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第一章 高等部 1話 壊れた日常4
ホームルームはもう始まっていた。
教室へ入ると、担任が顔をしかめる。
「久遠。また遅刻か」
「あー……すみません」
全然悪いと思っていない声だった。
教室の何人かが笑う。
「席につけ」
「はいはい」
「はいは一回」
政輝は返事をしないまま、自分の席へ向かう。
窓際の後ろ。
その途中で、涼と目が合った。
涼は自分の席に座っていた。
机の上には教科書とノートが開かれている
さっきまで生徒会室前で資料を捌いていた人間とは思えないほど、何もなかった顔で授業の準備をしていた。
ただ、政輝を見た瞬間だけ、ほんの少し困ったように笑った。
怒られている政輝を見て、呆れたような。
自分のせいだと分かっているような。
でも、それを言葉にはしない。
そんな顔だった。
涼はすぐに目を逸らした。
政輝はそれを横目に見ながら、担任へ雑に返した。
「今座ります」
「遅い」
「歩いてるんで」
「口答えするな」
また、近くの席から笑いが漏れた。
政輝は自分の席に着く。
鞄を置き、椅子に座る。
授業が始まる頃には、もう頬杖をついていた。
一限。
古典。
教師の声が教室の前から流れる。
政輝は黒板を一度だけ見た。
そのまま、ゆっくり目を閉じる。
「久遠」
教師の声が飛んだ。
反応しない。
「久遠」
隣の男子が肘でつつく。
「おい、起きろ」
政輝は薄く目を開けた。
「……何」
「当たってる」
「知らねぇ」
「知らねぇじゃねぇよ」
教室に笑いが起きる。
教師がため息をついた。
「久遠政輝。朝から寝るな」
「聞いてます」
「寝ていた」
「目閉じてただけです」
「寝ていた」
「じゃあ寝てました」
また笑いが起きる。
教師は呆れた顔をした。
「まったく。毎日毎日、夜更かしか?」
政輝は答えなかった。
机に伏せる。
金色の髪が腕の上に落ちる。
隣の男子が小声で笑った。
「昨日も寝てたろ」
「寝てたな」
「今日も寝るだろ」
「今寝てる」
「怒られてんだよ」
「知ってる」
その返事があまりに雑で、また近くの席から笑いが漏れた。
教師が黒板へ向き直る。
授業が戻る。
政輝は教科書を開かない。
ノートも取らない。
窓の外から入る朝の光が、机の端を白く照らしている。
校庭では、朝練を終えた生徒たちが用具を片付けていた。
政輝は一度だけ、教室の前方へ視線を向けた。
涼は、そこにいた。
背筋を伸ばして座り、黒板を見ている。
ノートには、整った字が並んでいる。
さっきまで指先が冷たかったことも、呼吸が浅かったことも、もう誰にも分からない。
涼は授業を受ける姿まで、きちんとしていた。
教師の説明に合わせて、必要なところだけを書き取る。
隣の席の生徒が小さく何かを聞けば、涼は声を潜めて短く答える。
何も乱れていない。
何も遅れていない。
政輝は目を閉じる。
怠い。
授業も。
教師の声も。
朝の校舎も。
何もかもがひどく遠い。
それでも、眠りに落ちる直前、指先に残った涼の冷たさだけが、妙にはっきり残っていた。
「久遠」
また教師に呼ばれる。
今度は起きなかった。
教室の空気は、いつものように緩く笑った。
この学校では、誰もが役割を持っている。
家の子。
将来の候補。
優秀な生徒。
生徒会長。
寮長。
そして、授業中に寝てばかりいる厄介な同級生。
涼は、そのどれもを完璧にこなした。
政輝は、そのどれにも真面目に収まらなかった。
ただ、政輝だけは知っている。
完璧に見えることと、壊れていないことは同じではない。
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