行きたい これは昔と今とどちらの自分の感情だろうか。 なかに入ると朽ちかけたパイプオルガンがそびえ建ち、その前に立つ人影があった。それが誰かはリリズにはすぐにわかった。間違うはずがない、ずっと頭から離れなかった存在。 俺の気配を感じて身じろいだその陰が月の灯りが差し込む場所に姿を現す。 「…オーウェン」 金糸の髪にブロンズの瞳をたたえてオーウェンはそこにいた。 「リリズ、なぜここに?」 振り返ったオーウェンは静かに俺に問いかける。そんな様子になぜか俺は少し違和感を覚えた。 「鐘の音が聞こえた、お前が鳴らしたのか?」 「ええ、でもうまく鳴らなかった」 「しばらく使われていなかったからな、前にお前と俺で鳴らした時にはもっと遠くまで聞こえる音だった」 「僕とあなたで…」 ──そう オーウェンと俺で鳴らし合った。 どちらが先に鳴らせるか競争したり、待ち合わせの合図でもあった。 リリズは自身の蘇る記憶と、不安定に瞳を揺らすオーウェンに違和感の理由を感じ取っていた。 「覚えてないのか?」 記憶を失っていたのは俺で、オーウェンは覚えていると思っていた。だが茫然とそこに立っている姿はどこか迷子のようにも見える。 「なぜか昔遊んだはずのあなたの顔も声も、見た景色すら曖昧なんです」 「そうか…」 眉を寄せ困ったように見るオーウェンに俺は近づいていく。 「思い出せなくて、ごめんなさい」 「別に構わない」 「たぶん、あの時は生きるのに必死だったんだと思います。過去を振り返る余裕なんてなかった」 そう言って自分に言い聞かせるようにオーウェンは笑おうとするが、その言葉に俺の胸は痛んだ。 記憶を失って何事もなく生きてきた俺とは違う。子どもだったオーウェンが抱えるにはショックが大きすぎたのだろう。だから自ら記憶を曖昧にして生きてきたのかもしれない。 「リリズ、悲しいの?」 「…え?」 俺の感情に共鳴したのか、表情からそう感じたのか、オーウェンが心配そうに俺を見ている。 「あなたを通して過去の自分に起きたことが悲しいこと理解できます。でも僕自身はそれほど気にしていないので、そんな顔をしないでください」 気にしていないと言う言葉と、俺がいまのオーウェンを見て感じる感情はどこかちぐはぐな気がする。 オーウェンの記憶は曖昧だ。そして昔は確かにあったはずの喜怒哀楽の色はもう見えない。 それでも俺にはわかる。 オーウェンにはちゃんと感情がある。 だけど長い間、それは自分自身に“見ぬフリ“ をされてきた。 その代償が感情に鈍感な自分を作り上げた。きっとそうなのだと。 思い返せば、オーウェンの言葉を鵜呑みにしてなぜ感情がないなんて思ってしまったのか。俺はそばでオーウェンの優しさにふれて愛情を受けていたはずなのに。 「本当に、気にしていないか」 オーウェンは微笑みながら頷いた。 「こんな世界でもあなただけが僕にはきれいに見える、だから過去はあまり考える必要がなくなりました」 「俺が昔見たお前の色はとても純粋できれいだった。そんなお前を見て、今なら何かを聞き出せると思った…俺は汚い人間だ」 「リリズ…」 親の策略とはいえ、俺はオーウェンを利用して家族を壊してしまった。そしてオーウェン自身の心も壊したのだと思う。 オーウェンは優しくて愛情深い。でもときどき見せる何にも動じないような冷たい目は、修羅場を見てきた眼差しに他ならない。 その目は人を遠ざけオーウェン自身を孤独にしたかもしれない。 空白のように抜け落ちた色。 共鳴することへの異常な執着。 そしてネックレスをなくしたとき、オーウェンはひどく不安定になっていた── 大切なものを自分の不注意でなくすことへの恐怖心がそうさせたのだろう。 すべてがオーウェンの人生そのものに感じられて、いまならピースがはまるように理解できる。 離れてからもオーウェンを知ろうと、ずっと考えていた。 でもその答え合わせはただ残酷な事実をリリズに突き付けるだけだった。 オーウェンが不意に口を開く。 「リリズ、あなたの罪を僕が食べましょうか?」 「どういうことだ」 意味がわからないというように俺はオーウェンを見る。 「あなたにこれから起こる不幸があなたの過去から来るものならば、僕がそれを被ります」 「なぜお前がそんなことする!?」 言っていることの重大さを理解していないオーウェンに、俺は怒鳴りつけるように言う。 