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 でも、二十五歳なんだよな。  俺はゆっくりと礼を解きながら、その少しの間を使って、改めてつくづくとシルヴァンを眺めた。  彼の髪色は漆黒という暗い色でありながら、どこか爽やかだ。  晴れた空の下、流れてゆく風が長めの毛先を掬うと、木洩れ陽を抱く木々の葉にも似た緑色の瞳が露わになる。まっすぐにこちらを射る、強い瞳だった。  間違いなく鍛え上げられているだろう体躯は、上背があるためか、それほど筋肉質には見えない。かっちりとした近衛騎士の隊服がよく似合い、かつ、このままご令嬢とダンスを踊り出してもさぞさまになるだろうな、というくらい、気品あふれる佇まいなのだ。  この容貌、かつ二十代半ばの彼に当てるなら、もうちょっと隙を見せた声でも良かったよな。  なにしろ歴史あるキャラだし、原作ゲームで声を当てた大先輩の声優さんはイケボ界の頂点を取ってるような方だしで、川嶋の穂高さんはちょっと力みすぎたのかもしれなかった。……とは言うものの、収録時に音響監督からはOKを貰ってたわけだから、俺はその判断を信じるだけなんだが。  放映時のSNS、どんな感じだったんだろうな。  もし川嶋穂高が死ぬこともなく、アニメの実況タグなんかをおそるおそる覗いていたとしたら――彼のシルヴァンは、作品のファンにOKを貰えていただろうか。  それとも「下手すぎ」とかって大炎上……。うーん、やめよう。  でもな、やめると、俺は泣くんだよな。  くだらない思考で現実逃避をしていないと、俺の脳はシルヴァン第三王子の声を「俺の声だ」と認識する。その途端、飽きずに世界が水浸しになるんだ。それはもう、視界のふちぎりぎりにまで涙がせり上がってきているいま、確定事項だった。真面目にやばい。  シルヴァン第三王子殿下とガゼボで遭遇したのは、三日前。そんなこともあったなと水に流すには、近すぎる過去だ。 「じゅ、呪文、ではなく、おそらく外郎売かと……?」 「ウイロウウリ?」  おっと。一生懸命余所事を考えているせいで、うっかり本当のことを答えている。適当な嘘って普通に難しくないか。 「俺のお気に入りの……まあ、呪文です」 「呪文なのか」  なんとなく毒気を抜かれた表情をして、シルヴァンが素直に繰り返す。  はい、呪文です、と俺は頷いて返した。  なんだこの会話。  だが我に返るわけにはいかない。このまま押し通すしかない。というか、なんであんたがこんなところに居るんだ。供も付けずに、一人で。  いくら猫の子一匹通さぬほどの厳重な警備体制が(宮殿の外側には)敷かれている王女宮とはいえ……、いや、ならいいのか。  そのへんの騎士よりも、よっぽどこの人のが強いしな。ちゃんと帯剣もしてるし。 「第三王子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……」 「挨拶はいい。俺は、三日前のおまえが泣いた理由を確認したいだけだ」 「うお」  直球かよ! 「うお?」 「……いえ、俺は、いや私は、ええとあの日、すこぶる体調不良でありまして」  こんなこともあろうかと、というか、想定していたのはせいぜい第二隊隊長――俺の直属の上司だ――からの事実確認くらいの話だったんだが、まあつまり、俺の考えた最強の言い訳は、こうだ。  あの日のリオンは夜通し本を読んでいたせいで、ひどい睡眠不足、眼精疲労、おまけに貧血気味と、コンディションが最悪だった。  そこで魔法を使ってしまったものだから、一瞬で過労状態に陥ったのだ。涙が止まらなかったのはバグみたいなもので、理由があって泣き出したわけではない。なぜと問われても、自分自身ですらわからない。  ごり押しが過ぎるが、これでいくしかない。がんばれ俺。心の中にエリクを宿せ。  なにせ本当のことを打ち明けたって、理解されるはずがないんだ。