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急遽
一時間後。
撮影現場は相変わらず慌ただしかった。
スタッフ達は急ごしらえでセットの準備を進めている。
本来なら撮影はもう始まっている時間だった。
「まだですか?」
監督が時計を見る。
代わりに来てもらうんだから少しくらい待てないものかとは思ったけれど、口には出さなかった。
そもそも無茶を言ったのはこちらだ。
急な依頼にも関わらず引き受けてくれた時点で文句を言える立場ではない。
「もうすぐ着くと思います」
そう答えた時だった。
「すみません、遅くなりました」
聞き慣れた声だった。
スタッフ達の声は安堵に包まれている。
振り返ると、大きなケースを抱えた澪が立っていた。
「助かります!」
「いえいえ」
澪は柔らかく笑う。
そのまま周囲を見渡した。
笑っているのに、目だけは仕事の顔をしている。
「それでどんな感じにしたいんですか?」
「恋に落ちる瞬間を花で表現したいんです」
監督は身振り手振りを交えながら続ける。
「現実じゃなくて心象風景みたいな。ふわっとしてて、でも一目で恋だって分かるような」
ずいぶん曖昧な注文だった。
普通なら困るような話も、澪は違った。
「なるほど」
小さく頷く。
その顔を見た瞬間分かった。
もう頭の中では出来上がっているみたいだった。
「花、借りますね」
張り詰めていた現場の空気が澪の一言で変わった。
澪は迷いなく花へ手を伸ばした。
一本抜き取り、別の場所へ移す。
それを何度か繰り返すだけなのに、不思議と景色が変わっていく。
さっきまでただ並べられていただけの花達が、少しずつ意味を持ち始めた。
「こんな感じでどうですか?」
澪は五分もしない内に手を止めた。
監督もスタッフ達も言葉を失っている。
さっきまでただのセットだった場所が、まるで別の世界みたいだった。
花に囲まれた空間はどこか現実味がなく、それでいて目が離せない。
「……すごい」
誰かが小さく呟く。
監督は数秒固まったあと、大きく頷いた。
「これだ」
その一言で現場が再び動き出す。
「やっぱり本物は違うな」
「だから有名なんですよ」
スタッフ達が感嘆したように声を上げる。
当の本人は聞いているのかいないのか、花の位置を微調整していた。
「明日も頼んでいいかな?」
監督が目を輝かせながら声を掛ける。
「明日も?」
「明日も花のシーンあるんだよ!」
澪は少しだけ考える素振りを見せた。
「大丈夫ですよ」
澪は終始楽しそうに笑っていた。
その様子に監督も満足そうに頷く。
「助かるよ!」
ようやく現場が落ち着き始めた時だった。
「西条さん!」
制作スタッフが慌てた様子で駆け寄ってくる。
嫌な予感しかしない。
「ホテルなんですけど……」
その一言で察した。
「今どこのホテルも埋まってるみたいで……澪さんの分が……」
「とれなかった?」
「はい……」
この辺りでは大きなイベントがあるらしい。
近隣のホテルは数週間前から埋まっていると聞いていた。
本来、来る予定だったフラワーデザイナーは現場から車で十分ほどの場所に住んでいるので宿泊を前提としていなかった。
「いいですよ、車でまた明日来るし」
澪が苦笑する。
「じゃ、俺の部屋でいいんじゃない」
そう言うと、周囲の視線が一気にこちらへと向いた。
「西条さん積極的〜、澪ちん俺の部屋でもいいよ?」
天馬が面白がるように口を挟む。
「いや俺の部屋にしてもらう」
即答だった。
天馬が目を丸くする。
周囲もなぜか静かになった。
「澪さん、西条さんと同室でも構いませんか……」
スタッフのひとりが申し訳なさそうに聞いている。
澪は数秒だけ固まった。
それから視線をこちらへ向ける。
「いいですか?」
「俺はもちろん」
そう答えると、周りは茶化すように声を上げていた。
意味が分からなかった。
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