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「リオン兄様、その……シルヴァン殿下と喧嘩したって、本当?」  俺の淹れた紅茶を一口傾けてから、オーギュストはやや言いづらそうに問い掛けた。  彼が困り切ったように眉を下げているのは、ここが王女宮の旧音楽室――件のシルヴァンのために用意された練習室だからだろう。  とはいえ、シルヴァンはまだ今ごろ、王城中枢の自身の執務室で公務に就いている時間だ。 「噂が早いな」  見るたびに菓子の箱が積み上がってゆく棚の中を物色しながら、俺はオーギュストへ苦笑を向ける。  オーギュストと会うのは、先日の俺の帰省以来だった。  今日のオーギュストは、白金色の髪もきちんとセットし、俺自身も去年まで着ていた王立学園の制服を身に纏っている。弟は授業を終えてすぐ、家へも寄らずに王城まで来てくれたのだろう。傍らには学生鞄も携えた姿だ。 「だけど、そうだな。喧嘩は……してない。たぶん」 「たぶん?」 「詳細は省くが、まあ、俺の認識が甘かったんだ。殿下はそれを、指摘してくれた。俺はただ勝手に傷付いて、一人でぎこちなくなってるだけだ」  シルヴァンの至極まっとうな指摘が俺の『夢』を打ち破ったのは、二日前のこと。  あれからまだ、俺とシルヴァンは顔を合わせてはいない。  とはいえ、今日はこの後、この練習室で、俺は講師としてシルヴァンを迎えなきゃならなかった。  シルヴァンは誠実な男だから、あの日の「喧嘩未満」を一切スルー、なんてことはないだろう。  ……だが、俺はなにを言えばいい? 「シルヴァンの言うとおりだ。今後は心を入れ替えて、真面目に将来について考えるようにするよ」とでも?  それを言えば、たぶん場はうまく治まる。  だけど同時に、俺はシルヴァンの前でも「完璧」なリオン・ル・リッシュの仮面を被ることになってしまう。  そんなのは嫌だ。  でも、俺の本心を話そうにも、俺自身、どう生きていきたいのかなんて、わからない。  俺の内側にあるのは、死んだ風船だけだ。  こんな情けない自分ではいたくない。だけど……俺にとってこの世界は、いまはまだ、なんにもない場所なんだ。 「に、兄様」  俺はよほど情けない顔を晒していたんだろう。オーギュストは慌てたように、話題を変える。……弟にまで気を遣わせて、なにやってんだ。俺は。 「あの、僕ね、兄様から頼まれた書類はすべて用意出来たつもりなんだけど……自信がないから、良ければいま確認してもらってもいい?」 「ああ。わかった」  彼が学生鞄から取り出した紙の束を受け取って、俺は自分も椅子を引く。  父親から課された『ブノワ・ビゼーの沙汰』については、俺はいま、オーギュストと二人で証拠集めをしているところだった。  あの横暴親父、「こういう噂が立っている」だの、「こういった証言を誰々から取れるだろう」だの、およそ世間話レベルの情報だけ寄越しやがって、肝心の証拠はなにひとつ持ってないと来た。  それも含めて一からすべておまえがやれよ、ということなのは理解している。理解はしているが、そもそも俺はこんなこと、微塵もやりたくねえんだぞ。  腹から沸き立つどうしようもない憤りを押さえ付けながら、地道にこつこつと証拠を揃え、寝る間も惜しんで一つ一つ精査する。とんでもない苦行だ。  これだから、父親に関わるのは嫌なんだ。  そして可愛い弟の揃えた当座の書類は、すべて完璧だった。俺がお礼とともにそう伝えると、彼はほっとしたように笑む。 「そういえば、オーギュスト。苦戦していると話してた試験は結局、上手くやれそうなのか?」 「あ、うん。そのことなんだけど僕、兄様からアドバイスを貰いたくて」  ちょこちょこ書簡のやり取りはしていたものの、やはり顔を合わせると話は深まるものだ。  近況報告からちょっとした悩み相談、試験の攻略方法や、クラリスやコレットの朗らかなエピソードと、二人の間で、話題は尽きない。  そうして紅茶をたっぷり二杯おかわりした俺たちは、そろそろシルヴァンとの稽古時間であることを理由に、いっしょに椅子を立った。 「じゃあ兄様、長々とお邪魔しました」 「気にするな」  家族の訪問があったから、という理由で堂々とサボりが許される職場だぞ。おまえが恐縮するほど厳めしい場所でもないんだ、ここは。