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3  俺は、自分がもう一度声優になることなど望みようもないこの世界で、どうやって生きて行ったらいいんだろう。  これがわりと難題なんだよな。  そもそもこの世界の技術レベルを鑑みれば、「声優になりたいから、アニメスタジオを構えよう!」なんて願望は無茶すぎるわけだ。  そこで代わりになりそうなものといえば、とりあえず紙芝居くらいしか思い浮かばないんだが、……どうなんだろうな。  果たして俺は、それで満足出来るんだろうか。  だが何事もやってみなければわからないし、始まりもしない。  たいていの王都の貴族は片手間に事業なんかをやっていたりするから、公爵家嫡男の俺が目指すとすればそのルートだろう。  ――自分の会社を作るんだ。そこでなら、きっと好きにやれる。  だとしたら、俺の道はともかく一つだ。  そう。まずは地道に、堅実に、貯金を増やそうじゃないか。  俺の決意を肯定するかのように、柔らかな風が流れる。濃くあたたかな土の匂いが、鼻腔をふんわりとくすぐった。  俺は歩む足をいったん止め、頭上高く広がってゆく、柔らかな春空を見上げた。  今日も今日とて、王女宮は平穏だ。  ここ王女宮は読んで字のごとく、王族の子女たちが暮らす宮殿である。彼女らの目を楽しませ、窮屈な日常に飽き飽きしているだろうその心を慰めるため、敷地内のいたるところには大小さまざまな庭園が設けられている――というのが、この宮殿の特徴だった。  どの季節であっても、王女宮には溢れんばかりの花々が咲き誇る。  そんな華やかさを支えるスペースとして、建物の裏手にはひっそりとでかい裏庭が確保されていた。そこには次の季節を待つ小さくも健気な苗たちが、とにかく大量に、そして整然と、ひたすらに遠くまで植えられている。  その光景は、思うよりもずっと壮観なのだ。 「ふな、きんかん、しいたけ、さだめてごだんな、そばきり、そうめん、うどんか……」  俺は外郎売(ういろううり)の続きを呟きながら、どかんと巨大な花壇の中、細かく設けられた作業用の小道を再び歩き始めた。……ちなみに、ここを散歩道としても構わない、との許可は、以前に庭師たちから得ている。  外郎売は良い。  俺の声優人生を支えた、何よりも頼れる精神安定剤だ。  もとは歌舞伎の台詞だったこの長口上は、いまは、というか二十一世紀の日本では、滑舌を鍛えるための教材となっている。最初に全文のテキストを渡された時は、こんなの誰が覚えるんだ、とげっそりとしたものだが……まあ、覚えた。  そして俺はマジで毎日、風邪だのなんだのに伏していないかぎりはガチで毎日、これを唱えたものだ。……こんなに唱えていたら死んでも忘れないだろうな、とはよく思っていたのだが、そのとおり、転生しても忘れなかった。  リオンの声で紡ぐ外郎売は、秋晴れの空みたいにからりとした音がする。 『リオン、大丈夫か?』  今朝の朝礼が終わると、午前の見回りを共に行う相棒のエリクは、そう訊きながら俺の顔を覗き込んだ。 『昨夜は親父さんと食事だったんだろ? またこってり絞られたんじゃないのか。顔色、あんまり良くないぞ』  うむ。エリクの指摘を待つまでもなく、俺は今日、あまり体調が良くなかった。  原因は、シンプルに寝不足だ。  俺の父親――この王国で宰相の地位にあるリッシュ公爵閣下は、傲慢を煮詰めて団子にして二つばかり詰んで作ったような、悪意だるまである。雪だるまは可愛く微笑ましいものだが、悪意だるまは寄るのもおぞましい代物だ。  正直を言えば、俺は父親と同じ部屋で呼吸するだけでも、うっすら気分が悪くなる。物理的に、悪酔いみたいな状態に陥るのだ。  そんな相手と二人きり、都合二時間ほどの食事を行い、ましてその時間中、延々と「おまえは次期公爵としての自覚も実力も足りない」と説教を食らうのである。  しんどい。  ともかくタダで美味い料理を食べられてラッキーだったなー! とすっきり快眠してやれるほどの胆力は、残念ながら俺にはないのだ。  むしろ口にした食前酒やなんかが奇妙に脳を覚醒させて、思い返したくもない数々の「有難いご指摘」が脳内をぐるぐると巡り、その理不尽さにいちいち腹を立て、面と向かっては反論出来ない自分自身の不甲斐なさを悔い、次にはこう言い返してやろう、と無駄なシミュレーションを繰り出し……と、俺の寝台は一晩中、地獄の様相を呈してしまう。  どうすればいいんだろうな。  この王国で「大人」と認められる年齢へと至ってようやく、「なるべく父親の傍には寄らない」という消極的ながら効果的な選択肢を得た俺は、学園卒業後、本来であればまっすぐ父親のいる王城中枢へ入り、彼を支える文官の一員となるところ、「アデラと結婚するまでは、なるべく広く見識を広めておきたい」だとかの適当な理由でもって騎士になった。  そもそも王女宮の騎士は、ほとんど名誉職だ。  家柄のよろしい子息が結婚するまでの二、三年をのんびりと過ごすための職、とすら言われているくらいで、騎士としての実力などほぼ問われない。  実際、この宮殿は生半可な成人男性を入れるわけにはいかない場所だった。  