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最も厄介な相手は父親だということを、俺はちょっと忘れていた。
アデラと別れて、十日も過ぎた頃だ。
執事づてに送られてくる「話があるから面ァ貸せや」という命令を再三無視していたら、騎士寮の俺の部屋宛てに、一通の招待状が届いたのだった。
(紳士限定の夜会……)
文字どおり、招待客は男性のみ。ある種、秘密倶楽部的な集まりである。そういった夜会があるらしい、とまことしやかな噂に聞くかぎりでは、性的趣味を開放するためだったり、政治的組織力を強めるためだったりと、開かれる目的は会によって千差万別だった。
いくら親子とはいえ、事前の話もなく、不躾に送り付けられた招待状だ。俺はこれを破り捨てても咎められはしないだろう。
もちろん、相手が常識の通じる人間であれば、だが。
うむ。
哀しいことに、父親はあまり常識の通じる人間とは言えない。
まして会の主催者が向こうと懇意な間柄の伯爵ともなれば、俺が行かなければ即日バレる。
――つまりこれは、この夜会へ出ることで誠意を示せ、という脅しでもあるのだ。
同時に、「いまのおまえにはエスコートする女性もいないのだから、こういった会がふさわしいだろう」との明確な厭味でもある。……つくづく思うんだが、悪役ってなんでこう、回りくどい真似をするんだろうな。
ちなみに、父親語による「誠意」とは「服従」の意味である。
悪役は使う辞書も独特だ。
そして彼がここまで強引なやり方をしてくるのには、当然ながら、俺に原因がある。俺は父親に一言の相談もせず、勝手にアデラとの婚約を解消したのだ。そりゃもう、さぞやご立腹のことだろう。
だが俺はもはや、歩みを止める気は毛頭なかった。
現段階での父親の怒り、さらにこれからどれだけそれが増幅されてゆくのか、という予測もしっかり織り込み済みの上で、俺の俺による俺のための計画、名付けて『公爵家出奔計画』は粛々と進んでいるのだ。
それはもう、もうちょっとなんかゴタゴタあってもいいような気がしなくもない程度には、するすると進んでいた。
むしろ俺はちょっとした拍子抜け感すら得ているのだが、なによりも俺のいちばん身近にいる人たち――弟のオーギュストや乳母のコレット、実家を長年支えてくれている家令とか――が、当のオーギュストの言葉を借りれば「いつかはそうなるんじゃないかと思ってた」という見解でいてくれたのが大きい。
『ずっと思ってたんだよ。リオン兄様は、このまま父様の言いなりになっていたら潰れてしまうんじゃないか、って』
リオン・ル・リッシュは「完璧」だ。
だけどそれは、俺が父親の操り人形となることで達成された、砂上の楼閣なのだ。
『兄様は僕たちに、たくさんのたくさんの心をくれた。そのおかげで、僕は自分自身をしっかりと信じられる。フレデリクはまっすぐな自由を得られた。クラリスも、自分の意思で好きなものを選び取れる、強い女の子になったんだ。……なのに兄様だけが、いつだって自分の心を殺してる』
そんなのはおかしいって、ずっと言いたかった。
オーギュストの言葉は、どこか切実な痛みを帯びていた。俺自身がいつまでも自分の行く先を決めず、叶うはずもない『夢』に甘んじてへらへらとするばかりだったのだから、弟もそりゃ言うに言えなかったんだろう。
……父親の顔を立てる、という言い方はやや釈然としない。
だけど、あの人とあの家には、育ててくれた恩というやつがあるんだ。正直、その恩だけはかなりでかい。でかすぎて、返せる見込みなどないくらいだった。
(仕方ない)
今回だけだ。これが最後。
いかにもフラグじみたことを念じながら、俺は招待状の日時を記憶することにしたのだ。
それは奇しくも、ノエル王女殿下の誕生会の前夜だった。
王女宮の練習室にノエル王女殿下が現れたあの日から、まるで誰かの策略かと思えるほどふっつりと、俺とシルヴァンは会えなくなっていた。
単純に、シルヴァンが多忙を極めているのだ。
この半月間、彼の率いる第一隊は、各地での浄化巡礼を行い始めた聖女・ローズの警護任務に付きっきりだった。
そしてシルヴァンが王城にいないということは、つまるところ、我が従兄・エリクもしばしのお役御免状態なのである。……いかに「リオン・ル・リッシュの今日の予定」を報告したところで、シルヴァンが王城にいなければ意味もない。
『第三王子殿下の現在位置? 第一隊の騎士は全員、まだ王都にも入ってないって話だぜ』
騎士寮の食堂へ戻ってのんびりと摂る昼食時、エリクはそう教えてくれた。
『さすがに明日の誕生会には間に合わせるんだろうけどさ。それにしても、けっこうぎりぎりの到着にはなるよなあ』
そうだな、と俺は頷く。
『そのせいでいま、第三隊と四隊が大わらわなんだってよ。第一隊の代わりに、明日の用意に奔走してるとかで』
そこで第二隊にお声が掛からないあたり、さすがの第二隊である。
水の精霊の加護を受けた人間は、わりと洩れなく事情通だ。俺はエリクがつらつらと零す他隊の情報を右から左へ聞き流しながら、そういう性質の元に加護が来るってことなのかもなあ、とのんびり考えるなどした。
だとしたら、風の精霊から加護を得た俺はどんな性質なんだろうな。……せっかち、とかだろうか。
『そういや、エリク。この招待状、どういった趣旨の会か、おまえならわかるか?』
食事の後、いつもどおり俺の部屋で暇を潰したついでに、俺は父親から突き付けられた例の招待状を取り出した。
エリクはなんの興味も無さそうに受け取ると、カードを一通り眺める。表の文面を一瞥した後、ひっくり返して裏も見ていた。ちなみに、裏にはなにもない。
検分の結果、あらゆる事情に通じた親友の返答は、こうだ。
『んーまあ、特に怪しい会じゃないはず。たぶん』
若干心許ないが、俺はおまえを信じるからな。
かくして、来たる夜。
俺は近衛騎士の給料の半分くらいをはたいて新調したタキシードを着込み、夜会の会場へと降り立ったのだった。
「カナリア様、とお呼びいたします。ようこそいらっしゃいました。あなた様は、中夜 となります」
中夜?
