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「ブノワさんはおそらく、いまはもう例の夜会へは参加していないでしょう? 彼へ金銭を渡した相手は相当な年嵩で、王城での確かなポストを求めていたって話だから……。望むとおりにそれが得られないことに激怒するだろうけど、曲がりなりにも侯爵家子息であるブノワさんには、おいそれとは会う機会も得られない」 「まあ確かに、ブノワは単なる小遣い稼ぎのつもりだったんだろうな」  オーギュストが述べる推測に、俺は肯定を返す。  王城内で収賄・贈賄がはびこっているのは、パワーゲームの天秤に載せるおもりとして、それがいちばんわかりやすいからだ。  交渉の場に持ち出した二つの皿は、必ず釣り合わなければならない。  だからこそ俺の父親を含め、王城を支える狸親父たちは、それぞれの皿に『金銭』と『権力』を置く。彼らのルールによれば、その二者は等価交換が可能だ。  そしてパワーゲームのルールを破綻させないためには、金銭の重みだけは裏切ってはならなかった。  ――だが、ブノワはなんの権力も有していない。  彼は偽りの天秤を持ち出し、あらかじめ傾いているそれに金銭を載せさせたのだ。  どのみち犯罪ではあるものの、父親からすれば、「それは『正しい賄賂』ではない」ということなんだろう。……正しい賄賂ってなんなんだ。やっぱりこれ、ギャグだろ。 「はっきり言うけど、ブノワさんはただの阿呆だよ。相手の家名、兄様も聞いたでしょ。まともな社交界に一度も出て来ていないような相手が用意するお金なんて、どう足掻いたってはした金でしかないのに。そんなもののために、家の名に泥を塗る真似なんてして」  もういっそ馬鹿くせえんだがと呆れ果てている俺と比べて、オーギュストは真摯に怒りを覚えているらしい。ふむ。  俺は「ちなみに」と問いを差し向けてみた。 「オーギュスト。おまえなら、どう沙汰する?」 「とにかく、相手の遺恨だけは解消しておかないとだめだよね。ブノワさんにはまず、そっくり同額をリッシュ家から借りてもらう。そして、相手へきちんと謝罪して返す。仲介役をリッシュ家が務めてもいいよね。それなら、ブノワさんはしばらくリッシュ家に頭が上がらない」 「リッシュ家に迷惑を掛けるわけにはいかないと、ビゼー家はそれこそ家名を懸けて介入してくるだろう。そもそも、ブノワはそう都合良く俺たちに恩を感じてくれるか? 現に詐欺行為に手を染めている以上、ブノワにまともな倫理観を期待するのは愚行だぞ」 「うーん……」 「父様の沙汰は、こうだ」  素直に唸る弟を微笑ましく思いながら、俺は少しだけ声音を低める。……積極的に開示したい内容ではなかった。ましてまだ学生の身であるオーギュストに聞かせられるのは、比喩表現までだろう。 「ブノワが始めから相手を騙すつもりだったとしても、いったん交渉の場に天秤を持ち出したからには、賄賂と同じ重さのものを皿に載せねば相手は納得しない。おまえが言うように同じだけの金銭を載せてもいいが、ブノワが一度相手を騙している事実を鑑みれば、それではまだ皿が軽すぎる。ではさらに金銭を足せばいいのか、と言うと、そうもいかない」  余剰金を出せば、その分はリッシュ家からブノワへの投資だということになる。まだ現時点では俺の義兄ですらない相手に、それはやり過ぎだった。  さらには、相手の下級貴族に「リッシュ家が賠償金をくれた」という事実が生じてしまい、妙な箔を付けかねない。王城でのポストを望むほど野心溢れる男なら、「リッシュ家のコネ」を足掛かりに一念発起くらいはするだろう。……そういった付け入る隙をむざむざ与えるのは、失策中の失策だ。  だからこそ、この沙汰の天秤には、金銭が載ることは決してない。 「今回、リッシュ家にいちばん利するおもりは、暴力なんだ」 「――」 (つまり天秤には、相手の命が一つ、載るんだよ。――オーギュスト)  オーギュストは唇を引き結んでいる。俺は、弟はどのくらい具体的に想像出来ただろうか、と少しだけ考えた。  父親は、ブノワを徹底的に追い詰め、相手に刃を向けさせるつもりだ。  ようにお膳立てしろ、と俺に命じている。……ブノワの人となりを探り、最も効果的な方法を用いて、彼を追い詰めるのだ。  巧妙な噂でも用いて、周囲の人間関係から孤立させる。