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第一章 高等部 8話 記憶の断片4

涼が掴む。 一度だけ力を込めて、立ち上がる。 それだけだった。 「戻る」 涼が言う。 「戻れんのか」 「戻る」 「聞いてねぇ」 「答えてる」 政輝は呆れたように息を吐いた。 「今日、寮帰ったら寝ろ」 「まだ仕事がある」 「俺がやる」 涼が政輝を見る。 「お前にできるのか」 「字汚くてもいいなら」 「却下」 「じゃあ横で寝ろ。俺が読む」 「意味が分からない」 涼は少しだけ笑った。 疲れている。 まだ完全には戻っていない。 それでも、その笑い方は少しだけいつもの涼だった。 「忠犬なら、もう少し賢くしろ」 「飼い主に似たんだろ」 「俺は賢い」 「そこは否定しねぇ」 涼は制服の襟を直した。 髪を整える。 呼吸を一度だけ深くして、光出涼の形へ戻っていく。 政輝はそれを見ていた。 嫌になるほど、見慣れた変化。 階段を降りる前、涼が一度だけ振り返る。 「政輝」 「ん」 「さっきの」 「言わねぇよ」 「それもだけど」 涼は少しだけ目を伏せた。 「……次は、先に言う」 政輝は黙った。 その言葉の意味を、涼自身がどれだけ分かっているのかは分からない。 でも、言った。 それだけで十分だった。 「あぁ」 政輝は短く返す。 涼は頷いて、階段を降りた。 下の階へ戻るにつれて、文化祭準備の音が近づいてくる。 生徒の声。 教師の声。 段ボールを運ぶ音。 その中へ、涼は何事もなかったように戻っていく。 「すみません、少し確認に時間がかかりました」 柔らかい声が聞こえた。 もう、生徒会長の声だった。 政輝は少し遅れて階段を降りる。 だるそうに。 近寄りにくく。 いつもの久遠政輝の顔で。 ふと、自分の手を見る。 指先にはまだ涼の冷たさが残っていた。 触る速さも。 待つ長さも。 言葉の置き方も。 まだ、全部は分からない。 ふと、中学時代のことを思い出す。 あの頃はもっと酷かった。 もっとわからなくて。もっと不安で。どうすれば良いのか。 涼へ手を伸ばす自分の手も、震えていた。 手を緩く握って、力を抜く。 それでも、次は待つ。 次は先に聞く。 次は、涼が自分から手を伸ばすまで動かない。 ずっと、そうやって覚えていくしかなかった。 涼が崩れるたびに。 けれど、最初から今の形だったわけではなかった。 最初はもっと小さかった。 眠そうな顔。遅れる返事。減らない給食。 誰にも気づかれないくらいの、小さな疲れ。 政輝がそれを拾おうとし始めたのは、もっと昔だった。 まだ涼が壊れる前。 小学校の教室で、光出涼がただ少し疲れているだけだった頃。

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