有難いことだが。 「でも僕、やっぱり兄様と話すの好きだなーって、改めて思っちゃった。今日、すごく癒され……、っ」  名残惜しそうに笑顔を見せていたオーギュストの表情が、いきなり強張る。彼がそのまま王族への礼を取る姿を見て、俺は俺の背後にある戸口に誰が立っているのかを察した。  振り返りながら、俺も当然、王族への礼を捧げる。 「……申し訳ない。邪魔をしたか?」 「とっ……とんでもございません!」  シルヴァンの瞳がまっすぐにオーギュストを捉えているから、答えるのは彼だ。  俺たちは公爵家の子息として、過去、王族と間近で謁見したことはあった。だが、そういった公の場で会話を許されるのは父だけだ。成人もしていない子供の役目と言えば、お人形のように大人しくしていることのみ。……そもそも、俺たちの年代にはちょうど王子も王女もいない。王家の方々と学園で共に学ぶ、といった機会には恵まれていないのだ。  つまり弟にとっては、これが初めての王族との会話ということになる。  俺は若干ならずハラハラしながら、だが高貴な身分たるシルヴァンの視界を遮らぬよう、オーギュストの背後へと移動する。そうして正面に立つシルヴァンと、オーギュストの白金色の後頭部を交互に見上げるだけの無力な兄となった。  もちろん、シルヴァン相手になにを心配することもない。それはわかっている。  だがオーギュストは、オーギュストはだな、こう見えて緊張しいなんだよ。 「リオンの弟か」 「はい。私はオーギュスト・ル・リッシュと申します。デンカ」  あああ、ロボットみたいにギコギコした話し方になってるぞ、オーギュスト! 落ち着け、大丈夫だ。大丈夫なんだ、その人は。めっちゃ素直で、誠実で、なんかすごい安心出来る人だから! 「リオンにはとても世話になっている。……弟の目から見たリオンはどんな人物か、訊いても構わないだろうか」 「あ、あ、兄は……っ」  まさか二語以上話すとは想定もしていなかったんだろう、オーギュストはほとんどパニック寸前だ。  どうだ。これは俺、助け船を出してもいいのか。でかいタンカー船でも出してやろうか。なぜだかもう、俺の方が生きた心地がしないんだが。 「兄は、――完璧な、人です。学園時代の成績も素晴らしく、その人望の篤さについても、誰もが知るところです。社交界でも、アデラ嬢とともに、僕たちの世代の憧れを一身に背負っています。王城での評判については、殿下の方がお詳しいことかと存じます」 「そうだな」  シルヴァンは柔らかく頷きながら、ちらりと一度だけ、俺を見る。うむ。いま絶対、「こいつすげえ持ち上げられてんな」と思ったことだろう。 「騎士団においても、リオンの存在はその洗練さにおいて一線を画している」  ……なあ、だからって、そっちでも俺を持ち上げようとしなくていいんだぞ。  俺は無言のまま、不敬ぎりぎりの半眼でもってそう抗議する。だが、俺の決死の百面相にも一切構わず、シルヴァンはその緑瞳を再びオーギュストへと当て直した。……おい、王子様。 「王女宮は毎年、『第二隊不要案』を騎士団へ提出することが慣例だ。宮外に騎士団を配備してあるのだから、宮内にまで騎士は必要ない、とする要望書だな。どうしても騎士を置くのならば、せめて女性騎士にするべきだ、との代案も合わせることまでがお決まりの習わしなんだが」 「女性騎士、ですか?」  俺の覚えた疑問とそっくり同じことを、オーギュストがシルヴァンへ問い掛けている。そりゃそうだ。この王国に、女性の騎士なんてものは存在しない。  シルヴァンはわずかに肩をすくめ、苦笑した。 「『不要案』が無茶な要望だということは、王女宮側も自覚しているんだろう。それでも言わずにはおれないほど、確固たる主義を掲げた根強い一派が存在する、という証左でもある。一派の熱意を反映してか、文言は毎年律儀に書き換えられているんだが……先月、俺が受け取った今年分の『不要案』は、第二隊不要論はそこそこに、「王城は女性騎士制度の新設を通して、広く女性の職業の自由について可能性を探ってゆくべきだ」と訴える項目が全体の七割にまで達していた」 「第二隊を排除したい、とする機運自体が弱まっているのでしょうか」 「そうだ」  よく心得たオーギュストの問いに、シルヴァンはどことなく嬉しそうに首肯する。