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第一章 高等部 4話 はじめて会った日9
「え、光出いた?」
誰かが聞いた。
涼は普通に頷いた。
「いたよ」
「どこ?」
「飼育棚のところ。ウサギ見てた」
何でもないみたいに言う。
本当にそうだったかのような声。
「じゃあ、二人いたの?」
「うん」
涼はまた頷く。
「でも僕も見てないよ」
少し間があった。
その間に、教室の空気が止まる。
疑いの形が崩れた。
政輝一人に向いていた線が、涼の一言でずれた。
涼は続けた。
「だから、誰かが間違えて持っていったか、落ちたかじゃないかな」
声は柔らかかった。
誰も責めない声だった。
誰かを庇っているようにも聞こえない。
ただ、次にすることを置く声。
「探そう」
涼が動いた。
「机の中とか、棚とか。僕、こっち見る」
その言葉で、何人かが動き出した。
「俺、ロッカー見る」
「机の下あるかも」
「図工の箱の方は?」
「廊下も見てくる」
犯人を探す空気が、キーホルダーを探す空気に変わっていく。
誰が、から、どこに。
それだけで、教室の中の嫌なものが少しずつ薄くなった。
政輝は立たなかった。
椅子に座ったまま、それを見ていた。
意味が分からなかった。
光出は焦っていなかった。
自分を助けた顔でもない。
何かを背負ったような顔でもない。
ただ、探していた。
自分も疑われる側に入ったくせに、それを気にしている様子がなかった。
数分後、教室の隅で声が上がった。
「あ、あった!」
図工で使う箱の下だった。
ウサギのキーホルダーは、箱の影に引っかかるように落ちていた。
「あった……」
女子が息を吐く。
「よかった」
「危なかった」
「なんでそんなとこ入ってんの」
誰かが笑って、また別の誰かが笑った。
空気が戻った。
いつもの教室に。
五時間目の先生が来て、みんなが席についた。
もう誰も、さっきのことを話していなかった。終わった話みたいに、次の授業の教科書を出している。
政輝だけが、少し違った。
前の方の席で、涼が普通にノートを開いている。
何もなかったみたいな顔で、先生の話を聞いている。
背筋が伸びていて、鉛筆を持つ指も静かだった。
昼休みの始まりに、出ていくのを見ていた。
政輝は確かに見ていた。
涼は教室にはいなかった。
なのに、嘘をついた。
なんで。
政輝は考えた。
自分を庇ったのか。
でも涼は、庇った顔をしていなかった。
恩を売る顔でもない。
助けたつもりの顔でもない。
ただ、自分もその線の中に入って、空気を変えた。
それだけだった。
その結果、誰も責められずに済んだ。
キーホルダーは見つかった。
女子は泣かずに済んだ。
政輝も、変な目で見られ続けずに済んだ。
教室は、元に戻った。
それが全部、涼の中では特別なことではないらしかった。
政輝は窓の外を見た。
ぬるい風が入ってくる。
校庭の砂が少しだけ舞っている。
光出涼は、自分を削ることを、たぶん削るとも思っていない。
その考えが、急に落ちてきた。
小学生の頭には少し大きすぎる言葉だった。
それでも、感覚だけは分かった。
涼は、自分が少し損をする場所へ、何でもない顔で立てる。
それで誰かが助かるなら。
空気が戻るなら。
多分、そういうことなのだろう。
政輝はもう一度、涼の背中を見た。
黒い髪。
小さな肩。
白い横顔。
何事もなかったかのように、ただ、授業を受けている。
ふと、窓からの木漏れ日が教科書に反射して、涼の長いまつ毛に光が落ちた。
黒く見える瞳が本来のヘーゼルがかった色を映し出す。
黒髪が艶を帯びて光る。
その横顔を見て、政輝は初めて思った。
綺麗だ。
容姿だけじゃない。
その、在り方が。
意味が分からないまま、目が離せなかった。
先生の声が教室の前から聞こえる。
チョークが黒板を叩く。
周りの子どもたちは、もう何も覚えていないように授業を受けている。
政輝だけが、まだそのままだった。
ただ、眩しいと思った。
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