……そうだな、万に一つの確率で、前世だのなんだのの話は運良く受け入れられることもあるかもしれないよな。だけど、「前世の自分の声を聴いて泣く」は無理だろう。  俺自身でさえ、ちょっと気持ち悪いと思っているんだぞ。 「体調不良か。予後は問題ないんだな?」 「ありません! ぐっすり寝たら、すっかり元気になりました!」 「怒鳴らなくても聞こえる」  俺の言い訳をぜんぶ聞いてくれたシルヴァンは、やや辟易したようすで眉間に皺を寄せる。うああ。気合いが! 空回ってるぞ俺! 「怒鳴ってません。……すみません」 「俺は、元気なことを責めたいわけじゃない」  うむ。フォローを入れられてしまった気がする。  俺が微妙に申し訳なさを覚えていると、シルヴァンはいったん口元をぐっと引き締めた。次にその唇が動き、「つまり」と会話を仕切り直そうとする。 「つまり……おまえは、俺のことが怖いわけでは、ないんだな?」 「――」  この瞬間、俺の取るべき対応は一つだった。わかっている。さも意外なことを訊かれた、という顔をして「はい」と答えるんだ。それ以外にない。わかってる。ちゃんと、わかってたんだ。  でも息を詰めちゃったんだよ。  そんな俺の反応を台詞にするなら、「う(濁点)」って感じだ。  もちろん見逃さなかったシルヴァン第三王子は、その緑瞳をすうっと細める。やめてくれ。怖いから!!  さらに王子様はなにやら溜息を吐きながら、思案するかのように両腕を組むのだ。俺は慌てた。 「いっいえ、いや、いいえじゃなくて、はいと答えるはずだったんですが、私にとって王子殿下は、尊敬する方であり……」 「俺の末の妹のことは、知っているな?」 「恐れ多いことはあれど、怖いとは……、……はい?」 「ノエル・エリオール=デュラフォア。王女宮勤務であれば、当然、知っているな?」  今度こそ、俺はノータイムで「はい」と答える。  ノエル王女殿下は確かに王女宮におわす王族の子女の一人だが、たとえそうでなくても、ここデュラフォア王国に暮らす者なら、彼女のことを知らないわけがなかった。  遡ること八年前。  ノエル王女殿下は生まれたその瞬間、王城に光柱が立つくらいのとんでもない聖力を顕した。天を貫くかのようにまっすぐに煌めきを立ち上げた光の柱は、王都の端っこにいても目撃することが出来た、というのだから、相当なものだ。  だが、彼女の凄まじいまでの聖力を目にすることが出来たのは、生誕の瞬間だけだった。  現在、王女の聖力はほぼ封印状態にある。幼き心身ではとても自身の力に耐え切れないため、無意識下でロックを掛けているのだろう、と言うのが、おおよその見解だ。  原作ゲーム及びテレビアニメ『ヒストリア』にも描かれる『救国の聖女』は、二人で一対の存在。  ぽっと出の町娘に過ぎないローズが聖力を顕した途端、一も二もなく王城へと迎えられているのは、この王国にはすでに「一人目の聖女」が顕現しているからだった。更に言えば、「片割れ」たるローズと交流することでノエル王女殿下にも良い影響があるのでは、との熱い期待も、彼女には寄せられているのだ。 「……ノエルは、俺を見ると泣く」  両腕を堅く組み合わせたまま、シルヴァン第三王子はそう言った。 「ノエルと仲の良い侍女が理由を確かめても、「お兄様は怖いから」としか言わない。……俺には、原因がわからない」 「はい」  そうなんですね。  俺の打った相槌はシンプル過ぎたらしく、シルヴァン第三王子は押し黙ったままだ。ええと? でも、特に取り繕うとこでもないよな。 「私にも、それはわかりかねます」 「先日、おまえも……俺の顔を見ただけで泣き出したんだ。リオン・ル・リッシュ」 「――」  ぐ、と喉の奥が深く締まった。……そこで俺と繋げるんかい。 「おまえが俺を「怖い」と思う理由と、ノエルのそれは、もしや同じではないのか?」  うーん。同じだったら、びっくりなんだよな。  けど、まあ、そうか。  普通、顔を見ただけで――正確には、俺にとっての「原因」は声なんだが――泣かれる経験ってのは、まずない。