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「そういえばシルヴァン殿下、うっかりエリクとも仲が良いですよね」  ちょっと前に、エリクから「第三王子殿下といっつもなに話してんの? てか、話題あんのあの人と? ふつーにおっかなくね?」と暢気に尋ねられ、それで俺は、俺の居場所をシルヴァンに教えているのがエリクだと知った。  エリクは水の精霊から加護を得ている。  この世界では、水魔法は連絡網の役割も担うのだ。王城内には連絡用の水路が張り巡らされており、水の魔法を使うことが出来る者は、それが上流であれ下流であれ関係なく、任意の場所へと封書を流し届けることが可能だった。  そもそも当初、こちらの第三王子殿下は、なんと王女宮を訪れるたびにそのへんの近衛騎士に声を掛け、「リオンはどこだ」と俺の居所を確認していたらしい。  しかしそれでは良からぬ噂がめっちゃ立つだろうよ、と思い至ったエリクは、自ら「リオン・ル・リッシュの今日の予定」を書き付け、毎日きっちりと王城中枢の第三王子殿下執務室まで流す、という私的が過ぎる報告係に志願したのだと言う。  あいつは俺を売ったのか、それとも守ってくれたのか、判断は分かれるところだ。 「……特段、懇意にしている覚えはないが」 「アデラとも仲良しだし、着々と俺の幼馴染みを攻略してますよね」 「…………おまえの幼馴染みを狙って声を掛けたつもりは、断じてないが」 「ああ、ですよね」  俺は軽く頷く。常ならば、シルヴァンの裏庭時間はもうそろそろ終わる頃だろう。  閑職と名高い第二隊所属の俺と違い、王城騎士団近衛隊、王族としての公務、と要職を掛け持つシルヴァンは当然ながら多忙を極めており、昼食を兼ねたお昼の休憩が二時間もあったりなどしないのだ。  そして今さらと言えば今さらの発見だが、シルヴァンがアデラと会っている、ということは、ローズの元へ訪れている、ということでもある。 (そうなんだよな)  いかに俺が出会いのシーンをぶち壊してしまったとは言っても、ローズはローズだ。その魅力が、たった一度、最初の会話を失敗したくらいで損なわれるはずもない。  それがわかって、俺はなんとなく肩の荷が下りたような心地だった。  そんなわけで大きな安堵感を得た俺は、とんでもなく適当な会話をしている。というか、すでに裏庭の門扉で待つ侍従の元へとシルヴァンを見送る気でいたんだが、傍らに立つ王子様は、いまだどこへ歩き出すでもなかった。ふむ。 「良ければ、座ってください。……まあ、俺の場所じゃないんですけど」  俺は言いながら、シルヴァンに井戸のふちを薦めた。王族に薦めるのはどうなんだと思いもするが、木陰に包まれた井戸はひんやりとしていて、風の通り道でもあるため、実に快適なスペースなのだ。加えて、庭師から「ここなら邪魔にならない」と教えてもらったお墨付きのスポットである。無論、井戸にはきっちりと蓋がしてある。  隣り合って腰を落ち着けると、侍従の立つ門扉は見えなくなった。  同じ頃、庭師らの昼休憩も終わったらしい。大花壇にはぱらぱらと人影が戻って来ていた。  それを眺めるともなく眺めながら、シルヴァンが口を開く。 「三月後、ノエルの誕生会がある」 「ああ、はい。ありますね」  王女殿下の誕生日は、秋の日。その当日には、けっこう大規模なお茶会が計画されている。  王女宮に住まう子女たちは全員招待される、ということで、聖女・ローズはいまから礼儀作法の特訓に励んでいるようだった。彼女の侍女たるアデラも、自身の経験を惜しみなくローズに伝授するなど、主人の晴れ舞台のために奔走する日々を送っているのだ。  俺たち第二隊の騎士は、この日、総員で警備に当たる。もちろん、第二隊だけでは力不足甚だしいので、当日の指揮は第一隊のエリート騎士たちが執るのだが。  そんな告示は、ちょうど今朝の朝礼で出されたばかりだった。  