味方のいないブノワにさらなる無力感を与えることなど、そうなると簡単だ。信頼する上司でも、もっと残酷なことに婚約者でもいい。彼が伸ばした手を叩き落とさせることは、リッシュ家の権力を持ってすれば実に容易い。  ブノワの逃げ道を塞ぎ、冷静な判断力を失わせて、もともと倫理観の危うい彼が「もはや相手と刺し違えるほかない」と思い込むよう――誘導しろ、と。  あの父親は、俺にそう命じているのだ。  ……なんというか、人の心がない。  よくもそんな残忍なことを考えつくよなあ、という呆れもある。だがそれ以上に、俺にとって度し難いのは、父親からまったく他者への敬意を感じ取れないことだった。  なあ親父、人の心の複雑さを知ってるか。その心に映る世界の、豊かさを。いかにろくでもない詐欺を働いた男だろうと、そいつが積み重ねた一日一日の中に、光がある。愛がある。未来への希望だって、きっとある。 (それを、どうして) (軽くコントロールしてみろ、だなんて言える?)  まるで、チェスだか将棋だかの駒扱いじゃないか。  もちろんリッシュ家には、およそどんな権力もある。その点で言えば、俺の立場は駒じゃなくプレイヤーだった。  父親から委譲された「力」を振りかざせば、俺は盤上を支配することになる。一度、「リッシュ家が苦言を呈した」ことが王城内に広まれば、特に立場があるわけじゃないブノワ程度、あっさりと見捨てられるに違いなかった。  ましてや、ろくなコネクションもない下級貴族であれば、その命ごと棄てられるのだ。  ……人の尊厳も、命も、権力の前には物同然だ。  ただ一人のプレイヤーたる俺は、俺のせいで孤立無援となったブノワのさらに裏で、甲斐甲斐しく彼を助けてやればいい。  万一にも仕留め損ねることのないよう、信頼する刺客に相手の処理を頼むこと。遺族の口を封じること。ブノワには決して嫌疑が向かわぬよう謀ること。  そうやって俺が彼のためにフォローすればするほど、明確に、脅しとしての力が強まってゆく。  今後、おまえは一度でもリッシュ家の意向を損ねてみろ。その瞬間、おまえが人殺しだという事実をつまびらかにし、輝かしい侯爵家嫡男としての人生など潰してやる。  ――そんな遅効性の脅迫が、彼の残念な脳に焼き付けば上々だった。 (これで) (リッシュ家のために動く傀儡(くぐつ)の、できあがり、ってな) 『選択を間違えるなよ。リオン』  父親にそう念を押された時、俺の中にほんのり残る冷酷無比なリオンの思考回路は、迷いなくそんなシナリオを描いていた。  いかに『ヒストリア』に出番がないとはいえ、――これが悪役でなくて、なんなんだ。 「暴力、なんて……リオン兄様は、危ない目には遭わないよね?」  俺の腕を掴む手に一層の力を込めて、オーギュストは声音を震わせる。……うちの弟は本当に、俺のことが大好きだな。優しくて良い子に育ったもんだ。誰が育てたんだろう。  俺はオーギュストの不安を拭うために、わざと大仰に肩をすくめて笑った。 「俺自身が危ない目に遭ってるようじゃ、父様から軽蔑されて終わりだ。自分の身を守るために他人をこき使う力のことを、権力って呼ぶんだろ」 「じゃあ兄様は、僕のことも使ってね。一人でやり通そうとしないで。僕、きっと役に立つから」 「オーギュスト。――それは」 「リオンお兄様、オーギュストお兄様、いつまでのんびりお話されてるつもり?」  すぐそこの階段下に、ひょこっと天使が現れた。真っ白なエプロンを着けたおかんむりの天使は、俺たちの愛しの妹、クラリスだ。 「クラリス! 久しぶりだな」 「ああ、ごめんクラリス。お茶会の時間を忘れてたわけじゃないんだよ」  俺とオーギュストは揃って兄の顔を取り戻し、妹の機嫌を取りなすために謝罪の言葉を口にしながら、急ぎ階段を降りてゆく。 「クラリス自慢のケーキがちょっとでも崩れててごらんなさい、それって無駄に待たせたお兄様たちのせいなんですからね!」  階下の床を踏むや否や、待ち構えていたクラリスによって、兄二人の腕はまとめて抱き込まれる。左右の兄を交互に見上げながら彼女が口にするのは、なんて健気で愛らしい文句なんだろう。  俺たちは天使にぎゅっと抱き付かれたまま、すっかりお茶会の用意も調っているダイニングへと招き入れられたのだった。

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