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嫌な気分
家へ着いた頃には二十二時を過ぎていた。
二日ぶりの自宅はやっぱり落ち着く。
いつもならそのままソファへと倒れ込むけれど、足は自然とデスクの上にあるアルストロメリアへと向かっていた。
「ただいま」
誰もいない部屋で呟く。
花瓶を持ち上げると水は少し濁っていた。
「ごめん」
小さく謝りながら新しい水へ替える。
もう花のある生活には慣れた。
けれど、ここまで花を大事にする自分のことは今でも不思議だなと思う。
「明日行こ」
明日は仕事もない。
玄関へ飾る花はなにがいいだろうか。
そんなことを考えながら柊は電気を消した。
翌朝、目を覚ますと時計の針は十一時をさしていた。
完全に寝すぎた。
地方ロケの疲れが残っていたらしい。
ベッドの上で数秒固まる。
それから勢いよく上半身を起こした。
「……花屋」
閉店時間なんてまだまだなのに、足は妙に急いでいた。
顔を洗い、適当に朝食を済ませる。
着替え終わる頃には、頭の中は玄関に飾る花のことでいっぱいだった。
店の前へつくと、なぜか肩に少し力が入る。
深呼吸をひとつ。
花を買いに来ただけだというのに。
そう自分に言い聞かせながら扉へ手をかけた。
“いらっしゃいませ”
そう聞こえるはずだった。
「だから今度飯くらい――」
聞こえてきたのは男の声だった。
思わず足が止まる。
レジの前には三十代くらいの男が立っていた。
澪は困ったように笑っている。
「だから、しつけえって」
低い声だった。
今まで聞いた事のない声に思わず目を瞬く。
澪は笑っていた。
けれど目だけは笑っていない。
「一度は愛し合った仲だよね?」
「覚えてねーよ」
吐き捨てるように返したところで、澪の視線がこちらへ向く。
一瞬だけ目を見開いた。
それから何事もなかったように笑う。
「いらっしゃいませ」
さっきまでの空気が嘘みたいだった。
男の鋭い視線がこちらへと向けられる。
「あ?だれこいつ。新しいの?」
意味が分からなかった。
澪は小さくため息をつく。
「ほんとに帰れよ」
即答だった。
男に向けられた澪の視線は今まで見た事ないくらい冷たいものだった。
男は肩を竦める。
それでも帰る気はないらしい。
店内には気まずい沈黙だけが落ちている。
澪は小さく息を吐いた。
「すみません。今日はどうしました?」
こちらに向けられる視線はいつもと変わらないのに、どこか無理をしているように見えた。
ついさっきまで見せていた苛立ちも、冷たい声も、全部なかったことにしようとしているみたいだった。
さすがの自分でも今がどんな状況かなんてことは理解できる。
少し気分が悪かった。
客の前で平気な顔をしている男も。
無理に笑っている澪も。
「あー」
澪へ視線を向ける。
「会いに来たよ、澪」
一瞬、店内が静かになった。
男は怪訝そうに眉をひそめていた。
けれどそんなことはどうでもよかった。
澪は数秒目を瞬いたあと、小さく笑った。
「しってた」
さっきまで張りつめていた空気が少しだけ緩む。
ひとりの男を除いては。
「だれ」
男の声が低くなる。
「現在進行形で、愛し合ってる二人ですね」
店内が静まり返った。
男はもちろん、澪まで固まっている。
自分でも少しやりすぎた気はした。
「は……?」
ようやく男が声を絞り出す。
その横で澪は小さく吹き出した。
「聞いての通りなんで」
そう言うと、男は舌打ちをして乱暴に扉を開けた。
静かになった店内で、柊はようやく息を吐く。
「追い払えた?」
そう聞くと、澪は数秒黙ったあと肩を震わせた。
「反則」
澪の言葉に思わず首を傾げた。
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