俺が若干の勤務モードを取り戻し掛けるのと同時、シルヴァンは地を這うような重たい低音を吐き出している。……なんだ急に。 「そこで読み聞かせをしてみてはどうか、と提案されている。俺が……。ノエルを、相手に」 「読み聞かせ?」  誕生会には確かに、招待客たちからノエル王女殿下へ贈る「催し物」というものが予定されていた。たいていは楽器演奏や歌唱だ。魔法の披露、なんてものもある。  パーティーの時間を彩る、華やかな余興。  その一貫として、兄王子からの読み聞かせか。  ……正直、俺としては有りだと思える。だって、要は「朗読劇」だろう。ステージとなる庭園に用意するのは、椅子が一脚といったところ。そこにシルヴァンが座し、傍らにノエル王女殿下の席も設けた上で、彼は膝上に開いた本を朗読する。  良いと思う。  むしろ俺がそれをやりたいくらいだ。朗読劇、好きだったんだよなあ。生の観客の反応が得られるあの空間、めちゃめちゃ好きだった。 「そんなにやりたそうな顔をするくらいなら、代わってくれ」 「えっ、いいの?」 「……良くはないが、譲ってしまいたい」  良くはないんか。  そりゃそうか。  というか、シルヴァンの声帯たる川嶋穂高は朗読劇大好物だったんだぞ。おまえも頑張れよ。たぶん、なんとかなる。昔取った杵柄みたいなもんじゃないか。 「俺、外郎売でも教えましょうか」 「あの呪文か。あれが、なんの役に立つと言うんだ……」 「珍しいですね。……って言えるほど、俺もあなたを知ってるわけじゃないですけど」  俺がつい零すと、シルヴァンは律儀に目線を向けてくる。「なにがだ」とその目顔が問い掛けて来ていた。  俺はわずかに肩をすくめ、彼へ向けて苦笑する。 「いつでも泰然とされているので、苦手なことややりたくないことへの対処法を確立されてるのかと思ってました」 「普段なら、ごねたりはしない。だが、ここでは別だ」 「ここ?」  この裏庭か。  確かになあ、と俺は目を上げる。俺たちが座る井戸の縁は、日がな一日、柔らかな日陰の中だ。その頭上に広がる木々の葉が、遠い空を泳ぐように風に揺れていた。  舞い込む一陣の風に乗って、庭師の放った快活な声が届く。  俺はその声の明るさに耳を引かれ、彼らが立つ花壇の方を見遣った。裏庭の入り口一帯を覆う建物の影は、当然ながら大花壇にまでは掛からない。陽なたの中、庭師たちは指示する声を投げたり、たまに冗談を言って笑い合ったりなんかしている。  平和だ。  すぐ傍らのシルヴァンが「違う」とか言ったような気がするが、俺はほがらかな庭師たちのようすと、おんなじ角度で風に揺れる苗たちの愛らしさに目を癒されたままだった。  忘れてもらっては困る。  いまの俺は、休憩時間なのだ。 「俺がおまえとの時間を求めるのは」  ふと、シルヴァンが呟く。 「……おまえが、いいからだ」  ん?  それ、なんか安売りされてるな。  俺は彼を振り向いた。 「そんなに俺の読み聞かせをご所望なんですか?」 「……」  シルヴァンはしばし押し黙った後で、困ったように眉じりを下げた。……そんな表情を、二度も見るとは思わなかった。  俺は少しの気まずさを覚えながら、目線を遠く、陽の当たる大花壇の方へと向け直す。 「どうしても、ということなら読まなくもないですけど、正直、アデラが言うような価値はもうないですよ」  シルヴァンがこちらの表情に目を留めたことがわかる。それでも、俺は彼に横顔を晒すままだった。  ともすればゆらっと震え出しそうな声音を叱咤して、努めて平静に話し続ける。 「俺、声変わりは学園へ入る前だったんです」 「? ああ」  まったく話は見えないだろうにそれでも頷いてくれるシルヴァンは、本当に優しい男だ。 「単純に……声が低くなったら、使える音域が増えるんじゃないかな、と思ってたんですよね。だから、俺はかなり、自分の声変わりを楽しみにしてたんですけど。