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ところで、俺はやはり、聖女・ローズとシルヴァン第三王子の大切な出会いをぶち壊してしまったんじゃないだろうか。
おかしいんだよな。
シルヴァンが俺を訪ねてくる頻度、ってものが。
(うーん)
相も変わらず外郎売を念じながら裏庭を我が物顔で練り歩いていた俺は、今日も今日とて同じ小道の上に立つ真白きマントの王子様を見つけ、思わず頭上の青空を仰いでしまった。
一月ほどの長い雨季を終え、日に日に夏へと近付く晴れた空は、ひどく目に眩しく映るものだ。
……いや、会いに来られるのが迷惑だ、っていうわけじゃない。
(でもなあ……)
本当なら今ごろ、シルヴァンは足繁く聖女の元へと通い、いろいろなエピソードを重ねているはずなんだ。
あの真っ白なガゼボでたびたびいっしょにティータイムをしたり、ローズが小さな頃の話なんかを興味深く聞いたり。
シルヴァンはあまり自分のことは語らない。対して、ローズはお喋りだ。だから二人の会話はいつも、ローズの楽しげな声だけが響くことになった。
だけどシルヴァンは、そうして彼女の話を聞く時間が何よりも好きだったんだ。彼女の思い出に触れ、考え方を知り、その心のあり方を理解するごとに、シルヴァンはどんどんと、加速度的に、ローズに心惹かれてゆく。
一方のローズは本来、この時期はまだ、自身の尊厳を懸けて悪役令嬢と戦っている最中だ。
だからこそ、運命の恋に落ちるのは――最初は、シルヴァン一人だけ。
『護りたくて伸ばす手を「要らない」と撥ね除けられるのは、堪えるものだな。だが、それでなくてはこれほど愛しく想うことはなかった……。――ローズ』
彼女が立ち去った後、ひとり残された雨の庭園で、シルヴァンは独白する。
シーンのラストに響くのは、万感の思いを込めた「ローズ」。
死ぬほど練習したんだよなあ。……アニメで見たかったな。
「また例の呪文か」
彼の目前にまで俺が歩いて行くと、シルヴァンはもはや呆れの色を隠さずに嘆息するのだ。
ちなみに言っておくと、現時刻はサボりじゃなく、歴とした俺の休憩時間である。
「おまえは、そういう呪文をどこで覚えて来るんだ」
「俺、読書家なんですよ。読書って言うか、声に出して読むのが好きで」
「絵本の読み聞かせ会か。ビゼー嬢から聞いたが、本当に上手く読むらしいな」
細い小道を前後になって歩きながら、俺たちはぽつぽつと途切れない会話をした。俺の敬語がだいぶフランクなことも、こうして二人きりで話す時だけは、なんとなく許されている。
いや、許すなよ。
元来冷酷無比であるらしいリオンの頭の隅っこには、そんなツッコミが浮かんでくる。とはいえ、シルヴァンは平民上がりのローズの不作法も、なんだかんだ許すんだよ。……まあ、ローズに対しては特別枠っていうか、心底惚れた弱みってだけなんだが。
「というか、いつの間にアデラと親しいんですか」
「おまえの話を聞くだけだ」
俺の話?
こちらの内心の声が届いたわけでもないだろうに、シルヴァンは肩越しにちらりとだけ俺を見る。「ビゼー嬢は」と静かなトーンで続けた。
「おまえに人生を救われたんだと話していた。おまえの読み聞かせによって知った感情が、山ほどあるんだそうだ。自分の命だけでは得られない人生を、いくつも、いくつも経験して、そのすべてにおまえの声があったと」
「……うん」
人が物語を読む意味は、きっとそこにある。
アデラのいちばんのお気に入りは『救国の聖女』の伝説譚だった。でも、それ以外にも、俺はありとあらゆる物語を読んだ。きょうだいたちも、エリクもいっしょに。
時には読んでる俺も、聞いてるみんなも、いっしょになって大泣きする結末もあった。
「生きていることって愛しいなあって、思いますよね。だから俺、本を読むのが好きなんですよ」
「……ノエルに贈ろうとしたところ、「もう持っているから」と突き返された絵本があるんだが」
「はい?」
なんかいま、さらっと哀しいエピソードが披露されなかったか。
驚いた俺はつい、ぴたりと立ち止まる。先を歩くシルヴァンは、それを背中で察知したらしい。肩口から流れるようにドレープを落とすマントを揺らし、こちらへと振り返った。
光の滲む緑色の瞳が、俺のことを見つめる。
「ここへ持参したら、おまえは読んでくれるのか」
「いやです」
「……いやなのか」
「いやです。普通に」
どんな顔して、二十五の大人相手に絵本の読み聞かせをしろと言うんだ。可愛い弟妹ですら、末っ子の妹が十になる頃には卒業したのに。
「もう今日は終わり、と口では言っていても、弟妹たちが絵本を持ち寄ると結局ちゃんと読んであげるのだと、ビゼー嬢から聞いたのだが」
なんで粘るんだ。
俺は呆れ顔にならないよう気を張りながら、丁重にお断りする。
「俺の可愛い弟妹は、俺より長身だったり歳上だったりはしません」
「……駄目なのか」
「駄目ですね」
とはいえいま、俺の目の前で、「そうか」とどことなくしょんぼりしている王子様は、けっこう可愛いかもしれなかった。
シルヴァン、こんな表情もするんだなあ。
「殿下は、読み聞かせてもらったことはないんですか。幼い頃に」
こちらが付いて行くのを確かめながら再び歩き出したシルヴァンは、覚えていない、と答えたみたいだった。まあ、普通はそんな感じか。
俺は軽く納得しながら、彼を追って花壇の小道を抜け出る。
すぐ間近に迫った建物の背中が大きな影を落とす中、庭師の管理する小屋は今日も静かに佇んでいた。おそらく肥料だろう小山と、使い時の想像出来るような出来ないような大きな道具たち、ひときわ立派な井戸。そこから敷地の表側へと通じる方向を見遣れば、木造りの小さな門扉が見つけられる。
あの門までが、いわゆる「裏庭」と呼び差す一帯だ。
そしていま、門の外側には、一人の人影が控えていた。シルヴァンの戻りを待つ侍従だろう。
思うに、シルヴァンはさぞ貴重だろう休憩時間を使って、わざわざここに来てるっぽいんだよな。
どうせならローズのところへ行けば、お茶だの茶菓子だのをせっせと出してくれて、実に質の良いリラックスタイムを過ごせたはずなのに。
こうして俺のところなんかに来るから、土埃に塗れながら花壇を歩くだけの時間じゃないか。いいのか、それで。
「俺は、おまえがいいんだ」
「茶菓子より?」
「は?」
あれ? たぶん間違えた。
俺は失敗を悟って、直前の会話を慌てて振り返る。あー、と? 読み聞かせか。……いや、それでも意味不明じゃないか?
まさか王城騎士団近衛隊総隊長をも担う男が、「俺はおまえの読み聞かせがいいんだ」とか言うはずない。
「え? ええと?」
リカバリが効かず混乱する俺を見下ろして、シルヴァンはなんだか困ったように眉じりを下げ気味にしたまま、「気にするな」と笑んだ。
うん。
よくわかんないけど、ごめんな。……そして「よくわかんないけど」という理由で謝るのは、さすがにシルヴァンに失礼だ。
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