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 さて、とりあえず想定されるタスクをすべて書き出すことから始めようじゃないか。  俺は騎士寮の自室で、適当な羊皮紙とペンを机に用意する。インク瓶に浸けたペン先を紙の上へ置く瞬間、ふと、高校生の頃にも同じようなことをしていたな、とものすごく懐かしく思い出した。  一切の捻りもなく「声優になるためには」と冠した、一冊のノートがあったのだ。  いったん大学通いながら目指すか? とか、専門学校や養成所の学費は、とか、集めた情報やら自分の思いやらをありったけ書き込んだ、執念のノートだった。  あのノートはきっと、俺の自宅マンションを整理しに来た家族あたりが見つけたことだろう。  一人暮らしの部屋の中、収録済みの台本をまとめて差していた本棚の隅っこに、いつもそいつの背表紙が見えていた。そこにあってくれれば、初心を思い出せたからだ。  二度と開くことはなくても、俺にとっては大切なお守りだった。  そうか。  俺が自分の人生を一から作るのは、あのノート以来なのかもしれない。  まっさらな紙面と向き合って、思い浮かぶ、ありとあらゆる可能性を箇条書きにする。  頭の中身をぜんぶぜんぶ文字に変えて、紙の上を埋めてゆく。その代わりに、自分の中がまっさらになる。  そうしたら、次の一歩は見えてくる。 (俺は)  気付けば、俺の箇条書きは一つの計画にまとまってしまっていた。  道筋が見えたなら、やるしかない。  ――だってそこに、後悔しない人生ってものがあるんだ。  この後、少し話したいと思っているんだが、いいか?  無事に仕事を終えた、一日の終わり。  アデラを送る馬車の中、俺がそう問い掛けたのは、ノエル王女殿下と話した日から数日後だった。  大輪の花を綻ばせたような綺麗な笑顔で、アデラは頷く。 「ええ、構いません。ですけれど、場所を変えてもよろしくて?」  いつものティールームへと向かうのを止め、アデラの指示によって馬車が走る先は、ビゼー家が所有する公園だ。  夕方の時間、すでに一般公開は終了した後なのだろう。  俺たちが降り立った時、来訪の連絡を受けたビゼー家の使用人たちが迎え入れてくれる以外には、周辺には誰の姿もなかった。  アデラは自身の侍女さえ門扉のところに待機させ、俺と二人きりで、夕暮れの散策道を歩き始める。  俺の切り出した長い話を、彼女は黙って聞いていた。  俺が自分のために決めた、自分のための計画。  誰に反対されようと、止まるつもりはもうない。そんな話を、アデラは一言も口を挟まずに聞き切ってくれたのだった。 「わたくしは」  彼女が自身の声を俺に聞かせたのは、散策道の行き当たりに広がる、池の畔へと出てからだった。大きな夜の帳を引いてみせるかのような強い風が時折、二人で見つめた水面にさざ波を立ててゆく。 「あなたに恋をしているのです。リオン」  六歳の時、初めて会った時のアデラは、俺のことを値踏みするような目で見てきたものだ。傍らに立つ母親そっくりの華やかな笑顔こそ浮かべていたものの、まあ、子供の目線は正直だった。  それから『読み聞かせ会』に来てくれるようになっても、最初のうちは、俺のことは「便利な本読み係」くらいの扱いだった気がする。  いつから、彼女の瞳に甘やかな熱がこもるようになったのか。  いつの間にか、と言うほかないが、俺は長い間、それに気付かぬ顔をしていたのだ。  だがここで考えてみてほしい。  リオン・ル・リッシュが五歳の時、中身の俺は、三十一歳の自我を持っていたんだぞ。十歳の女の子から幼い秋波を向けられたところで、三十一歳の俺にはどうにも出来ない。姪っ子に「結婚しよ」と言われて、「十年経ってもおんなじ気持ちだったらね」と返す、そんなシチュエーションとまったく同じ思いをずっと抱えてきたんだ。 『リオン様は、まるで皆さまの保護者みたいな立ち位置ですね』  幼少期、乳母のコレットに微笑ましげに言われたことは、一度や二度じゃない。  