けど、期待するほど低くはならなかったし、かと言って、子供の頃の柔らかい高音も、もう取り戻せないんです。……俺のいまの声は、カサカサの落ち葉を踏む時の音みたいな、そんな感じの声でしかなくて」  前世の自分のことを、俺は俺自身で「なんの才能もない声優」だと思っていたんだ。  俺程度の「イケボ」は掃いて捨ててもまだ山ほど余るってくらいザラにいるし、そんな平凡な声でも、努力して磨いて武器を作ったんだと、そうしてどうにか戦ってるんだと、俺は、自分のことをそんなふうに思ってた。  知らなかったんだ。  どう足掻いても、ありふれた「イケボ」にすらなれない声が。  なんの響きもない――豊かな音の幅なんて、一切感じられない声が。  演じる余地など微塵もない、正真正銘の棒みたいな声が、あるなんて。 「俺は、……いまの自分の声が、嫌いです」 「リオン」 「綺麗に読むことは出来る」  いったん吐き出すと、本音は止めようがない。俺はもはや空を睨みながら、念じるように言葉を繰り出していった。 「噛まないし、文章に合わせて抑揚を付けて、前後の強弱をコントロールして、聞きやすいようには読める。でも、俺の声は、根本的に演者に向いてないんだ。こんな声、スタートラインにさえ立てない。立つ資格がない。だって、これだけ硬直したガチガチの声、作品の質を落とすだけなんだよ。この声が混じるだけで、どんな名作だってたちまち聞くに堪えない駄作になる……!」  練習しないから、稽古しないから、だから棒演技なんて言われるんだろ、と思ってたんだ。  川嶋穂高の馬鹿野郎。  おまえは奢ってるんだよ。自分の声がどれだけ恵まれてたのか、なんにも知らずに――一度も想像すらせずに、ぜんぶぜんぶ自分の努力で叶えたことだと、そう思ってたんだろ。きらきらの才能なんかなくても、これぐらいは出来る。俺は底辺から成し遂げたんだと、そんなふうに思い上がってたんだ。  その喉に宿った、奇跡みたいな才能(こえ)に胡座を掻きやがって――だから、あっけなく死んだんじゃないのか。  神様。  頼むから、もう一度、俺を川嶋穂高に戻してくれよ。  あの声で演じたいんだ。  それさえ叶えば、俺はもう、ろくに稼げない紙芝居読みでもいい。その日のごはんにすら困るような日々でも、俺はきっと、この世界でいちばん幸せだと言えるんだ。人生に一片の悔いもないと、心の底から笑って死ねるんだよ。  リオン・ル・リッシュの人生には、地位も名誉も有り余るほどある。代々続く、宰相の家系だ。王家からの信頼も篤い。  二、三十年後には、リオンは必ず、この国の宰相として国政に深く関わっているだろう。  ああ、なんて恵まれた人生なんだろうな。素晴らしいよな。そんな栄華極める世界をのうのうと何十年も生きたって、――俺には、なんの意味もない。  こんな人生、欲しくないんだ。  でも、わかってる。俺は、これを捨てることも出来ない。  仮に俺が失墜でもしようものなら、俺と運命を共にせねばならないアデラも身を落とすことになる。無論、家の名に連なる弟たちも、妹もだ。  なあ、神様。どうすればいい?  こんな世界で、俺はどうやって、幸せをこの心に感じながら生きていけるんだ。 「リオン」  シルヴァンの声で名前を呼ばれた瞬間、ばらばらっと視界が砕ける。  もう知るか。  俺はやけくそになって、大粒の涙がぼろぼろ零れるまま、シルヴァンの緑瞳を探した。  シルヴァンは、「なぜ泣くんだ」とは訊かなかった。ただ、ひどく柔らかな力で、俺の手首を取る。もう片方の手を、俺の後頭部へと添えた。そのまま、それを自身の肩口へと抱き寄せる。  そうされた途端、また涙が堰を切って溢れた。……泣いてる時に触れた体温って、なんでこんなに響くんだろう。 「ぅ~……っ」 「リオン。……いま、する話ではないかもしれないが」  俺の心臓を好き放題斬り付ける声音で、シルヴァンが話し出す。