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「……シルヴァン」  どうにか涙腺の決壊を踏みとどまらせて、俺は顔を上げる。声が掠れた。だが、いい。涙は止まったんだ。  俺はともかく笑った。 「無駄話してごめん。練習、始めよ……」 「リオン」  腰を上げようとした俺を引き留めるように、……もしくは「逃げるな」と咎めるように、シルヴァンが低く呼んでくる。  俺は一瞬だけ、息を止めた。そんなふうに呼ばれたら、動けなくなる。 「――リオン」  もう一度俺の名前を呼んだシルヴァンは、今度はまるで水の流れを堰き止めるかのように、ぐっと喉を締める。その声音は、彼の方こそ苦しんでいるようにさえ聞こえた。  どうして、そんな声を出すんだ。  シルヴァンの心境の変化を掴みかねて、傍らを見遣る。目が合った。俺は抱えていた両膝を胡座に崩した体勢のまま、彼と向き合う。  だが、……どう問うべきなんだ、これは。  シルヴァンは、その呼吸さえ止めかねないほど真摯な表情だ。おそらく彼は、俺の次の言葉を待っている。こちらを映す彼の瞳は、嵐の前の風に耐える木々のような、荒々しくもひどく静かな緑の色をしていた。  うん……。  なんだ?  俺はなにかがわかりそうで、でもなにもわからないような心地で、じっと彼の緑瞳を見つめる。シルヴァンはふいに痛みを覚えたかのように瞳を眇め、そのままゆっくりと瞼を伏せた。眉根がぐっと寄り、一瞬だけ、なにかを堪えるような表情になる。……ああ、そうか。  これいま、俺はむしろ抱き締められる直前みたいになってるんだな。  えっ。 「俺は、……おまえの傷や秘密を暴きたいわけじゃない。俺はただ、おまえがいいんだ」  いつかも俺にくれた言葉を、シルヴァンが繰り返す。  不思議なことにそれは、不器用な彼の、精一杯の告白に聞こえた。  ――え。  ちょ、ちょっと待て。それ、俺、何回か言われてるんだが。え。……あれっ? もしかして、ぜんぶ、最初から――そういう、意味だったんか!? (え)  息が出来ない。そのせいで、ごんごん顔が熱くなってゆくのがわかる。なんだこれ。俺たぶん、真っ赤なんじゃないか。 「知れば知るほど、おまえがいいんだ」  たったひとつの告白を繰り返すシルヴァンの声音は、祈るようにも、泣き出すようにも、きこえた。 (そんな、ふうに)  俺の知らない声を、出さないでくれよ。 「おまえの言葉はいつも、俺の周りにある不要な壁をぶち壊す、とんでもない爆発力に満ちている。俺を驚かせ、笑わせて、なにもかも吹き飛ばす。そうして自由をくれるんだ。俺は、おまえがいい。どうしても、おまえがいいんだ」  どうしよう。  めちゃめちゃ、抱き締められたいんだが。  いま床の上に置かれているシルヴァンの手のひらが、柔らかく持ち上げられる瞬間を想像した。  その大きな手のひらで俺の背を掬い上げて、強く奪うように、抱き締める。薄っぺらな俺の胸に、シルヴァンの鼓動や体温を直接、染み込ませてくれたら。――そうしたら。  ああ。  なんてことをしてくれたんだ、神様。  俺は知らず詰めていた息を、小さく吐く。それが、(おと)になる。 「シルヴァン」  自分の声が震えないことだけを、一心に願った。 「俺にも、裏切りたくない人はいるんだ」 「……」  永遠かと思える長い沈黙の後に、シルヴァンはそっと俺から視線を引き剥がす。その横顔は、まるでガゼボで出会った時の第三王子殿下みたいだ、と思った。ひどく堅くて、どうしても遠い。 「ビゼー嬢か」  大きなものを無理やりに飲み込んだ時の声で、彼はそう応じた。  俺は頷くかどうかを迷う。  俺がシルヴァンの手を取ったとして、裏切ることになるのはアデラだけに留まらない。弟妹たちも、俺が継ぐ公爵家に仕えてくれるだろう使用人たちも、領地の民たちもだ。 「わかった」  俺の答えを待たず、シルヴァンは膝を上げる。  彼を呼び止める言葉は、俺の中には、一つもなかった。

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