実際、俺が中心となるのは『読み聞かせ会』の時くらいで、それ以外は弟たちとエリク、アデラとクラリスが楽しげに遊ぶのを、付かず離れず見守っていることがほとんどだった。  俺にとってアデラや弟妹たちは、もはや自分の娘や息子みたいなもんだ。  ……ついでに言えば、リオン自身にも、半分くらい息子みたいな感覚はある。  なにせ俺の自認は三十一歳のまま、この体がすくすくと育つのに付き合って来たんだ。第二次性徴だとか、変声期だとか、成長痛だとか、そういうのを「ああ、あったなあ」と思って迎えたし、「もうすぐ落ち着くからそうイライラすんなよ」と宥めながら見守ってきた。これはもうほぼ親だろう。  ようやく成人し、仕事にも就いたいま、心と体はじんわりと結び付きつつある。  どうせ年齢だけ三十代で、俺の精神年齢は十九歳くらいで止まってたからな。もう一回二十代をやり直せと言われたところで、それはまったくやぶさかでもない。  そうして心と体の足並みが揃うこの先は、いずれアデラへの恋も芽生えるのだろうと、俺はのんびり構えてたんだ。 「アデラ、俺は」 「わたくしはっ、ですから、……きっとこんな日が来ると、知っていたのですわ」  俺の声を遮って、アデラは気丈に言葉を発する。けれど可哀想なくらいに、彼女の喉は震えていた。 「わたくしがどれほど願っても、今日こそはと祈っていても、リオン。……あなたの瞳は、決してわたくしを映さないのです。でも、リオン、それでも……あなたがあなたの責務を果たそうとするかぎり、あなたは必ず、わたくしの隣に居て下さる。その、はずでした、でしょう……?」  夕暮れの底を攫うように、冷えた風が吹き抜けてゆく。  西側の空に広がる茜色を写し取ったような鮮やかな赤い髪が、彼女の頬を撫でて、その背の遠くへと流れる。アデラは傍らの俺を振り返り、そっと微笑んだ。泣き笑いに似た笑顔だ。 「わたくしの手を離して、どこへ行かれるのですか」  彼女の眼差しを緩やかな弧の形にさせているものは、その胸の内にある強い矜持だけだろう。こんな時まで、アデラは決して折れようとしない。  俺は唇を開く。 「いいえ。ごめんなさい、何も答えないで。わたくしを共に連れて行こうと思って下さらなかったことこそが、たったひとつの答えなのだとわかっております。リオン。あなたの人生に、わたくしは必要、ないと……っ」 「……アデラ」  どうか、泣かないでくれ。  俺に、そう伝える資格はもうない。この手を伸ばして、彼女を慰めることさえ、いまはするべきじゃなかった。 「本当に、すまない。アデラには、なんの非もないんだ」  例えば、アデラのウェディングドレス姿はどれほど美しいだろう。初めての子供を腕に抱く時、どんな柔らかな表情を見せてくれるだろう。……当たり前に、俺は、そんな彼女の姿を自分の傍らに見るんだと思ってた。だからこそ。 「俺を詰っていい。君は俺を責めるべきなんだよ。アデラ」 「いいえ、リオン。いいえ、いいえ」  自分自身の小さな手のひらに涙の粒を落としながら、アデラは何度も否定する。湧き上がるひとつひとつの言葉を、おそらく俺にぶつけたいだろう無数の思いを、彼女はそうして、すべて飲み込むのだ。  長い夕暮れの終わり。静かにそっと、陽の光が消えてゆく。  ひとしきりの慟哭の後、アデラが俺へと見せたのは、どこか晴れやかな笑顔だった。 「リオン」  凜として、気高く響く声音。それは彼女の精一杯の強がりなのだと、俺は知っている。けれど彼女のためにしてやれることは、もう俺の手には、なにひとつ残されてはいない。  アデラの告げるさよならを、俺は黙って聞き届けるしかなかった。 「あなたの幸せだけを、わたくしは祈っております。とても、とても長い間……わたくしに恋をさせてくれて、ありがとう」

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