肺が痛い。目も痛い。相変わらず、泣くとすぐ頭痛も起きる。どこもかしこも痛いんだから、いまさら心臓が痛みを生み出すくらい、なんでもなかった。  俺は傍近くの体温だけ離れていかないように願って、シルヴァンの肩から落ちるマントをぎゅうと、両手で掴む。 「……」  ぐ、と空気を飲み下すようにシルヴァンの喉奥が鳴った気がするが、俺はなにせ泣きじゃくっているので、まあ気のせいかもしれない。  微妙に不自然な沈黙を挟んでから、シルヴァンの声が続いた。 「俺は、話し方に抑揚がなくて怖いと言われる」  ……抑揚? 「物言いも無愛想だ。気の利く話題もない。それらに加えて、声にほとんど感情が乗らない。他人に威圧感を与える条件ばかりを揃えたようなものだと、侍従にも言われた。……ノエルが泣き出す気持ちもわかると」 (声に感情が、乗らない……って)  それはつまり、俺のせいじゃないか?  そうだ。  俺もちょっと思ったんだ、シルヴァンの話し方を聴いていて、俺の演技はちょっと力みすぎたかもな……なんて。  だって原作ゲームのシルヴァンのCVは、ばりばりにバリトンが響きまくる、本物のイケボ――むしろイケボの概念を生み出したようなお方が担当してたんだぞ。  当時のそのお方は、なんと俺より歳下だったらしい。そんなわけあるか。  あれは二十代で出していい貫禄じゃないんだ。しかも貫禄がありつつ、爽やかさもあるんだ。なんでそんなことが可能なんだ……。  第一話の収録日、俺は内心ほとんど半泣きで、こんなの俺の手に負えるわけがない、逃げたい、むしろ逃げよう、と思いながらスタジオ入りした。  つまりその日の川嶋穂高はいっぱいいっぱいだったわけだが、まさかそんな、俺の演技が力みすぎていたせいで……シルヴァンの普段のコミュニケーションにまででかい不都合を生み出してしまっているだとか。  まさか、そんなことは。 「ただの一騎士であるうちは、特に支障はなかったんだ。学生の頃もそうだったが、単に俺自身が「生真面目」だと評価される。それだけだ。人としての面白みはないだろうが、仕事をきちんとこなせば信用はしてもらえた。――だが、隊長の任を得て人の上に立つようになると、問題は俺一人では収まらなくなった。俺がこの調子だと、俺にそのつもりはなくても、部下は強烈なプレッシャーを感じるんだ」  あああ。 「俺のせいで、彼らは潰れてゆく。実際、俺の下から離れた部下は、すでに片手に余るほどになった」  これ、まじで俺のせいじゃん……! 「リオン。おまえは「同じにするな」と怒るかもしれない。だがある意味、俺も自分の声にコンプレックスを持っている。……こんな俺からすれば、おまえの声はどんな感情もわかりやすくて、羨ましいよ」  待ってくれよ。  俺が半泣きになるまで追い詰められながら、それでも歯を食いしばって、誠心誠意、声優人生懸けて吹き込んだ声が、あんたのコンプレックスなのか。  ――そんな、ことって。  すうっと急に、心臓の痛みが遠のく。胸のつかえが取れて、一気に呼吸が通った。なあ、泣いてる場合じゃなくないか。  そうだよな?  俺は勢い込んで、顔を上げた。  シルヴァンの緑色の瞳が、そんな俺をふわりと包み込んで、眩しそうに細められる。 「俺は、俺と気安く会話してくれるおまえの声を、とても心地良く感じている」 「わかった。稽古しよう、シルヴァン」  おっと、敬称を忘れた。俺は間抜けにも後付けで「で、でんか」と加えながら、だがシルヴァンのマントを握る両手には、いっそうの力を込める。  シルヴァンは目を丸くした。 「は?」 「誕生会の読み聞かせ、成功させよう。王女殿下が「お兄様、もっと読んで!」とねだりたくなるくらい――招待客たちが後世に語り継ごうと思うくらい、完璧な朗読劇にするんだ」

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