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6  ところで俺が王城騎士団近衛隊に配属された時、いちばん喜ばしかったことと言えば、第二隊が明らかな閑職であること――よりも、王城の敷地内に近衛隊専用の寮が設けられている、という待遇の方だった。  やっと家から出られる、と歓喜に打ち震えたのだ。  つまり俺は、父親が支配する俺の生家が、本当の本気で苦手だ。 「選択を間違えるなよ。リオン」  父親の重たい声音を背に聞きながら、俺は彼の書斎から退室する。  選択か。  そんなものよりも断然、演技の教え方を教授してほしい気持ちでいっぱいなんだが。  俺はかれこれ十日近く、そのことについて迷いながらも考え抜いている。  そうしてどうにか掴んだ答えを一つずつ、シルヴァンに呈示してはいた。……非常に綱渡り状態ながら、どうにかこうにか彼の指導係を務められてはいるわけだ。  だが、どうにも心許なさはある。  ここのところはもう、俺の養成所時代、厳しくも気安く接していただけた頼れる講師陣が恋しくて堪らない心地だった。  そう。人は時に、妙なタイミングでホームシックに掛かってしまったりもするのだ。 「リオン兄様! 久しぶりだね」 「オーギュスト」  ふいの声に足を止めれば、行き過ぎたばかりの階段口に、弟の一人が姿を現すところだった。白金色の髪を休日らしくラフに流したスタイルは、長身のオーギュストをより好青年たらしめている。  俺は「あの人に用か?」と問い返した。無駄に広い屋敷の中、俺がいま後にしてきた父親の書斎周辺には、ほかの家族の使う部屋は一つもないのである。  オーギュストは軽く首を振り、俺の瞳を覗き込むと、幼い頃とおんなじ顔をして笑った。 「ううん。兄様がもう着いてるって聞いたから、会いたくて探してた」  相変わらず、この弟は可愛いことを言ってくれる。  おかげで、父親に背負わされた重たい暗雲も風にさあっと流されてゆく気分だ。 「じゃあ、いっしょに向こうの棟まで戻るか。このまま上から戻ればいいよな?」 「うん。やった。兄様といっしょに屋敷の廊下を歩くの、久しぶりだ」 「……俺があまりにも不義理をしてるみたいな言い方なんだが」 「ふふ。朝からずうっと、屋敷中にお菓子の良いにおいが漂ってるの知らないでしょ。コレットもクラリスも大張り切りだからね。兄様、今日のお茶会で少し体重が増えてしまうんじゃないかな」  乳母のコレットは、つい数十分前、俺を屋敷に迎え入れてくれた時にも、かまどからそのまま出て来たんじゃないかと思うくらいに焼きたてのお菓子の良いにおいを纏っていた。「今日のお茶会には、クラリス様の新作ケーキもお出ししますからね!」と彼女こそが胸を張り、えらく自慢げに話してくれたものだ。  ここのところめっきりお菓子作りにハマりこんでいる妹のクラリスは、お茶会の始まる時間ぎりぎりまで厨房で奮闘するんだろう。 「母様は?」 「知らない。たぶんどっかのサロンに行ってるんじゃない? 最近はあの人、新しい化粧品を売り込むのに必死なんだ」  オーギュストの声音がひやりと冷えるのを聞いて、俺はいろいろと察する。母親との仲はさらに悪くなっている、というのは確実だ。この前の休暇で帰省した時は、それでもまだ、「母様」と呼んでいたはずなんだけどな。  俺は父親と折り合いが悪く、オーギュストは母親とことごとく意見が合わない。  そしてもう一人の弟は、学園さえ中途退学をして、放浪の旅に出ている。とんでもない自由人だ。 「フレデリクの消息は?」 「この前、南の街から絵はがきが届いたよ。すごーく綺麗な海が描かれてたんだ。あとで持って来るから、兄様も見てみてね。そのはがきにそろそろ一回帰るって書いてあったから、また父様が荒れるんじゃないかな」  そう言って、オーギュストは仕方なさそうに肩をすくめ、苦笑する。 「父様は相変わらず、フレデリクのことは蛇蝎のごとく嫌ってるもん。