なんだそれ、と真っ正直に目を丸めた俺を見て、受付の執事は、そっと耳打ちしてくれる。いわく、「午後十時に、家の者が迎えに上がります。その者の指示に従い、当主とご面会ください」とのことだ。
(当主……)
招待状に明記された主催者の伯爵なら、子供の頃から面識がある。彼のことだと思っていいんだろうか。
この夜会が通常と異なる点と言えば、この会に集う者は全員、執事や給仕係に至るまでマジの全員、仮面を付けていることだった。だがそれも、こういった秘密倶楽部ではむしろスタンダードなドレスコードだろう。
ごゆっくりお楽しみください、と丁寧に頭を下げた執事に見送られ、俺は会場への廊下を進む。
開かれたままの大扉の奥へと踏み込むと、そこに見慣れた夜会の華々しさはなかった。まあ、女性陣の色とりどりのドレスがごっそりとないわけだから、まずもって視界がほぼモノクロだ。
こうして見ると、男の装いって地味だよなあ。
(お。でも)
めちゃめちゃスタイリッシュな人がいる。
蝋燭の数を抑えた、通常よりも薄暗いフロア。そんな中に立っていても、彼が纏うジャケットの黒だけは艶めいて見えた。
俺はなんとなし、そちらへ足を向ける。近付いてゆくと、黒ジャケットには金糸混じりの刺繍が施されていることもわかった。彼が動くたび、蝋燭の光はちらちらと細く弾かれる。だからこそ、ありふれた黒の装いとは確実に一線を画していて、より優艶に感じられるのだ。
それに加えて背が高く、しっかりと鍛えた体躯をしている彼は、そもそも立ち姿のシルエットも抜群に綺麗だった。
こちらに向けているのが後頭部なので顔まではわからないが、よく手入れされた漆黒の髪は、仮面を結ぶ紐に押さえられた毛束の流れまで計算され尽くされているかのように、完璧なスタイリングだ。
ここまで洗練されているとなると、確実に表の社交界でも有名人だろう。
(誰だろ……って、いやいや)
こんな場での詮索は、無粋が過ぎる。
俺は我に返って足を止め、くるりと踵を返した。
女性のいない夜会では、ダンスを楽しむことがない。従って楽団もいないフロアは、代わりにソファとテーブルのセットが数多く置かれていた。
どうやら招待客たちは、そこに好きに席を取っているようだ。各々会話に興じたり、料理とアルコールを楽しんだり、カードゲームやボードゲームに熱を上げたりして、この夜を楽しく過ごす、というわけらしい。
さて。であるなら、俺は何をしようか。
「……?」
フロアを眺めながら歩く俺の、ジャケットの右肘あたりにとん、と誰かの指でも当たった感触があって、振り返る。と。
いつの間に距離を縮めたのか、さっき見掛けた漆黒の髪の青年が、そこに居た。
(あ)
目元を覆う凝った細工の仮面にも、金色の飾り羽が添えられている。――そこから覗く彼の瞳は、蝋燭のきらめきを写し取ったような、光を孕む緑色。
「シ……っ」
シルヴァン。
うっかり名を発しそうになった俺の口元に指先を押し当てて、シルヴァンは別の手で俺の腕を取る。
そうしてそのまま、急ぎすぎない早足で歩き出した。
月明かりだけが照らす、誰もいないバルコニーへと続く窓。フロアを横切り、そこまで辿り着くと、彼はその透明な窓をゆっくりと押し開けたのだった。
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