オーギュストを挟んだ対岸側で、俺もシルヴァンの好反応に満足してうんうんと何度も頷いた。そうだろうそうだろう。うちの弟は優秀なんだ。 「「第二隊の騎士の存在は、王女ら、及び王女宮に仕える使用人たちの目を癒す、一種の清涼剤となり得ている」。これが、今年の要望書に新たに加わった一文だ。基本的には不要だが、存在することで良い効果も生んでいると認められる、とまで言うのは、『不要案』の提出が始まって以来、初めての事態と言える」 「殿下は、それは兄の功績だとお考えなのですか?」 「ああ。なにせ、文書にははっきりとリオンの名前が記されていたからな。「特筆すべき騎士として、リオン・ル・リッシュの名を挙げる」と」  はい? 「その容姿は宝石のごとく磨き上げられており、見苦しいところは一つもない。物腰もひどく柔らかく、安心感がある。気遣いの行き届いた表情や話し方は穏やかで、異性に慣れない王女たちも萎縮せず接することが出来るに違いない。騎士としての意識も高く、特に自主的に裏庭の見回りをしていることなど、評価すべき点ばかり。第二隊の騎士がすべて彼に習うことを望む」 「待った。なんだそれは」  思わず声を挟むと、シルヴァンは俺を見て、親しみ深く笑う。 「誇張でもなく、本当に書かれていたことだ。疑うなら、ここに現物を持って来させるが?」  それはどこか悪戯心すら感じ取れる、ひどく気安く、あたたかい笑顔だった。  俺はどうしてか、最初に(まともに)会話した時のシルヴァンを思い出している。 『僭越ながら、……軽率な行動ではないでしょうか』  生意気にもそう進言した俺に、彼は「そうだな」と応えながら、めちゃめちゃ気まずげな横顔を晒したのだ。  あの時、シルヴァンの中にはおそらく、相反する二つの『自分自身』がいた。素直に反省しようとする純朴な青年と、王族として高いプライドを培った第三王子。非常にわかりやすい四字熟語で言えば、二律背反ってやつだ。 『俺は、話し方に抑揚がなくて怖いと言われる』 『……俺の下から離れた部下は、すでに片手に余るほどになった』  裏庭の井戸に座って、俺相手に悩みを打ち明けてくれたあの頃なら、シルヴァンはいまみたいには笑わなかったんじゃないか。  光孕む緑瞳がふわりと細められ、その光が瞼の下へと隠される代わりに、きりりとした精悍さを持つ頬が柔らかく崩れる。そこから滲むようにじんわりと、彼の心そのもののあたたかさが伝わってくる。  俺の目の前にあるのは、そんな笑顔だった。  ――それはどうしてか、俺の中に眠っていたシンプルな音を思い起こさせる。  ピアノの、音だ。  始まりはぽろんと、微かに響く。そして静かな旋律を繋いで、一つずつ音が増えてゆくんだ。 『「シルヴァンのテーマ」っていう仮タイトルなんですよ。アニメでは、主に彼のモノローグへ被せて使用されます。今回のアニメ化にあたり、主要キャラには一曲ずつテーマ曲を書いてもらっていて……そのキャラクターを象徴するBGMとして、たびたび使っていく予定でいます』  テレビアニメ『ヒストリア』四話目の収録日。スタジオには、原作ゲームを手掛けたプロデューサーの姿があった。気の好い彼は、休憩ブースで自身のノートパソコンを開き、音楽チームから貰ったばかりだという出来たての音源を俺に聴かせてくれたのだ。 『今日収録いただいたシルヴァンの独白シーンにも、この曲を合わせます。僕個人の感想で恐縮ですが、川嶋さんのお声とぶつかることなく、むしろ低音の響きを引き立てながら綺麗に馴染んでくれる音じゃないかなと思いました。きっと、実際にアニメになった時の相乗効果もすごいですよ』  シルヴァンが一人佇む、雨のシーンだ。  俺にとっては、初めて自分の台詞だけで台本一ページが丸々埋まったシーンでもある。収録前夜、あまりにも台本を読み込みすぎたせいで、俺の脳内ではすべての日本語がゲシュタルト崩壊したんだ。……その甲斐があったのかどうか、マイク前ではよけいなことをなにも考えなかった。ただじっと、自分が演じるシルヴァンの気持ちだけを感じていた。  どうして、いま、それを思い出したんだろう。  銀色の音色で、雨音をつくるような曲だった。「シルヴァンのテーマ」。静かで、寂しくて、そして途方もなくあたたかい……。

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