そのため王女宮勤めとなるためには、なによりも身元がしっかりとしていて、家柄も正しく、品行方正かつ清廉潔白な人材でなければならない、と厳しく精査される。いかに家柄が良かろうと、学園時代にうっかり粗相をしていればもちろん審査には通らない。たった一度、良からぬ噂を流されたという程度でも、王女宮は厳しく撥ね除けるのだ。  それを突破した俺は、「王女宮お墨付きの聖人君子」だということで、社交界の中では一目置かれる存在となった。アデラもさぞ鼻が高いことだろう。……いや、まあ、むしろ彼女は、俺と勤め先が同じであることに喜んでいたようだが。  そういった強いアドバンテージがあるからこそ、俺の騎士勤めはようやく父親から許されている。  さて。ではここで、父親の考え方をつまびらかにしてみよう。  宰相への歩みを二年ほど遅らせて「悠々自適に遊んでいる愚息」であっても、世間的に「完璧」であるのなら、まあ及第点をやれなくもない。多々不満はあれど、少なくとも生きて息をすることは許してやってもいいだろう。……あの父親は、そういう価値観で生きているのだ。  しんどすぎんか。  俺のメンタル、永久に回復しそうにないんだが。 『暗い顔して幽霊みたいに徘徊されても迷惑だしさ、裏庭行って散歩して来いよ。仕方ないって。リオンは繊細だもんな』  繊細……。  あまりにも端的な一言でまとめられてしまうと、やや釈然としない。  だが俺は、もはや俺のメンタルケアについて知り尽くしている従兄兼幼馴染み兼親友のエリクからの提案を、有難く受け入れたのだ。  そして三日前、シルヴァン第三王子の目の前で泣きながら気を失った俺を見つけてくれたのも、同じくエリクなのだった。  あの時、こちらが意識をなくしてもなお、王子は握った腕を離そうとしなかったと言う。……一体どういう執着なんだそれは。  そんな状況下だったにも関わらず、我が親友殿はとにもかくにも俺をガゼボから連れ出してくれたわけだ。  どうやって王子の追及をかわしたのかを後日問えば、「すみません、すみません。よく反省させますから、すみません!」の一点張りで突破したらしかった。……根が単純であるゆえに、いまや風貌のすべてから良いやつオーラがだだ洩れしているエリクでなければ、そんな強行突破は通用しなかったに違いない。  良いやつっていうのは、どんな相手でも油断させられる人徳を持つ者のことだ。つまり、最強なのだ。 (俺も) (良いやつに、なりたかったなあ……)  誰に「完璧」と認められたところで、俺はちっとも嬉しくはないし、精神的には自由もない。  むしろ本当の俺、川嶋穂高はポンコツ寄りの人間だったんだぞ。朝には起きられないし、毎日同じ場所へ行くことも苦手だし、単純作業にはすぐ根を上げてしまう。およそ普通の会社員など無理なタイプだ。声優として身を立てられなければ、社会不適合者まっしぐらだったんだからな。なにも威張ることじゃないが。  無心に唱え続けた外郎売がふつりと終わって、俺はつい、「はあ」とでかい溜息を吐く。  たまたま近くで作業中だった庭師の一人が、はっと目を瞠り、そのままぽわんと見蕩れるような熱い眼差しをこちらへ送ってきた。うむ。  唐突だが、リオンの見目は良い。  リオンは、この世界ではありふれている金髪碧眼だ。それでも「金糸さながら」と大仰に例えられるほどには、特別に目映い髪色をしている。単に隊の規定に則っているだけなのにも関わらず、騎士らしく襟足を整えたスタイルには清涼な色気さえ漂う、とまで言われるのだ。  すっきりと真ん中で分けた前髪は秀でた額をそっと覆い、その下に憂いを得た蒼い瞳を隠すさまは、一幅の絵画もかくやといった風情だ、とかなんとか。  そして職務上、常に身に纏う、白地に銀の刺繍が縫い取られた第二隊の隊服。彼のそんな装いは、もとより研ぎ澄まされた怜悧な美貌をさらに際立たせてやまない――。  ……誰だそれ、って感じだが、残念ながら俺だ。  ここまで整った容貌を持つと、中身がどうにもポンコツであることを世間は許そうとしない。よって、俺はわりとどこでも「完璧」を求められるのだ。  まあなあ、もう、くさくさしていたって仕方ないんだよな。  いまの自分は、どうしたってリオン・ル・リッシュなんだから。と、ようやく腹も括れた俺は、大花壇を脱すべく、小道の出入り口へと進路を取った。  そこで、足を止める。  ちょうど俺の真正面、まっすぐ伸びる同じ道を、こちらへ向かって歩んでくる長身の影があった。  冴えた青色の布地に真白き刺繍の映える隊服は、王城騎士団近衛隊第一隊のもの。中でも、肩口からたっぷりとドレープを打つ純白のマントまで身に着けたその姿は、第一隊隊長かつ近衛隊総隊長のみに許された衣装だ。  腰に帯剣しているのは俺も同じとはいえ、第二隊が持つほとんど威圧感のない細身のサーベルと違い、第一隊に許された剣は幅広で、鞘にも華やかな意匠が施されている。  俺が王族への礼を取ると、相手は渋面のまま言った。 「先ほどから、おまえはなんの呪文を唱えていたんだ。リオン・ル・リッシュ」  シルヴァン第三王子殿下の話し方は、凄みを持っていて、重たく響く。

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