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本業

朝一番に確認するのがメールではなくなった。 デスクの端に置いたラナンキュラスへ目を向け、水を替える。 一か月前の自分が見たら気味悪がるだろうなと思いながら柊はネクタイを締めた。 「西条さん、最近機嫌よくないですか」 現場へ向かう車の中、後部座席から声が飛んできた。 バックミラー越しに見ると、担当しているアイドルの飯島天馬が頬杖をつきながらこちらを見ている。 「うるさい」 「冷た〜、彼女?ねえ」 相変わらずくだらないとため息をつく。 けれど昔ならそこで会話は終わっていたはずなのに、最近はこういうやり取りに付き合っている自分がいる。 天馬が言うように機嫌がいいのかはわからない。 ただ、以前より肩の力が抜けている気はした。 花を飾るようになったからなのか、それとも別の理由なのかは分からない。 それでも仕事へ向かう足取りが軽いのは確かだった。 三十分ほど車を走らせると現場へと到着した。 いつも以上にスタッフの数が多かった。 どうやら今日は花を使った撮影らしい。 花を見ると不意にあの顔が脳裏へ浮かんだ。 たった二度会っただけだというのに、我ながら単純だなと思う。 それなのに花を見る度に思い出してしまうのだから不思議だった。 「飯島さん、スタジオ入られまーす」 天馬を現場スタッフへ引き渡しながら周囲へと視線を向ける。 撮影用なのか、大量の花がスタジオの一角に並べられていた。 花を使った撮影は今までも何度かあったけれど、今日のデザインはいつも以上に綺麗な気がする。 素人の目から見てもそう思うのだから、作った人間の腕がいいのだろう。 そんなことを考えながら近付いたところで、不意に見覚えのある横顔が目に入った。 ミルクティー色の髪を後ろでひとつにまとめた男。 スタッフと何か話していたその人は、こちらの視線に気付いたのか顔を上げる。 一瞬だけ目が合った。 それから澪は少し驚いたように瞬きをした。 「え?」 思わず声が漏れる。 どう見ても澪だった。 花屋にいるはずの人がなぜかスタジオの中心に立っている。 周囲のスタッフたちに何か指示を出しながら花の位置を調整していて、花屋で見せる穏やかな雰囲気とは少し違った。 声をかけようにも、お互い仕事中で暇ではない。結局そのまま視線を逸らし柊はスタジオの奥へと向かった。 「西条さん、今日のスケジュールなんですけど」 スタッフに呼び止められ、そのまま打ち合わせへ入る。 気づけば撮影は始まり、次の確認、移動時間の調整、関係各所への連絡と慌ただしく時間だけが過ぎていった。 それでも不思議なもので、ふと顔を上げる度に澪の姿を探している自分がいる。 花の位置を調整したり、スタッフと話したり、時折真剣な顔でモニターを確認したり。 ああいう顔もするのかと思うと、なんとなく目が離せなかった。 気付けば別の仕事へ追われ、顔を上げた頃には撮影も終盤に差し掛かっていた。 その頃にはスタジオの花も少しずつ片付けられ始めていた。 「飯島さん、撮影終了でーす」 スタジオの空気が一気に緩む。 天馬を囲んでいたスタッフ達が動き出し、撤収作業が始まった。 柊も荷物をまとめながら辺りを見回す。 すると少し離れた場所で、澪が花を箱へ戻していた。 どうやらあちらも終わったらしい。 少し迷ったあと、柊は澪の方へと足を向けた。 「澪」 名前を呼ぶと、澪が振り返る。 一瞬驚いたように目を丸くしたあと、小さく笑った。 「柊さん」 「花屋だけじゃなかったんですね」 「ああ、こっちのが本業かも」 そう言いながら澪は花を箱へ戻していく。 花屋の方が本業だと思っていたので少し意外だった。 改めてスタジオを見回すと、色鮮やかな装飾がいくつか残っていた。 「天職だ」 「そうかもしれないです」 冗談でも謙遜でもなく、本当にそう思っているようだった。 当たり前みたいに言うその姿が妙にしっくりきて柊は思わず笑った。

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