よほど極悪人の風体をしているならともかく、シルヴァンはむしろ、老若男女問わず第一印象から好感を抱かれる類いの人間だろうし……。  いや、ちょっと待て。 「つまり殿下は、妹君殿下がなぜ泣くのかを知るために、私にその理由を問い質しておられるのでしょうか?」  端的に言うなら、「訊く相手がおかしい」。  俺はノエル王女殿下ではないし、ノエル王女殿下とて俺ではない。  たまたま、偶然、二人ともが、シルヴァンを見て(彼からすれば)理由もなく泣き出しただけだ。  その感情が「怖い」で共通していたからと言って、「ならリオン・ル・リッシュに吐き出させればいい」と考えたのだとしたら、俺はたぶんこれ、怒って良くないか。  未成年と成年。  おそらく嫌われたくはないのだろう大切な妹と、場合によっては命じることすら可能な部下。  ……王女と俺の違いは、シルヴァンにとってやりにくい相手か、やりやすい相手かに集約されるのだ。 「僭越ながら、あまりにも道理がなく、軽率な行動ではないでしょうか」 「……」  俺の指摘を受けて、シルヴァンは自身の両腕をゆるりと解く。  彼は次の所作に迷うような仕種で、片手を額まで持ち上げた。俺へ当てていた緑瞳の視線をついっと逸らしながら、その横顔は確かに「そうだな」と零す。  そうして、漆黒の前髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。  どこか気まずげに――もっと言えば拗ねたふうに、シルヴァンは精悍な頬をこちらへと晒すのだ。そこに浮かぶのは、「反省」の二文字だった。 (おお)  この人、めちゃめちゃ素直だな。  王子様が複雑な表情を見せるのは、それこそ生まれた時から培われている「王族のプライド」というやつが消し切れないからだろう。……俺自身、本来のリオンが持つ思考の冷たさを、たびたび意識させられている身なのだ。生まれの厄介さは、多少なりとも理解出来る。  それでも、シルヴァンは俺の言葉を「不敬だ」などとして撥ね除けたりはしなかった。 「おまえの言い分が正しい。リオン・ル・リッシュ。……どうか、今日のことは忘れてくれ」  さすがに頭を下げることはないものの、気まずさを拭い去り、こちらが怯みたくなるほど真正面から俺を見捉えた緑色の瞳は、充分に俺への謝罪の意を表している。  ごめんな、と俺の方こそ思った。  俺の前世うんぬんの話は、正直、墓場まで持って行く秘密だ。誰にどう請われようとも、本当のことを話す気はない。……つまり俺は、この世界ではもう誰にも「誠実」にはなれないんだった。  それでいいと決めたのは自分だが、これほどまっすぐな心持ちと向き合う時は、どうしても背中がそわりとする。  そういう後ろめたさを勝手に抱えているせいか、シルヴァンの見せた誠意は、俺にはまるで光の矢のように感じられた。  ――容赦なく俺を射貫く、あまりにも眩しい矢だ。 (声音は刃だし、心根は矢だし)  これほどおっかない相手は、他にいない。  逆に気が抜けるような気分で、俺は笑った。……視界のふちぎりぎりで揺れている涙が、うっかり零れ落ちそうになる。常に気を逸らし続けている必要があったのに、途中から余所事を考える余裕なんてなかった。だから俺はいま、わりと満身創痍だ。  でも、そうだな。  川嶋穂高の声で話すシルヴァンが、『ヒストリア』においてモブ以下の俺にも生真面目に向き合ってくれるようなやつで、良かった。  俺の声を誠実に使ってくれるやつで、良かったんだ。本当に。 「はい、殿下。――俺はもう、忘れました」  自分ではちゃんと笑えたつもりだったのに、どうやら俺は、よほどひどい顔を晒したらしい。  俺を見つめるシルヴァンは、声もなく静かに、その緑瞳を瞠った。――同じくらいゆっくりと飲み込んだ息を、たっぷり十秒間、止めたままでさえいたのだ。

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