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 笑顔の旧友から声を掛けられ、当たり障りのない会話を交わしながら、俺は夜会会場を泳ぐように歩み出す。――と。 「リオン」  目前の人波が急に割れたと思えば、俺の真正面には、シルヴァン第三王子の姿があった。  今日の彼は、深い藍色のジャケットをシックな色味でまとめた装いだ。差し色として入れられた、晴れやかな青色の切り返しが目を惹く。胸元には同じ色のポケットチーフも挿していて、合わせるシャツも紺色。そんなふうに華美過ぎない衣装を纏うからこそ、シルヴァンのまっすぐな美貌がより映える。  ……ああ、はい。  さっき、俺がアデラの手を取ってダンスしている時、あんたは可愛らしい黄色のドレスを纏うご令嬢と踊ってらっしゃいましたね。  あれは確か、騎士団長殿のご息女だったと思うんですが。 「第三王子殿下。お目にかかることが出来て光栄です」  俺は公爵家嫡男として完璧な笑顔を浮かべ、王族への礼を取る。それを見下ろすシルヴァンは、おや、と片眉を持ち上げたみたいだった。  まさか、こんな衆人環視の中でも「敬語など気にするな」とか言い出すつもりじゃないよな?  俺とあんたは現状、公ではまったくの他人なんだが。  俺の内心の警戒が伝わってか、シルヴァンはどこか仕方なさそうに嘆息しながら、柔らかく苦笑する。その次には、彼も公的な顔を取り戻してみせた。 「良い夜を過ごしているようだな。リオン・ル・リッシュ」 「おかげさまで、心地良く過ごさせていただいております。殿下におかれましても、ご機嫌麗しくお過ごしでしょうか」 「ああ。ところで」  ところで!?  男女問わず衆目の集まるこの場面で、挨拶以上の何を言おうっていうんだ。  俺は笑顔だけは死守するものの、すでに生きた心地がしていない。何度でも主張するが、俺の前世は声優だぞ。声優ってのはな、有難くも請われればステージに上がることもあるが、俺としては裏方の仕事だという意識しかなかった。……つまり俺が自信を持って提供出来るものは声であって、顔なんかオマケだったんだ。  リオンは相当な美人ではあるものの、だからと言って、どんどん注目してくれなどとは微塵も思わない。  まして今夜の主役ばりに注目しか浴びていない王子様の相手など、俺には無理過ぎる。  ああ誰か、俺を今すぐ人混みの内側に帰してくれ……。 「最近、北方のワインに詳しいようだが、あれは宰相殿が見出した銘柄か?」 「――」  俺は俺に成し得る最大限のポーカーフェイスでもって、「無難な笑顔」の表情を保った。おい、待て。ガチでなにを言い出してるんだ、王子様。  北方のワイン。……そう言われて俺が真っ先に思い起こすのは、ブノワの件で被害者となった下級貴族だ。  俺とオーギュストが調べたかぎりでは、その貴族は王国の北方で造られたワインを運んで売る、いわゆる下請け業者のような、うっかりすると商人紛いの家業を営んでいた。大元のワイナリーが本家筋に当たり、そのおこぼれに預かっている彼は分家、というところだろう。  もちろん、王都での商売は本家筋が牛耳っているため、ブノワが騙した相手も、本拠地はもっと地方の都市だ。  その地方都市へは、いま現在、リッシュ家の者を差し向けているところなんだが……。 (待て)  シルヴァンは、どこまで知ってる?  少なくとも、ブノワが起こした詐欺については、おそらくすでに把握済みだろう。でなければ、俺に向けて「北方のワイン」と発する意味がない。  さらにその上で、わざわざ「宰相殿」と俺の父親を名指ししているのだから――シルヴァンはもう、ほとんどぜんぶの事情を察してるんじゃないのか。 (つまり)  俺が父親から、『ブノワ・ビゼーの沙汰』を託されたのだ、ということを。 「ええ、そうです。非常に珍しい銘柄で、どこから見つけてきたのやらと。……公爵閣下の見聞の広さには、私も身内ながらに感服しております」 「おまえは、その酒をどうする?」  殺すのか。  そう問われた気がしたのは、たぶん思い過ごしじゃない。  そしてだからこそ、シルヴァンはこんな公衆の面前で、この話題を持ち出したのだ。だってそうだろう。あの練習室では、俺たちはややこしい隠喩を用いた会話などしない。  どストレートに「おまえは人殺しになるのか」と問われて、「なるよ」と答える馬鹿がどこにいる? まともな良識があれば、「まさか」と笑うはずだ。 