この地域の文化を知らないとは思えないが、だとしたら正気とは思えない。 ここに伝わる信仰では罪人は神から見放されると信じられている。信心深い人は他人の罪を被ることを生業にしている人を用いて罪を贖わせると聞いたことがある。つまり、罪を他人に食べさせるという儀式だ。 …だけどただの噂だ。 他人の罪を被る人は罪人と同等に酷い仕打ちを受け、罪を贖わせた人も"忌み物"として扱われる。愚かな信仰の末路だ。 「被るというのは例えです。あなたが過去を償いたいなら、僕にもっと優しくするべきです」 俺は目を見張って、目の前に立つオーウェンを見た。 「何だって?」 無邪気に笑う様は、子どもみたいだ。 「僕に起きたことはあなたの意思じゃない。だけど僕が心に傷を負っていることも事実です。なのであなたが気にしているなら、僕は許しません。…でもリリズ、もしあなたが僕に優しくしてくれるならこの傷は少しずつ癒えるかも」 あざとい奴だと俺は頭を抱えた。 俺がどうしたいかに関わらずオーウェンは側を離れる気はないらしい。 思わず俺も笑ってしまう。 「それで、どのくらい優しくしたら許すんだ?」 「いっぱいです」 「それじゃわからない」 「リリズ、あなたを食べさせて?」 どうやらオーウェンが言うのは信仰とは関係ない感情のやりとりだと思った。 俺の罪の意識に共鳴したオーウェンは俺の痛みを引き受けようとしている。 「オーウェン、俺の罪は無くならない」 「でも僕なら、僕だけが和らげることができます」 「お前まで俺みたいに穢れるな」 「あなたは穢れてなんかいない、とてもきれいです」 オーウェンが俺に触れてくる手が、近づいて来る声が、自然と俺の鼓動を早くしていく。 「そんな訳……んっ……」 言い終わる前に唇を塞がれる。 「あなたの罪を忘れないで、僕が食べるから」 俺の身体の芯が熱くなるのがわかる。いつのまにか腰にまわされた手は優しくても強い意思が込められているように身体を引き寄せて離さない。キスがゆっくりと長く短く、何度も確かめるように頬や首に落とされていく。 目が合えばチャーリーの笑顔とうっとりとするような顔があって俺も嬉して。もうオーウェンを遠ざけようとは思わなくなっていた。 ただ優しく宝箱を開けるみたいにそっと扱われるのは今までにない感情を伴って身体をおかしくする。 「──ッ……オーウェンっ!」 耳にキスをされ、思わずビクリと身体が跳ねる。 こんなことをしながらオーウェンの確かな眼差しが俺を捉えるのが、たまらなく恥ずかしくなる。首筋から鎖骨と下がっていって、身体中にキスが落とされていく。反射的な刺激を求めるだけの行為だと思っていたものが、いままでとは違う何かを予感させて、期待と興奮でおかしくなりそうだ。 「……は……あっ……」 自分に縛るためなら俺の罪を許さないと言うオーウェンから逃れる術はない。 餌に貪欲な犬はもう我慢の限界といった感じで素直に欲を曝け出していた。 「……リリズ」 「……っ……うっ……オーウェン!!」 「──はっ……ごめんなさい、止まれなくて……」 恥ずかしがる間もなく服を剥ぎ取られて、 すべてを見られているのに俺から見えるのは特徴的な金糸の髪だけだ。 俺のを口に含ませながら言うオーウェンに、耐えるのに必死だった。 「はっ…い、やだっ…っ……ん……」 「リリズ、気持ちいい…ですか…?」 見ればわかるだろ。そう思いながら薄目を開ければ、なんだか嬉しそうに俺に視線を落とすオーウェンが見えて、心臓を激しく打つ。 「…ゔ……あ"……くっ……っ……!」 「ん…うっ……」 密着した身体に、震えるような快感の波が押し寄せてくる。身体だけじゃなく、感情も。 次第に苦しそうな吐息が混じってきて、オーウェンも感じているのだとわかる。 腰が動き始めて、俺はまた波に耐える。 心臓がやばいな。大きく呼吸をした俺に、オーウェンはまた優しくキスを落としてくる。 オーウェンの汗がキスとともに降ってくる。 こんなのは知らない。 リリズはぎゅっと目を閉じる。 何かに縛られるのは嫌いなはずなのに。 久しぶりに近くで感じた匂いも、声も、待ち望んだものに感じられることにリリズ自身も驚いていた。

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