フレデリクも譲らないから、なおさら拗れるんだけど……でも、そういう強さがフレデリクの頼もしいところだから、どうしようもないよね」  オーギュストとフレデリクは正反対の気質を持つが、だからこそと言うべきか、非常に仲が良い。お互いがお互いを無二の親友と思っている節さえ感じられるのだ。  いかに実兄とはいえ、双子(ふたり)の絆に踏み込めたことなど、俺はついぞないくらいだった。 「あんまり家の空気がすさむようなら、俺に連絡してくれよ。これでも俺は、あの人のお気に入りだからさ」  仲裁とまではいかなくても、父親の怒りの矛先を納めさせるくらいは出来るだろう。  俺が言うと、オーギュストはぐっと眉間を寄せた。そこに浮かぶのは、強く案じる表情だ。 「兄様。今回のこと、僕の耳にも入ってるんだよ。ビゼー家長男の件だよね」 「――」  思わず足を止めた俺の傍らに立ち止まり、オーギュストはこちらの腕をぎゅっと握る。 「父様の言いなりになんて、ならなくていいんだよ。ねえ、兄様」 『ブノワ・ビゼーの沙汰は、おまえが下せ』  書斎で聞いた父親の声音が、まざまざと蘇った。  ブノワ・ビゼー。  アデラの実兄、そしてビゼー侯爵家嫡男である彼は、少し前からその交友関係を不安視されていた人物だ。良くない夜会に出入りしていること、不審な金銭のやり取りが確認されたこと。俺の父親は、ブノワの身辺からきな臭い情報が上がるたび、俺にわざわざそれを聞かせてきた。  そこに込められた意図は、明白だ。  そもそも長く宰相の地位にあるリッシュ公爵家にとって、ビゼー侯爵家は古くから側近を務めてくれている一門だった。  つまり両家の間には、わりと明確な主従関係がある。  俺の婚約者がアデラと定められたのも、アデラを通してビゼー家への発言力を強めよう、と俺の父親が考えたからだ。  だがその力を得るのは、リッシュ家の現当主である父親本人であってはならない。……いかにもともと主従関係があるとは言っても、それをあからさまな支配関係へ持ち込もうとすれば、ビゼー家側も抵抗の意思を示すはずだからだ。その結果、別の有力者にビゼー家を取られでもしたら、リッシュ家の足元も多少ならず揺らぐことになる。  だからこその、俺だ。  現状、俺とブノワの間には、明確な権力差は生じていない。ブノワの方が三つほど歳上であるものの、彼は王城内でさほど目覚ましい出世を果たしているわけでもなく、順当に一介の文官の身に甘んじているのだ。閑職の騎士を勤めている俺とは、社交界での評価には差があるとはいえ、社会的な地位としてはまあどっこいどっこいと言ったところだろう。  そして現在、ブノワ・ビゼーには、収賄の疑惑があった。……うむ。 (なにをいまさら言ってんだ)  公爵家嫡男として、俺はごく幼い頃から、当たり前に賄賂の存在を見聞きしている。  もちろん、それを行うのは、父親だ。  収賄も贈賄も、休日に友人が訪ねて来るレベルのカジュアルさで、なんとなくもはや当然のこととして、我が家には存在していた。  そしてまあ、それとおんなじ話は、だいたいどこの家にもある。エリクの家もそうだし、学園時代の友人間でも、騎士仲間の内でも、実家の内情としてよく聞く話だった。  こう言ってはなんだが、すべては程度の問題であり、やり過ぎれば捕まるが、そこそこのラインを保つかぎりはお咎め対象にならない。……なにせ、多かれ少なかれ、王城内では誰もがやっていることなのだ。  そんな中、ブノワは今回、守るべき暗黙のラインというものを踏み越えてしまった、ということらしい。 『には、きつく灸を据えねばな』  実の父親が悪役そのものの顔で笑うところなど、見たいと思う子供がいるだろうか。  俺はいっそ、指を差して笑ってやろうかと思った。  薄暗い書斎の中、重厚なデスクに着いた父親は、革の椅子に大きく背を預けたまま、ふっとニヒルに笑うのだ。なあ、これがギャグでなくてなんなんだ。 『灸、ですか』 『リオン。おまえなら、正しく判断出来るものと信じている』  わーお。いらねえその信頼。

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