「閣下には申し訳ないのですが、私はあの味を好みません」  俺は笑った。「完璧」なリオン・ル・リッシュにふさわしく、一点の曇りもない、社交的な笑顔を作ってみせる。 「ですので、無理に飲まされれば吐くでしょうね。けろろろっと、一滴残らず、すべて」 「吐くのか」  シルヴァンの声音には、若干の素が透けていた。もし人目もなく、俺と二人で話している状況なら、彼は無防備に目を丸めていただろう。  もちろん、第三王子殿下として立ついまは、そんな隙は一切見せないままだが。 「吐きますね。胃に合わないものを受け入れる義理などありません。……ああ、食事の場にはそぐわない表現でした。配慮が足らず、申し訳なく思います」 「いや……。そうだな、よくわかった」  彼は一つ息を吐いて、声色から緊張感を抜き取ってゆく。おそらくシルヴァンは何事かに納得出来たんだろう、と俺は思った。  実際、王子様は明らかに気を緩め、その美貌を微笑ませてまでいる。――俺たちを遠目に取り巻く大勢の女性陣から、潜めた感嘆が上がった。 「掘り出し物なら興味深い、と思っていたんだが……おまえの評がそれなら、私も手を出すのはやめておこう」  つまり、俺が『ブノワ・ビゼーの沙汰』をどう下すかについて、シルヴァンはいま以上に踏み込むことはない、というわけだ。  それはもちろん、俺も願ったり叶ったりである。内心で、ほっと息を吐く。急に核心に触れられた時はどうなることかと肝も冷えたが、ヘマをせずに済んだようだ。 「リオン・ル・リッシュよ」 「はい」  まだなにかありますでしょうか、王子様。 「今宵、おまえが気に入った料理はあるのか」 「……は?」  おっと、虚を突かれた。  俺は公爵家嫡男。相手は第三王子殿下。それを忘れるな。よし。 「恐れながら、そういったお話はこの会を主催された伯爵様から戴くのがよろしいかと」 「グルメ自慢を披露されたいわけじゃない。俺はここへ来て以来、ずっと踊り詰めでな。率直に言えば、腹が減っている」 「……」  あながちただの言い訳でも無さそうなのは、シルヴァンの顔を見ればなんとなく察せられた。  涼やかに笑っているように見えて、どことなく頬がこけて感じられる。実際にこけているわけではないが、雰囲気がげっそりしているのだ。  いつもの練習室でも、空腹が過ぎて集中力が続かない時など、彼はよくこういう顔をしていた。  我が意を得たり、とばかりに張り切ってお茶と菓子を用意する侍従に対し、「甘いものでは目が回る」と零すシルヴァンの姿を、つい昨日あたりにも見たものだ。  つまり、肉だな。 「私のお勧めは断然、こちらです」  俺はシルヴァンを伴ってフロアを移動し、肉料理の大皿から、お気に入りのメニューをピックアップする。  そして勝手に盛った小皿を彼へ手渡す頃には、王子様を取り巻く空気はゆるりと一変していた。 (――あれ?)  今宵の主役とばかりに集中していた目線が、いまはもう、ほぼ感じられない。さすがにちらほらと秋波を送ってくる女性はいるものの、それですら、自身は友人との会話を楽しんでいるところだ、というポーズは崩さぬままだ。……シルヴァンが次に一人になる時を待っている、と言った方が正しいのかもしれない。 「俺たちは同じ『近衛騎士』だからな」  こちらの動揺を察したのか、シルヴァンは軽く肩をすくめた。 「端から見れば、第一隊も第二隊もないだろう。同じ職に就くのだから、顔見知りであっても友人であっても不思議はない」 「……俺、もしかして気にしすぎですか」  それはそれで、あまりにも自意識過剰の権化というか……。シンプルに身の置き場がないんだが。 「こういった気楽な会でなければ、おまえが正しいよ」  シルヴァンは柔らかく眉を下げた苦笑顔のまま、俺を肯定してみせる。 「上の世代には、ここまでの寛容さは望めない。社交界に確固たる地盤を築いたお歴々からすれば、新参者がどの陣営に付くかは最大の娯楽だ。ちょっとした目配り一つからでも、さまざまなを推測される」 「真意……」  すっかり世間話のテンションで、俺は呟いた。 「想像するだにおっかなすぎるんだが……」 「世渡りの方法を覚えてしまえば、単純なものだ。おまえなら、すぐにお歴々の心証を操るようになるだろう」

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